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上野賢(SMOLT)のプロフィール(最終更新2021/10/31)

はじめまして!
株式会社Smolt代表取締役の上野賢です。この度は興味をお持ちいただきありがとうございます。この記事では僕のやっていることや生い立ちなど、紹介させていただきマス!ごゆっくりお読みいただき、上野賢ってこんな人間なんだなぁと理解していただけると幸いです。
それではどうぞ!

基本情報

■名前  上野 賢
■性別  男
■出身地 岩手県釜石市
■現住所 宮崎県
■誕生日 1995年10月16日
■血液型 A型
■趣味  野球観戦、サウナ、漫画を読む
■資格  潜水士(潜れないペーパーです)

プロフィール写真

プロフィール写真 山背景 上野

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今やっていること

現在、株式会社Smoltという会社の代表取締役を務めています。宮崎大学で培われた研究成果をもとに大学発のベンチャー企業として活動しています。
宮崎大学ではこれまでサクラマスという魚の循環型養殖の研究を続けており、これまでに研究に関わった方々の思いを紬ぎ、2019年に株式会社Smoltが設立されました。
それ以来、サクラマス養殖の事業レベルでの生産体制の整備や、魚のプロモーション、ブランディング、商品開発など日々奮闘しています。もともとは水産の専門ですが、事業をやってみると学術に加えて、商品の販売やマーケティングなど、売ることに対して向き合い、取り組む大切さを実感しました。サクラマスという魅力あふれる魚を理解し、おいしく育て、たくさんの人が本当においしいをいつまでも感じれる世の中にしたいと思っています。

JPEGSMOLT ロゴ 

経歴

2014年 岩手県立釜石高等学校 卒業
2014年 宮崎大学農学部 入学
2018年 宮崎大学農学部 卒業
2018年 宮崎大学大学院農学研究科 入学
2019年 株式会社Smoltを設立 代表取締役就任
2021年 宮崎大学大学院農学研究科卒業
(途中、事業に専念しており、1年休学してました。。。)
2021年 宮崎大学大学院農学工学総合研究科 入学
現在に至る
↑大学院生&大学発ベンチャーの代表です 

メディア

サクラマスについて

ここでサクラマスについて簡単に説明させてもらいます。サクラマス(桜鱒)とは渓流魚のヤマメが海に降ったときに呼ばれる名前になります。なので、ヤマメもサクラマスも一緒。同じ種なんです。違いは海にいくか、いかないか。でも、海にいかずともサクラマスのように大きくなるヤマメもいて、その呼び方の境界は地域や人によっても曖昧です。なので、かっこいいと思う方で呼んであげてください(笑)。ちなみにサクラマスはサケの仲間でいわゆるサーモンの一種です。よく鮭と鱒は何がちがうのか?という話題がありますが、答えは明確な違いはなし、が正解だと思っています。この件に関してはまた今度noteに書きたいと思います(これだけでながくなるので。。)
サクラマスはサケの仲間ということもあり、冷たい地域でよくとれる魚です。漁獲量のほとんどは北海道と青森で、一般的な鮭に比べるとはるかに数が少ない魚でもあります。だからこそ天然のサクラマスは希少で幻の高級魚なんて言われたりもします。ちなみにサクラマスの名前の由来は桜が咲く春に帰ってくるからサクラマスと名前が付いたそうですが、諸説ありって感じです。僕たちはそんなサクラマスを南国宮崎で育てようとしているわけなんです。

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※ここから下は僕の幼少時代~今を綴ったお話になります。
 時間のある方はどうぞお読みください~

幼少~小学生時代まで

岩手県釜石市でこの世に生を受け、すくすく成長。小学1年生で空手を始め、習い事に没頭の毎日。空手を頑張り、大会で優勝すると両親から買ってもらえるご褒美が何よりのモチベーションで、気づけば家にはトラスフォーマー(ロボットのおもちゃ)であふれていました(笑)。しかし、同じ学年で才能あふれる女の子がいたため、その頃に雑草魂が身についたのかもしれません。約10年後の現在にその子とパートナーとなり、お互いを支え合う良き関係になっているというお話もあります。小学4年生で空手で初めて全国大会に行き、目標ベスト8を達成したら犬を飼ってもらうと父と約束しました。なんと見事ベスト8入賞を果たし愛犬のチワワを家に迎え入れることに成功し、自分の弟のようにその後かわいがったのはいい思い出です。
当時の趣味は小さいころから生きものが好きで、カブトムシとクワガタを採集して飼育してました。あとはプロ野球が好きで巨人のグッズを集めたり、テレビ中継をみたり、そんな愉快な上野少年です。
これはプチ自慢ですが、僕は小学校6年間ずっと紅組でして運動会では紅組の申し子と自負しています(笑)

中学時代と東日本大震災

中学の上野少年は野球部に入部にし、野球&空手の毎日を過ごします。空手はかなり嫌な嫌な時期もありながら親にやめるなと諭され続けていたころです。一方野球に関しては嫌になることは一切なく、ポジションは外野→セカンド→サードと学年が上がるごとに変わっていき、楽しく3年間続けていた記憶があります。
2011年3月11日。中学の卒業式前日で会場設営が終わり友達と家でゲームしていた時でした。買ってもらったばかりのガラケーの警報が鳴り響いた後に、とてつもない揺れを経験しました。震度は6弱。家の壁が平行四辺形に歪み、まさにどうしようもない状態で、長い長い揺れでした。その後、街が津波に襲われているとケータイのワンセグやラジオで知り、異常事態がおきていると認識。本震のあとも大きな余震が繰り返し襲ってきて、電気とガスが通らない中で1週間、自宅で過ごしました。当然中学の卒業式は開催されず、卒業証書のみ授与され卒業となり、そんな混沌とした情勢の中で、高校時代を迎えることになります

高校時代

高校の体育館は避難所となり、校庭の周りは自衛隊のテントが立ち並ぶ中で高校生活が始まりました。部活は空手部に入り、毎日厳しい練習で先輩にしごかれる日々を過ごしました。いや、ほんと、ほんとにつらかったです。
部活が県内で1,2を争う強豪とあり遠征も多く、つらいこと、たのしいことを一杯経験した部活です。今となってはそんな苦楽をともにした仲間と今も繋がっており、たまに連絡を取り合ったりもします。さらにはその当時お世話になっていたコーチと今では仕事の話をたまにさせてもらう良い関係が続いています。
部活は頑張った甲斐があり、3年生のときにインターハイに出場でき、初めて九州、長崎におりたち、仲間と長崎を満喫しました(もちろん試合後ですよ)
しかし、がっつり部活に浸っていたこともあり、受験勉強がピンチに。それまで積み上げてきた実績(インターハイ出場、体育祭実行委員長(実績?)、科学のオリンピック県2位(頭の良い人にくっついていっただけ))をぶら下げ、T北大学の推薦入試を受験。見事に撃沈し、ついに自分の進路を焦りだした高校3年生の12月。そこから寝る間を惜しみまずは地元岩手大学を目指し勉強をしていました。
ふと、他の大学が気になり、自分がもともと生き物が好きなこと、大学でも好きなことを勉強したいこと、チャンスがあるならまったく新しい土地に行ってみたいことを考え、宮崎大学ってあるじゃん!!と気づき志望校をセンター試験直前に誰も言わずに変更。担任が当時三者面談でびっくりしてましたが、でも宮崎大学海洋生物環境学科っておもしそうだな、と一声もらい宮崎大学出願決意。そして晴れて宮崎大学に合格し、舞台は宮崎へと移ります。

宮崎大学時代

友達ゼロ、土地勘ゼロで宮崎にやってきて、初めてぶつかったのが言語の壁です(笑)。空港からでてタクシーに乗ったときのせっかく話しかけてくれる運転手さんの方言がまったく聞き取れず、終始愛想笑いで返すことに。。。これはやばいところに来てしまったと思った宮崎1日目でした。
大学ではいろいろな地方の友達が多く、個性豊かな同期、先輩、後輩に囲まれた宮崎ライフでした。学生時代は釣りとプロ野球キャンプに夢中になり、元旦でも真夜中でも友達と装備を整えて釣りに出陣し、大学の授業やテストの合間を縫っては野球のキャンプでサインを集める日を送り。。。
本当に好きなことばかりやってました。
大学時代一番のエピソードと言えば、漢気じゃんけん。
友達と毎日のように漢気じゃんけんでしのぎを削りあっていたころ、チョコボールの漢気で約36,000円(チョコボール500個)の支払いをして、学内でその時期のちょっとした有名人となり、twitterに投稿したら、公式のキョロちゃんからコメントが来るという。。。まあ、よき学生時代でした。

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大学三年からは改心し、研究室に配属され、そこでついにであったのがサクラマス。出身地岩手でもなじみ深い魚で、まさか宮崎でサクラマスにであうとは、と不思議な縁を感じ、即決で研究テーマに決めました。
サクラマスという魚の研究やそれを通じた産業との結びつきを研究室で学びました。サクラマスがなぜ川と海を行き来できるのか、そんなことを魚のホルモンや組織、細胞レベルで解析し、知れば知るほどサクラマスのたくましさを実感しました。それと同時に大学4年の時にあった宮崎大学のビジコン出場をきっかけにサクラマスの事業化を考えるようになり、その後、いろいろな方のサポートを受け、地域水産業の振興や持続的な水産業というテーマを掲げ、大学院在籍時に株式会社Smoltを立ち上げたという流れになります。この辺も機会があれば詳しく書ければと思います。2021年4月には宮崎大学の博士課程に進学し、学業と両立しながら事業も進めています。まあ、事業の比重が95%くらいですが。。。


おわりに

最後までお読みいただきありがとうございました!プロフィールを書くつもりが「上野賢の歴史」みたくなってしまいました。。。
人それぞれのストーリーはありますが、僕にはこんなストーリーがあります。この記事を読んだあなたが上野賢を応援したい!Smoltを応援したい!そう思っていただけると嬉しいです。

最後に上野賢ストーリーをまとめると
■生き物好きな少年時代
■習い事の空手で苦楽を経験
■中学では野球&空手、東日本大震災を経験
■部活漬けの高校時代
■推薦入試で落ち、死ぬ気勉強し宮崎大学に入学
■宮崎大学では釣りとプロ野球三昧
■チョコボール500個の漢気の勝者
■研究でのサクラマスとの出会い

こんな感じですね

それではまた別の記事でお会いしましょう~




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