死にたいと言えるようになりました。
できるだけ継続して書くということをしたかったけれど、存外簡単なことではないのだと思い知りました。何分調子が悪かったり、働いてはくたびれてみたりという日が続いていたのもので、なんて言い訳をしてみます。
家族は好きだけれど実家住まいの私はその分気も使うもので、4連休の疲れが出たのか、今日も若干くたびれつつ、ひさしぶりにまた何かを書くことにしました。
このnote、好きに書き散らかす、というのを目標にしたいので、書いたり書かなかったり、宇宙人に自分を語るという体でやったりやらなかったりさせていただきたいと思います。そのうち一番いいスタイルが見つかれば一番いいのですけど。
いつも前置きが長いですね。今回はいつも死にたかった私が、それを口にできるようになった話をしてみようと思います。
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私が死にたいと思うようになったのはやはり病気を発症してからなのでしょう。だから16歳くらいからなのだと思います。14年間もそんな気持ちを引きずって生き続けているなんて、今日の調子の悪い私にはぞっとする話です。
私にとって人生は辛くて、報われなくて、頑張っても結果がでないものでした。漠然とした恐怖感や不安感、自己否定、難しい対人関係、やらなきゃという強迫感。そんなものの嵐のなか生きていくのは私にとっては体力が足りないのです。
かといって、常に死にたいのかと言われればそうでもなく、調子悪いときは死にたい、普通の時は仕方ないから生きていこうな、調子のいいときはなんで死にたかったんだっけ。5年に一度のビッグウェーブでは、長く生きてやりたいことたくさんしたい!!となったりもします。わりとはやく終わります。ちなみに割合で言ったら、4:5:1といったところでしょうか。そしてその4割の中にも、本気で自殺を考えるときと、ただ漠然と生きているのが辛くて嫌になってしまうときがあり、後者の方が大抵です。
でも長い間ずっと、死にたいと口にするのも罪だと思っていました。
家族にだって言えなかった。だって傷つけるってわかっていたから。
それでもどうしても苦しくて、日々肥大していく「死にたい」を抱えきれなくて、友達に吐露したことがありました。なんで彼女に話そうと思ったのかは、覚えていません。ただ大事で大好きな友達で、私を受け入れてほしかったのかもしれません。たぶん私はこのとき、本気で死にたいわけではなかったと思います。
彼女は私に言いました。「死んだら許さない」、と。
私はその一言に何年か生かされました。私は彼女が好きで、私は彼女に許されないことをしたくなかったのです。本人にしたら些細な一言だったのかもしれません。それでも彼女のその一言は私が死ぬのを何年も止めようとしてくれていました。
そして私は誰にも死にたいと言わなくなりました。
その一言で周りを傷つけるのなら、許されないのなら、悲しませるのなら、私はそれを口に出さない方がいい。死にたいと思うのはいけないことなのだ。そんなことを考える私はそもそも存在しなければよかった。けれど気持ちは更に肥えていき、私の心を圧迫していきました。
私は死にたいと口に出す人を、その程度の死にたいなのだと思うようにすらなっていました。まだ本当に死ぬほど追いつめられてはいないと。本気じゃないから口に出せるんだと。同じようにきっと私の死にたいなんて、誰かにとったらとても本当に思っているようには見えないのだろうと思います。それでも私の気持ちは確かにそこにあるのです。
そうやってずっと言えないでいても、なにかをきっかけにぶち、とキレて、本当に死の淵に立って、あとは実行するかを決めようとしたこともありました。
私は水泳をしていたから水が好きで、水辺で死にたいと思ったキレた私は家族に黙ってこっそり家を出て、電車に乗って川へ行って川に流れてしまおうと思いました。結局駅に来るまでに見つかって、鞄を没収された挙句、しばらくは母のダブルベッドで二人で寝ることになりました。
入院する直前、妹と喧嘩をして「死ねよ」と言われ、手首を自分が大事にしていた包丁できりつけたこともありました。怖くて思い切りできなくて、今はもう痕も残らない程度です。それでも妹にはトラウマになるような出来事だったと思うし、申し訳ないことをしました。
入院した後は合う薬が見つかったことも、3年労働許可がおりなかったこともあり、体力を蓄えた私はかなり生きやすくなって、漠然とした死にたいではなく、本気で死ぬか生きるかを考える死にたいを再び考えるまでに何年か間が空きました。その再びのひとつが去年末なのですが。
去年末から今年の初夏のころまで私の体調はここ数年の私からしたら考えられないものでした。きっかけはありました。人生で1番つらい時期を経験したからかもしれません。私は壊れたと表現しても差し支えなかったと思います。側で支えてくれた家族と恋人には感謝しかありません。
家族との食事中に辛くて泣きたくて中座することが何度もありました。恋人の胸にすがって泣いていたのに、恋人と一緒にいるのが辛くなってきて一緒に眠るのも、小さなふれあいすらも拒絶しました。
私はとても辛くて生きているのが嫌になってしましました。
どうしていいか、自分でも全くわからなかった。私の未来が続いていくなんて想像もできなかった。早く楽になりたかった。
その状態になる少し前、まだ自我を保っていたようなときに、私はどうにも、酒を飲んで記憶を飛ばすくらいひどく酔うと、「死にたい」「死んでもいい」と言って、介抱する恋人を突き放し、一人になろうとしたそうです。2度ほどそういうことがありました。私は覚えていないけど、恋人にそう聞かされた私は申し訳なくなりました。
彼は私に、「悲しくなるからそんなこと言わないでほしい」と、全てを話したあとに言いました。
そしてそのうち、私は自分のコントロールを失いました。過去それでも誰にも言えなかった言葉を、恋人にぶつけたのです。
「死にたい。もう生きてたくない」
なぜ言えたのか、それはきっと、私が知らない間にもうすでに突き刺したその言葉を、私の恋人は受け止めてくれると知っていたからなのだと思います。誰より、私を甘えさせてくれて、私はそれに甘えたのでしょう。友達より近くて、家族より遠いからできたのかもしれません。
私は恋人をその一言で悲しませ苦しませるとわかっていたのにもかかわらず、それでもそれを自我をもって口にして、泣き崩れました。
いくら否定しても、口にしなくても、確かにあったその気持ちを、きちんと認められたような気がしました。
そうだ、私は死にたいくらいいま辛いんだ。
ずっと死にたいと思う私を否定してきたけれど、はじめて"死にたいと思う私"を肯定してあげたら、少し息ができるような気持ちになりました。
今回の話はそれだけです。オチもなにもありません。
でも死にたい人もそうでない人も、こういう人もいるんだって知ってもらえると助かる人がいるかもしれないから、ほんの少し楽に息ができる人がいるかもしれないから、書き記したりしてみました。
誰も苦しまないで生きていってほしい。でも無理なのはわかっているので、ちっぽけな私のありったけの祈りを込めて、優しい世界になりますように。
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