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成田悠輔さんから気仙沼の高校生へ #2「勉強は割のいいバイト」かもね

気仙沼の探究学習塾ナミカゼに、フリーアナウンサー徳永有美さんが来てくれました。そして今回、高校生のために成田悠輔さんを呼んでくれました。そのスペシャル対談をお送りします。(前回記事はこちら)

高校生からの質問タイム

行き詰まったときはゲキブツを投下

高校生かお:自分の探究活動が行き詰まったり立ち止まったりしたとき、どうしようもなくなったときの対処法があったら教えてください。

成田悠輔さん(以下 成田):寝るとか他のことやるのがいいんじゃないですか?

高校生かお:どうしてもその研究について調べたいのに止まっちゃうという、その無気力になる一歩手前の対処法が知りたいんです。

成田:…いきなり10キロ走ってみるとかやったらいいんじゃないですか(笑)

成田:自分の身体の状態をひっくり返しちゃうしかないんじゃないかと思いますけどね。

仕事でも創作でも執筆でも、取り組んでて行き詰まると、それをそのまま煮詰めて考えを深めようとしちゃうじゃないですか。大体それだとうまくいかないと思うんですよね。

なので、全然違うモードに自分の身体自体を切り替えることが大事だと思っていて。そのための一番手っ取り早い方法は、ゲキブツを投下することだと思うんですよ。

高校生かお:…分かりました(笑)

成田:それがドラッグとは言えないので、突然すごく負荷のかかる運動をやってみるとか、すげぇ辛いものを食べまくって半日くらい悶絶状態になってみるとか。寝てみるとか、97度のサウナに入ってみるとか。そういうのがいいんじゃないかと。

徳永有美さん(以下 徳永):頭の中で煮詰まったときは、身体的なことや環境をものすごい変えてみたら、頭の中も変わることがあるってことなんですか?

成田:うーん。というか、それ以外方法がないって感じですよね。停滞してるときとか行き詰まってるときって、頭の中の考え方や感じ方のクセみたいなものが付いちゃっていて、それが凝り固まっているからそれ以外の道に進めなくなっちゃってると思うんですよ。

そのクセをいったん取り除くためには、今自分の心と身体が置かれている状態を一回リセットする、今考えていることとか取り組んでいることからいったん心と身体を引っぺがすしかないと思うんでよね。

そのためには、別のところから刺激を入れてスイッチを入れ替えるしかないんじゃないかなぁ。

徳永:参考になりそうなこと、なかなか難しいこと、たくさんアイディアもらいましたけど、できる範囲でやってみてください(笑)

高校生かお:はい!スイッチの切り替えができるものを探していきたいと思います。

勉強は割りのいいバイト

高校生こうだい:自分は今、地域を盛り上げる活動をしているんですけど、あまり勉強する意味が分からなくなってきて。数学とか勉強していても、自分のやりたいことに繋がらないんじゃないのかなと思っていて。やりたくないことを無理矢理やるより、自分の好きなことをやったらいいと思っているんです。

成田さんが考える教育について、何で勉強しなきゃいけないのかを聞きたいです。

成田:勉強しなくちゃいけない理由って、別にないと思うんですよ。もし学校の勉強よりもやりたいことがあるなら、それをやればいい。

ただ、勉強ってほとんどの人にとってコスパがいいんですよ。というのは、今の世の中でもなぜか学歴が重要ってことになってるじゃないですか。

大学に行った場合と行かなかった場合の生涯年収を比較すると、すごい違うんですよね。それはいろんな研究で示されているんです。

成田:仮に、それを大学受験をするために人が使う典型的な受験勉強の時間数で割ってみると、大体勉強することの時給が計れます。勉強することで得られる生涯賃金を時給換算すると、とんでもなく高いんですよ。時給10万円超えてくる。ということは、とんでもなく割りのいいバイトをやってるって考え方もできるんですよね。

逆にその程度のものでしかないんじゃないかと思いますね、いわゆる勉強ってやつは。

徳永:そんなこと言う大人いませんよねぇ。びっくりしますよね。

高校生こうだい:自分はいつも親から、好きなこともやっていいけど勉強もしなさいよって言われて、「何で勉強しなきゃいけないの?」と聞いても答えてくれないことが多かったので、成田さんの話を聞いて納得しました。

徳永:成田さん、お金のこととか人生の逆算って少年少女にとって想像しにくいと思うんです。割りのいいバイトってすごくいい言葉だなと思うんですが、人生の逆算みたいな考え方が万が一できなかった場合ってどんな風に考えたらいいですか?それ以外の考え方ってありませんか?

成田:それ以外の考え方…。うーん。

徳永:本当は勉強が楽しいって成田さんは思っていませんか?

成田:そんなことはないですね。全く思ってないですね。

徳永:こんなに勉強されてる方が思ってないと…!?

成田:いや、自分がやっている研究とか、自分が学ぶべきだと思ったことを学ぶのは楽しいですけど、学校のカリキュラムってそれとは全く違う内容を教えてるので、あんまり意味ないなと、昔も思ってましたし、今も思ってます。

好奇心を刺激する学びは人によって全く違う

成田:本当は教育する側が変わらなきゃいけないんですよね。つまり、みんなに同じようなカリキュラムで教えることは、みんなにとって価値とか実用性みたいなものが分かりやすいものにすべきだと思うんですよ。

例えば国語教育なら、文学作品を読んでその心情を解釈するみたいなことより、むしろ法律の条文をどういう風に読むかとか、契約書をどう読んで、こういう問題が起きたらどの項目に対応して、どう効力を発揮するか考えるみたいな、実際にいかにも役に立ちそうな国語教育をつくろうと思えばつくれるじゃないですか。

徳永:となると、生きるための学び…例えば好奇心を刺激する学びと、スキル的なもの…例えば人生を逆算をして割のいいバイトだと割り切るものは、別物と考えてもいいということなんですかね?

成田:完全に別物なんじゃないですか。好奇心っていうのは、人によって全く違うっていうのが一番の特徴だと思うんですよ。

ニュース番組をつくったって、国民の95%がおもしろいと思ってもらえるような番組をつくるって多分不可能じゃないですか。

教育もそれと同じだと思うんですよね。おもしろいとか、笑える、泣ける感覚っていうのは、人によって全然違うものだと思うんですよね。

だけど、儲かるとか役に立つみたいなことは、自分の心の状態の問題ではないので、誰にとっても「これは儲かりますよ」とか「これは役に立つよ」って言えるじゃないですか。

だから国が提供する、みんなにとってのベーシックミニマムみたいな教育は、儲かるとか役に立つものでつくった方が、結果としてうまくいくんじゃないかなぁって気はしますね。

徳永:…はい。

成田:だから先程の質問にもう一度答えてみると、自分がやらなくちゃいけないってことになっているんだけど、やる気が起きないものがあったとすると、自分の好奇心を刺激してくれないってことじゃないですか。

だとしたら、それを「儲かりまっせ、役に立ちまっせ」側に変換できるかどうかというのを考えてみる作業を、自分の遊びとしてやってみる

もしそれをやっても自分を納得させられないなら、それはあまりやる意味がないんじゃないかと思いますね。

高校生こうだい:まだ自分の中で変換できていないので、考えてみたいと思います。ありがとうございます。

(つづく)
編集・文:気仙沼学びの産官学コンソーシアム 加藤 拓馬

探究学習塾ナミカゼ
スペシャル回 2022年9月24日(土)
主催:気仙沼学びの産官学コンソーシアム

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