「文化の時代」
僕はこれからは「文化の時代」だと確信している。
今日は、僕が証券マンと茶道家という一見相反する2足の草鞋(わらじ)を履いて15年生きてきて、改めて今、思うことを書いてみたいと思います。
ごめんなさい、結構まじめなお話です(笑)
今年3月、新型コロナウィルスが世界中に広がり、主要都市は皆、ロックダウンというかたちで都市機能を停止することになった。おそらく地球史上初めてのことだろう。
「都市」というのはまさに資本主義最大の発明で、いわゆる、
規模の経済と集積の経済
を実現するために生まれた。
その都市がコロナによって実質的に壊された。
コロナは資本主義への挑戦状のようなものだと思う。
その後、ロックダウンは解除され、今なお、各国は、
『国民の健康』 と 『経済』
の両立を図るべく舵取りを迫られている。
医療従事者は経済活動自粛を求め、経営者は経済活動再開を求める。
(ちなみに僕は過度な自粛には反対側の人間です。ただ、それは、経済を大事にするべき、という考えではなく、限られた人生における限られた時間はちゃんと自分の頭で考えて使うべきだと思うから。)
ここで、世界中で国民の健康と同等に扱われる「経済活動」ってなんでしょう。
例えば、お世話の必要な赤ちゃんと、介護の必要な親がいる主婦が3人いたとする。
それぞれの主婦の方が、家で赤ちゃんの世話をして、お昼ご飯を作って、親の介護をする。
これは経済活動ではないですよね。(決して主婦の方を悪く言っているわけではありません。)
じゃあ、3人の主婦の方が、
一人は3人の赤ちゃんの世話をします、
別の一人はみんなのお昼ごはんを作ります、
残りの一人は3人の親の介護をします。
これによって各仕事は“効率化”される。
ここで、赤ちゃんの世話をお願いする、お昼ごはんを作ってもらう、親の介護をしてもらう、というサービスにそれぞれ料金が発生するとする。
もしその3つのサービスがすべて同じ料金100円であれば、3人とも、200円払って、200円もらうわけだから儲けはない。
しかしトータルするとお金が動いたことになり、これはいわゆるGDPに“計上”され、れっきとした経済活動になる。
このように、サービスや労働の交換をすることで社会を効率化し、その価値の合計を数値化し計上する、それが資本主義経済。
資本主義の原則は、
「より遠くへ、より速く、より効率的に」
だ。
だから新幹線が生まれ、あらゆるものが東京に集中し、地方が衰退する。そのほうがGDPが伸びるわけ。
日本で言う高度経済成長時代の頃までは、暮らしを便利にするため、豊かにするために必要なものを作り、購入し、生活が豊かになり、人々の幸福度が上がり、結果としてGDPはものすごいペースで増えた。
しかし、それが一巡すると、ある一定水準の生活が実現し、当然、必要なものはなくなっていく。
そこで、先程のような“効率化”から需要を生み、お金を動かすことをし始めるようになる。
『マーケティング』という言葉を聞いたことがあるかと思います。
1960年頃に誕生したらしいです。
『マーケティング』
企業などが行うあらゆる活動のうち、「顧客が真に求める商品やサービスを作り、その情報を届け、顧客がその価値を効果的に得られるようにする」ための概念。また顧客のニーズを解明し、顧客価値を生み出すための経営哲学、戦略、仕組み、プロセスを指す。(Wikipediaより)
つまり、需要が飽和してしまったから、もともと需要がないところに需要を作り出そう、ということ。
そのあたりから人間が経済に操られ始めたように思う。
本来、人々が幸せになるために経済があり、それをわかりやすくするために数値化していただけのはずが、いつしか、その数値を伸ばすことが目的になってしまい、人々は逆にそれに追われるようになった。
近年ものすごいスピードで生活は便利になっている。
インターネット、ネット通販、SNS、ビデオ通話、・・・
でも、便利になった分生活は楽になっているだろうか。人生は豊かになっているだろうか。
むしろ加速度的に時間やお金に追われるようになっていないだろうか。
さっきの例に戻って、
家庭内で、赤ちゃんの世話をして、ご飯を作って一緒に食べて、親の介護をする。
赤ちゃんを保育所に預けて、仕事に行って、一人で外食して、親は介護施設に預ける。
必ずしも後者が幸せとは言えないと思う。
ここでようやく本題につながるのですが(笑)、
すでに生活に“必要なもの”は満たされ、世の中がモノやサービスで溢れかえったいま、一度立ち止まって、
自分はどんな人生を歩みたいのか
どんな人生が生きる価値のあるものなのか
を真剣に考えるときがきているように思う。
そこで大事になるのが、
『文化』や『アート』
だと思う。
それらは人間の心を満たしてくれる。
経済がどうでもいいとは思わないし、そのために生まれたテクノロジーが不要とも全然思わない。
むしろ、そのテクノロジーのおかげで、ホワイトカラーと言われる人たちの仕事の大半は人間がやる必要がなくなった。(もちろん証券マンも(TдT))
さらに、文化やアートの水準が上がることで、それらは均一化されにくい商品、サービスであるため、結果的に経済も伸びる可能性さえあると思っている。
そんなことで、僕は、これからは、『文化の時代』だと感じているわけ。
珍しくつまらない話でごめんなさい。
皆さんはどう思いますか?