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読書感想『妻はサバイバー』

こんにちは。栗原白帆です。永田豊隆さんの『妻はサバイバー』を読了しました。

これは摂食障害の妻を支えた夫の記録です。

これまで障害当事者による著書というのはコミックも含めていくつか読んできましたが、当事者の家族の気持ちというのは多く語られてこなかったように思います。健康だったはずの家族が心を壊し、病を抱えていく様子を見続ける気持ちをこれほど克明に描いた文章を、私は初めて読みました。

書き出しの一行目が印象的です。

妻に何が起きているのか、理解できなかった。

『妻はサバイバー』P.7

これが妻の摂食障害を目の当たりにした夫の正直な気持ちなのか、と。本人も混乱しているかもしれないけれど、家族だって混乱する。考えてみればあたりまえのことです。でもそのことはあまり伝えられない。
目に見えない障害を持つ人と生活することの困難さ、苦しさ、孤独、絶望が克明に描かれていきます。

本の最初に永田さんご夫婦の「年譜」が記されています。ごく簡単にまとめたものが以下のものですが、本当にこれほどの困難が個人の身に起こりえるのかと愕然とさせられます。

1999.3 結婚。私30歳、妻26歳。
2002  妻の摂食障害が発覚
2003.2 摂食障害に伴う低カリウム血症で入院
2007.5 妻が性被害をきっかけに心療内科を受診。間もなく精神科病院に医
    療保護入院。以来10年余にわたって入退院を繰り返す。
2007.8 大量服薬で救急搬送
2011.8 妻の飲酒癖が悪化。急性肝炎で入院
2014.9 私、適応障害で3か月の休職
2015.6 妻、アルコールの離脱症状で救急搬送。解離性障害が悪化、入院。
    院内で水中毒を繰り返し、入院が長期化。
2017.4 妻退院
2019.7 妻、46歳にして認知症が判明。

『妻はサバイバー』P.4(栗原によりかなり簡略化されています)

摂食障害は私が考えている以上に深刻な病でした。「食べ吐き」という言葉だけではとても言い表せない根の深さ、食べ吐きする人と家計をともにすることで何が起きるのか。そんなことは考えたことがありませんでした。
摂食障害は本人の体を蝕むだけでなく、心を蝕み、家族を巻き込み、そして経済的にも追い詰められる病なのだということも。

 2003年8月半ば、妻とともに都銀の岡山支店に出かけた時のことである。ATMで預金をおろそうとしたが、現金が出てこない。
 記入した預金通帳を見て、息をのんだ。残高欄の数字がゼロになっている。-中略-
「私がいるとあなたが不幸になる」。妻は泣き崩れた。

『妻はサバイバー』P.19

吐くための食べ物は、もちろん買わなければならない。そしてそれは私たちが普通に食べる一食分の食事をはるかに超えた量です。吐いて流すためのものを買うために貯金が底をつく状況。それでもやめられない、やめさせられない。摂食障害にそういう側面があることを、恥ずかしながら初めて知りました。それは私の想像を絶する過酷な日々です。

著者の永田豊隆さんはもともと朝日新聞の社会部に身を置き、政治や経済問題を多く扱う記者でした。しかし妻の摂食障害に向き合ううちに、記者としての関心も貧困・格差・多重債務・生活保護へ移っていったことが語られます。

取材相手が抱える困難は私の困難と紙一重だった。妻も私も、この社会に無数にいる「困っている人」のごく一部に過ぎないとわかると、どこかほっとした。

『妻はサバイバー』(P.60)

記者として事件を追いながら、当事者家族でもある永田さんは、「家族を支える手立て」(P.30)について繰り返し言及しています。当事者を支える手立ては少しずつ整えられているように感じますが(それでも知識や情報から隔離された人に手立てが届かない状況は変わりませんが)、まだ十分とはいえません。
当事者家族は、当事者ではないため直接的な支援の対象として考えられにくいのだと思います。

しかし本書を読むと、当事者家族もまた、”当事者”なのだ思わずにいられません。精神障害を抱えた家族を支えるということは「孤独な戦いを強いられ、追い詰められる」(P.27)作業であり、運よく支援者や理解者に出会わなければ、刑事事件につながってしまうような深い闇を抱えた作業だからです。苦しい、という意味では当事者も家族も同じなのです。

筆者はたまたま理解ある職場に勤務しており、偶然よい医師に出会い、公的支援を受け、自助グループにつながってよい仲間に出会えたことで「倒れずにすんだ」(P.109)と思いますが、”偶然”ではなく、必然的な支えがもっと差し伸べられるようになることを切に願ってやみません。

2014年6月にあった、60代の父親が就寝中の20代の息子を刺し殺してしまった事件、2017年、2018年に精神障害や知的障害がある子どもを長期間監禁していた事件に対して筆者は、

こうした事件が起きるたび、他人事とは思えない。精神障害者と暮らす家族の絶望の深さを感じる。

『妻はサバイバー』P.28

と述べています。自殺や刑事事件に発展せざるを得ない事例の裏には、筆者が経験したものと同じ「絶望の深さ」(P.28)がある。新聞やニュースで目にするだけの事件の裏に、この本に書かれているような壮絶な闘いと苦悶と絶望があることを、私たちはもっと想像するべきです。

凄惨な日々の中で、妻が過去のトラウマと向き合ったA4用紙13枚にわたる記録を読んだときのことを筆者は次のように述べています。

読んでいてつらかったが、最後まで目を通した。壮絶さに言葉を失った。「よく生きてくれた」と思った。

『妻はサバイバー』(P.73)

この時の気持ちが表題の『妻はサバイバー』につながったのでしょう。

「サバイバー」とは”生き残った人”という意味で、虐待や自傷行為、摂食障害などを経て生き抜いた人を意味するものです。
字面だけだとさらりと流されてしまいそうな言葉ですが、生き残る、ということは、亡くなる方が多くいるから使われるわけで、本書を読むとその言葉の持つ苛烈なイメージに胸を打たれます。

精神障害は他人事ではありません。それは誰にでも起こりえる。そうなったとき、当事者が、生き残る、ではなく、生きられるようになってほしい。そしてそれを支える家族もまた深い絶望から救われるように。

ただの当事者の記録ではない、そして決して他人事ではない本著。
摂食障害や精神障害の持つ根の深さを新たな側面から考えさせてくれる一冊です。


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