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秋の夜長の一冊(カウテル・アディミ「アルジェリア、シャラ通りの小さな書店」 平田紀之訳 作品社

あらすじ

(訳者 あとがき より)

エドモン・シャルロという、アルジェリア生まれのフランス人で一般にはあまり知られていない出版者の事業を掘り起こし、仮構の手帳を創造して彼の半生を生き生きと描き上げ(略)
シャルロの手帳を中心に据え、そこに、大学の実習単位を取るためにシャルロの元書店を解体整理しにやってきた、読書に関心を持たない現代の若者リヤドの物語を対置させ、さらに植民地アルジェリアの独立運動に対するフランスの抑圧の苛烈さを語る歴史的事件を断片的に挟んでいく。


  noteを始める前は、日本の文学を読むことが多かったです。

《人間が自然のなかに包まれてしまったような自然描写》(三島由紀夫「文章読本」)

が多い、という日本人作家の作風に因るものか、"この本から何かを学んでやろう"、という意識が常にどこかにあったせいなのか、距離をおいて読むことがなかなかできなかった気がします。
 
  そのため最近では、個人主義的傾向が強いヨーロッパの文学を、意識して距離を置きつつ読むようにしています。

この小説は、久しぶりに読んだ現代文学でした。1986年アルジェリア生まれ2009年~パリ在住の女性作家によるものです。

物語に入り込みすぎないよう気をつけながら読み終えると、ある特定の絵画や写真を初めて目にしたときと似た感覚がありました。
  それは、私にとっては、本とは、読書とは、出版とは、そして書くこととは?という問いに対する、今まで抽象的にとらえていたものに対する、「実体」のイメージでした。

本編の解説は長くなるので、登場人物の紹介として数ヶ所だけ抜粋させてもらいます。


エドモン・シャルロの日記

   一九三五年七月二十三日
(略)夫人は僕にわずか数千フランでこの事業を始めたと打ち明けた。同じことをアルジェリアでもやらなければならないだろう。(中略)つまり新刊と古書を売り、書物の貸出しもする書店。そして単に商売ではなく、出会いと読書の場所。
      一九三八年十一月三日
《真の富》書店は誕生日を祝う!僕らは初めの二年間を生きのびた。次の二十年も生きのびるだろう!シャルロ出版の在庫を眺めると誇らしい。収支決算をすると、誇らしさはぐっとしぼむ。(略)

   一九三八年十二月十七日
  今日もまた、最近の文学賞にしか関心のない客たち。彼らを新しい作家に親しませようと試み、カミュの『裏と表』を買う気にさせようとするが、まったく興味を持たない。こっちが文学の話をすると、向こうは流行作家の話で答える。

書店《真の富》の貸出し係アブダラー

それ以前、アブダラーは市役所の別館で、書類に判子を押す仕事をしていた。(中略)妻の死後、一九九七年にアブダラーは自ら希望してこの図書館に移動してきたが、当局は彼に、退職までここから動かすことはないという通知を送ってきた。そしてついに退職の日が訪れた。だが彼はここで忘れられたのだ。後任者は誰も来なかった。この職場を放棄するわけにもいかず、先の計画も行くべき場所もなかったので、アブダラーは不平も言わず、誰に何も訴えることなく、ここにとどまった。

   解体作業のために送られてきた青年リヤド
(アブダラーは20年《真の富》にいたので、2017年)

『書店を壊すこと、それが仕事、そうなのか?」
「スタージュなんです」
「スタージュ?君は書店の破壊者になりたいのか?そういう職業につきたいのか?」
「いえ、エンジニア志望です」
(略)
「本屋に入って何も考えないのか、君は」
「僕はただあそこを空けることになってる、あそこにある本を読んじゃいけないんだ」
「どこの大学でそんなことを教わったんだ」
「パリです」


物語中盤での会話

「あなたはここで働くのがすきだったんですか?」
 アブダラーは考えこんだ。
「ああ。何年ものあいだ、毎日この本たちは私といっしょだった。初めのうちは、毎晩、ここにある本を分類して過ごした。(中略)この場所が私にとってどんなところかを君に説明するのは難しい。みなはあまり知らないが、私は読書が好きじゃなかったし、いまだに好きだという自信はないけれど、本に囲まれているのは大好きだ。(中略)植民地時代には、フランス人のための学校は一つしかなかったし、我々が行けるのは一つもなかった。私はアラビア語を修道場ザーウィアで習った。そして、フランス語は、独立後に妻が教えてくれたおかげで、やっと習得できた。(略)私のようなものにとっては、読むというのは自然なことではないのかも知れない。人は本に触れることができるし、それを感じることもできる。ページの端を折り曲げるのをためらってはいけない。途中でやめるのを、またそこへ戻ってくるのを、枕の下に隠すのを……ためらってはいけない。私はそれができないのだ。今でもまだ、一冊の本を目にしたとき、まずそれを整理しようという反応が起きてしまう」


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