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『ストレス脳』アンデシュ・ハンセン 久山葉子 訳 新潮新書 (2022年7月20日発行)


感情はただの「任務」。


久しぶりの投稿になります。

ここ半年ぐらい比較的平穏な日々が続いており、精神のリカバリー期にしようかと特になにもせず本もほとんど読まずに過ごしてきましたが、リカバリーできる箇所はリカバリーできたような気がしたので久しぶりにこっち系の本を読みました。


冒頭の記述。

人類の歴史という名のフィルムを巻き戻して、25万年前の東アフリカに戻ってみよう。そこにある女性がいる。彼女の名前はエヴァだ。見た目はあなたや私とたいして変わらない。100人程度の集団で暮らし、食べられる植物を採集しては野生動物を狩ることで日々の糧を得ている。エヴァには7人の子供がいるが、そのうちの4人は死ぬことになる。息子の1人が出産時に死に、娘1人は重い感染症で死んだ。別の娘は崖から転落して亡くなり、ティーンエイジャーになっていた息子は争いに巻き込まれて殺された。エヴァの子供のうち3人が大人になり、合計8人の子供をもうけた。つまりエヴァには8人の孫がいる。そのうちの4人が大人になり、さらに子供をもうける。
同じことが1万世代にわたって繰り返され――、

この本で紹介したいのは生物学的な見地から人間の精神状態を理解する方法であり――

まえがき


本書は、500万年かけて進化してきた人間という生物が、ここ数百年の急激な生存環境の変化によって、

こんなに快適に暮らせるようになったのに、私たちはなぜ気分が落ち込むのか

同じく まえがきより

について考察し、分かりやすくまとめられた本です。



進化の横易な理屈によれば大事なことはただーつ、生き延びて子供をもうけることだ。そこに気づいた時、人間を見る目が完全に変わってしまった。私たちの身体は生き続びて子孫を残すために進化したのであって、
健康に生きるためではない。脳も同じ理由で進化したのであり、幸福を感じるためではない。あなたの心の状態や性格、友達の有無、食べ物や住まいがあるかどうかは、死んでしまったら何の意味もないことだ。脳が最優先するのは何しろ生き延びること。

「適者生存」とはどういうことか


新型コロナのようなパンデミックは狩猟採集時代には起きようがなかった。パンデミックというのは様々な場所から大勢の人が集まることが前提となる。だからといって狩猟採集民が感染を免れたわけではない。いや、免れたには程遠い。しかし当時の感染というのは動物から人間に広まったウイルスや細菌ではなかった。彼らが苦しんだのは汚染された食べ物や怪我からの感染。抗生物質がない場合、傷に黴菌が入ると悲劇的な結末が待っている。では、怪我をしそうなリスクがあった時、祖先たちは何を感じたのだろうか。そう、ストレスを感じたのだ。狩りの最中に感じるストレス、逃げる最中のストレス。急に勃発した争いごとのストレス。そういったことすべてが怪我のリスクを高めることを意味し、さらには傷に働菌が入ることにつながったからだ。
アメリカの精神科医チャールズ・レゾンいわく、人類の歴史のほとんどの期間、ストレスというのは身体にとって「感染リスクが高まった」という明確なシグナルだった。なお、免疫系は身体のエネルギーの15〜20%を消費するので、常に活発に機能させておくわけにはいかない。いつギアを入れるべきかを決めるために、ストレスが「さあ今だ」というシグナルになるのだ。

ストレスと感染症の関係 より


「感染」とは身体が感染性物買、つまり細菌やウイルスに冒されている状態だ。一方「炎症」というのは物理的に圧迫されたり、怪我をしたり、毒や細菌、ウイルスによる攻撃など、あらいる刺激に対して身体が返す答えだ。つまり炎症は感染によっても起きるが、別の要因によっても起きる。
(略)
身体のどこが炎症を起こしているにしても、次のようなことが起きる。組織が損傷したり、圧迫、細菌、ウイルスによって影響を受けた細胞は、サイトカインという形で緊急シグナルを発する。その部分への血流を増やして、白血球に侵略者を倒させるためだ。
(略)
炎症は多くの病気において中心的な要素なので、なるべく起きてほしくないと思うだろう。しかしそれは大きな間違いで、私たちは炎症なくしては生きられない。とはいえ、良いことも度がすぎると良くないのは世の常だ。炎症が長期間続くと問題が生じてしまう。心筋梗塞や脳卒中、リューマチ、糖尿病、バーキンソン病、アルツハイマー型認知症などは長く続いた炎症が主な原因になる病気のほんの一部だ。
(略)
歴史的に炎症を起こしてきたもの――細菌やウイルスそして怪我は、ほとんどの場合、一過性のものだ。しかし現代の要因—―ずっと座っていること、肥満、ストレス、ジャンクフード、喫煙、環境汚染物質などは長く続く傾向がある。体内のプロセスとして歴史的には短期的だった炎症が、今では進化で適応してきたよりも長く続くようになった。身体が炎症の原因を見分けられれば、免疫系を無駄に起動させなくてすむのだが、問題は身体が「炎症は炎症」と捉え、現代のライフスタイル要因を細菌やウイルスに攻撃されているのと同じように解釈してしまうことだ。
身体はつまり、炎症が感染によるものなのか現代のライフスタイル要因によるものなのかを見分けることができない。同じことが脳についても言える。現代の炎症要因でも、細菌やウイルスに攻撃されている時と同じシグナルが脳に送られてしまう。そのシグナルが長く続きすぎると――そして現代の炎症要因というのは長期的なものだから――脳は「命が危険にさらされていて、常に攻撃を受けている!」と誤解してしまう。そこで脳は気分を下げるという調整を行い、私たちを引きこもらせようとする。精神的に立ち止まらせ、その状態が長く続く。何しろ現代の炎症要因というのは自然に消えてくれることはないのだから。結果として長期的に精神が停止状態に陥る。つまり私たちがうつと呼ぶ状態だ。

うつのリスクはこうして高まる

なぜそうなるのかは断言できないが、ここでもまた過去に目を向けてみると信憑性のある説明が見つかりそうだ。地球上にいた99・9%の時間、私たちは生き延びるためにお互いを必要としてきた。自然の脅威や災害を生き延びたわずかな人々――だからこそあなたや私の祖先なのだが――彼らは一緒に生き延びてきたのだ。あなたが今この本を読んでいられるのは祖先たちが協力し合い、お互いを守ってきたからだ。集団は生存を意味し、社会的な絆を大切にしたいという強い欲求をもっていれば命をつないでいけるオッズが高かった。脳はつまり集団に属すと幸福感という報酬を与えてくれるが、それはまったく自己中心的な理由によるもので、集団でいれば自分の命を守れる可能性が高いからというだけだ。つまり孤独によって感じる不快さは、脳があなたに「社交欲求を満たせ」と語りかけてきているのだ。

「社交欲求」が存在するわけ




つまり感情というのは実はただの「任務」にすぎない。生き延びて遺伝子を残せるように、脳が感情を使ってその人を行動させるのだ。

感情が人を動かす

あなたの目は1秒間に少なくとも1000万個の情報を脳に送っている。まるで超高性能の太い光ケーブルがひっきりなしに視覚刺激を送っているようなものだ。他にも太いケーブルが何本もあって、聴覚、触覚、味覚、嗅覚、触覚からも情報が送られてくる。それに加えて、全身の各器官からも情報が集まってくる。(略)それをすべて処理するために信じられないほどのキャパがあるのだが、ボトルネックもの存在する。それはあなたの注目だ。あなたは一時に1つのことにしか集中できないようになっている。頭の中に大きな考えを1つしかもてないのだ。だから脳はあなたが知らないうちにたいていの仕事を勝手にやってしまい、そのまとめを感情という形で提示してくる。

知性はオートマ化されている


身体がどれだけのエネルギーを得られるかは、口にする食べ物の量だけでなく、エネルギーの消費量にもよる。運動をするとエネルギーを消費してしまう。だから私たちは先天的に怠情なのだ。脳はお菓子の棚のカロリーを全部食べてしまいたいと思わせるし、無駄にカロリーを燃やさないようソファに座ったままにさせもする。だが太りすぎの人はカロリーか余っているはずだ。なのに、なぜ休ませておこうとするのだろうか。それは人類が歴史上ほぼ絶対に太りすぎることがなかったからだろう。

なぜ人は歩かなくなったのか

幸せになるために最大限の努力をしたいなら、一番重要なのは幸せを無視することだと私は思う。幸せなんて気にしていてはいけない。そのほうが幸せになる可能性が高まる。
脳は何かが起きるのを待っているわけではなく、何が起きるのかを予測している。それからその予測と実際に起きたことを照らし合わせる。例えばあなたが今、自宅でバスルームに入るところだとしよう。入る前にはもう脳がバスルームの記憶を取り出し、自分の知覚が感じるはずのことを心積もりする。そして実際にバスルームに入った時には、自分の予測とバスルーム内で見えて聞こえて感じたことを照らし合わせる。あなたが受けた印象と脳の予測が一致していれば何も反応しないが、違っていたとしたら、あなたははっとするはずだ。
何が起きるかという脳の予測、それと実際に起きたことを延々と照らし合わせるのが私たちの人生なのだ。
(略)
つまり私たちは起きていることを客観的に分析しているわけではなく、自分の期待と経験を比較するよう、神経生物学的に厳密にプログラミングされているのだ。当然のことのように聞こえるかもしれないが、多くの人がそのことを忘れている。大学で経済を学んでいた頃、教授たちがいつも講義で言っていたのは「人間は合理的な生き物で、常に少ないよりも多いほうを好む」ということだった。私はその後、医者そして精神科医になり、それが間違っていることに気づいた。私たちは少ないより多いほうを好むわけではない。私たちは「隣の人より多い」のを好むのだ。つまり自分がどのくらい幸せかは、周りの人の状態による。あなたもきっと自分のアウディを自慢に思っていたはずだ
――お隣さんが玄関前にテスラの新車を停めるまでは。

幸せの罠

「幸せな気分でいること」は人生で最も大切なことの上位に必ず入ってくる。しかし幸福感というのは、進化の工具箱の中にある工具の1本にすぎない。しかも消えないと使い物にならない工具だ。つまり常に幸せな気分でいることは、調理台のバナナがあなたを一生満腹にしてくれるくらい非現実的なのだ。

幸せが永遠ではない理由


私個人について言うと、今のところ幸いにも長期的な不安や孤独を感じることなく人生を過ごしてきましたが、心や脳について自分の思考とは違う観点で書かれたものを読んで脳の一部が最適化されたような気分です。調子の好いバイクのエンジンのような回転を感じることができました。(機械とは違うので、またすぐに"感情"の靄によって進む方向が分からなくなる気はしますが、、)生物としての機能と現在の環境が一致する瞬間を作品にすることを目指し、健康と運に任せて自分のペースでやっていきます。

追記。

純情な感情が空回りするのは、当然だということに気づきました。


(本書に書かれているものとは順番を前後して引用し、太字も、私自身が後で読み返すときのためのもので、本文中、強調されているのもではありません。)

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