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岸田ゼミで最後に学んだのは、人の弱さと優しさだったのかもしれない

昨日、Nサロン3期の岸田奈美さんによるゼミ「自分の文才の見つけかた」の三回目が開催され、こちらのゼミは終了となった。

ゼミの内容については素敵グラレコと

素敵メモを置いておくとして。

そもそも私がNサロンに入ることにした決め手は岸田さんのこのゼミ。

毎回、文章を書くにあたっての自己分析や大事にすべき基礎、「面白い」文章とは何か、うまい文章を書くために必要なことなど、軽妙な語り口で伝えてくださった岸田奈美さん。

でも、今日はいつもより話すスピードが控えめで、講義を聞きやすくするために意識して話してらっしゃるのかな?と思っていた。

すると講義の終盤、「そもそも文章を書いて評価されるのはしんどい」というお話のところで、ご自身の「しんどさ」を吐露された。

そのお気持ちはその後公開されたnoteにも。

私が岸田さんを知ったのはこちらのnote、

岸田さんはこの約1ヶ月前、6/13に最初のnoteを投稿されている。

つまり、今から約一年前。

たった一年でnoteのフォロワー3万2千人超え、現在のTwitterのフォロワーは8万3千人を超えている。

「たった一年で」と書いたけど、岸田さんの魅力あふれる文章は、それよりも前から試行錯誤を繰り返し練られたものであり、岸田さんの歩んできた人生から紡ぎ出されたもの。

しかし多くの人はこの期間やフォロワーといった「数値」で「岸田奈美」を判断するのだろう。
それが、好意的でも、そうでなくても。

そしてその「数値」にインパクトがあればあるほど、人はそこにいる「個人」を忘れ、「コンテンツ」のように感じてしまう。

そしてそこに「人格」があることを忘れて、バッシングする人もでてきてしまう。

あるいは、好きだったからこそ、相手の存在が大きくなり、それまで見えていなかったスタンスの違いが見えた時、「裏切られた」と、相手を受け入れられずに拒否してしまう。


そもそも私は、人と人は分かり合えない、と思っている。


私は私の気持ちを100%言語化、文章化できないし、仮に今時点での気持ちを100%言語化、文章化したとしても、次の瞬間には変わってるかもしれない。

そしてそれを受け取った相手が、100%間違いなく読み解き理解する、なんてことも不可能だろう。

でも、だから、好きな人には少しでもわかって欲しくて、好きな人を少しでもわかりたくて、言葉を紡ぐし、話を聞くのだ。


最後のゼミで「今の自分」の等身大の「しんどさ」を吐露した岸田さんは、「岸田奈美」というコンテンツではなく、「作家・岸田奈美」であり、「人間・岸田奈美」だった。

「文章を書くこと」でしんどくなっているときに、「文章を書くこと」を丁寧に教え、それでも「文章を書くこと」はしんどいから無理しないで、と言いながらも「文章を書く」。

「文章を書くこと」はしんどいけど、同時に「文章を書くこと」で救われもする、書かなければ生きていられない、「人間・岸田奈美」の姿がそこにあったのだと思う。


「自分の文才の見つけかた」という講座で、しかも日経新聞とnote主催のサロンのゼミで、「しんどかったら書かなくていい」と言い切るのは優しさでしかないなと思った。

(日経さんとnoteさんは「いやいやいやいやいや」って心の中で思ったかもしれないけど)

単純に、「ああ、やっぱり好きだな」と思った。

そして、このゼミが終わることが、本当に名残惜しく、寂しい気持ちでいっぱいになった。


岸田さん、私はあなたの文章に救われた一人です。

少し似た境遇なので、「この人はこんなに人をhappyにする文章を書けるのに、私はダメだな……」と思ったことも、実はちょっとありましたが、このゼミで少し、自分を好きになれた気がします。

本当にありがとうございました!


岸田さんの周りに、いつもあたたかい空気が流れますように。


……これから暑くなるから迷惑かな?

いつもちょうどいい快適温度の空気が流れますように!


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