「学歴=努力」は違うと思う。【生きる力】 【学歴差別・教育格差】【2段階の区別】
こんにちは。
というか初めまして。
日本の教育について、海外の教育を日本に取り入れることについてなどなどに興味があるただのJKです。
その根本となったのは受験です。これもまたいつかnoteに書こう。
文科省の改訂版学習指導要領より「生きる力 学びのその先へ」 これには努力するということを教えること、努力を積み重ねることを教えることをもっとしっかりと含める必要があると思うのです。
私は「学歴=努力」が違うって言える理由はこれ。今日、たまたま日本の某トップ大学の人が「学歴は差別じゃなくて努力量の区別」ってSNS上でおっしゃっているのを拝見して、いろいろちょっと違うよな〜って思ったので言語化。
そもそも努力の真理とはなんなのだろうか。確かに人は努力ができる人材を求めるから、努力の経歴=学歴として人間をふるい落とすのか。。。
めちゃめちゃ擦られたありきたりなことを言いますけど、
やりたいことに向かって一生懸命頑張っている人はステキじゃないですか!!((きらーん))
そりゃ採用したくなる。就職に限らずね。
だから努力で区別されるのは必然的で普遍的だと思います。
ここでまず言っておきたいのは最初からされている先天性区別(=一般的な”差別”や”格差”に近いもの。”黒人と白人”みたいな。)という状況と、努力量で区別をされる後天性区別(=採用通知みたいな。)という状況の2段階あるということ。
目標に向かって努力ができた人ってどんな場所でも割と通用するって聞くじゃないですか。私もまだなんとなくしかわからない部分もありますが、75%くらい同意したいです。
でも努力できる場所って大体学校以外の習い事、スタジオ、塾とかだよな〜って。だって今の公立の小中学校だったらそこまでのレベルに至らないというか。
まあ最低限特定の部活があるくらい。
それな!!
ってなってくれてたら嬉しいんですけど。。。笑
例えば貧困や家庭内の事情で学校に通えないっていう子はたくさんいるじゃないですか。現に厚労省の「平成28年度 国民生活基礎調査」によると子供(17歳以下)の貧困率は約14%。大体7人に1人、クラスに4人。
こんなにも先天性区別があったら努力量が変わって後天性区別に影響するのなんてあたりまえ体操すぎるじゃないですか()
だってお金がなかったら塾にも通えない、デバイスやWIFI環境なかったらスタディプラスも使えないし、とある男さん(=教育系YouTuberの方)も見れないじゃないか!!((いつもお世話になってます
今述べたのはあくまで”受験に向けての努力”の話ですが、スポーツとかスタートアップとかだったらもっと先天性区別が大きく影響する気がします。
結局何が言いたいかというと、学歴だけを見て努力を量って欲しくないし、努力を学歴だけに重きを置いて欲しくないということです。それと、元々の環境によってその後の努力量は変わってしまい、その人の略歴にもひびき、おそらくその子供にも、孫にも負の連鎖は続くでしょう。
先天性区別に恵まれていた子は必然的に後天性区別にも恵まれるででしょう。
子供の努力量にだけつながるExtra Moneyみたいな制度できないかな〜って。JKだからこんなことしか言えなくてすみません。
今後書きたいですけど、なんで奨学金や高等教育の修学支援新制度というものたちで学歴の努力だけが保障されているのでしょうか。。。
教育系Instagramやってます(まだまだ未開地区)
*アカウント*aoharu_ren
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