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ショートショート:二回目の殺人

 この国では一回目の殺人は無罪となるが、その代わり二回目では即刻死刑となる。

 一見すると乱暴な法にも思えたが、かえって世の中は良くなった。

 学校ではいじめが減り、会社では横暴な上司が減った。政治家は不用意な発言を控えて品行方正に振舞うし、有名人も同じだった。

 誰かから恨みを買うような真似をすれば、なんの躊躇いもなく殺されるかもしれない。しかも相手は何も咎められずに。

 心のどこかでそう思うと人は次第に大人しくなっていた。むしろ周りの人を助け合い、優しさを振りまき始めた。

 そうしておけば、急に殺されるような事態は起こりにくいからだ。殺人の定義も少し変わったにせよ、自分が殺したいと思えるような相手もいなくなって、この法は理想的な世界をもたらした様に見えた。

 だがドンだけはその抑止を恐れない男だった。一回目の殺人が赦されるのなら、その事実を上手く使ってやろうと考えて生きてきている。

 学生の頃は自分を評価しない教師にナイフを突きつけて、成績はいつも首席。気に入らない同級生もナイフの背で軽く首を撫でてやると、ドンの言いなりにならない者はいなかったし、それか学校に来なくなるだけだった。

 会社に入ってからは営業の仕事に就いたドンはまさに天職だと実感して過ごしている。

 なかなか首を縦に振らない取引先。営業成績抜群の同僚。自分を目の敵にする上司。全員、ナイフを見せればドンの悪いようにはしなかった。

 誰かを実際に殺すまでもなく、いつでも殺せるという姿勢だけドンは何もかも思い通りになった。

「いやね、私もこんなことは言いたくはないのです。ただ、どうしても、これだけは言いたい。私はこれだけ会社の為に頑張っているのに、どうしてこれっぽっちの評価なんでしょうか」

 ある朝ドンは給与明細をしわくちゃになる程握りしめたまま、上司のデスクに詰め寄った。営業成績次第で手当てが付くはずが、今月は殆どその手当てが付いていない。

 ドンは直ぐに頭に血が上り、デスクからナイフを取り出して上司のもとに駆け込んだのだ。

「これは、その、給与体系が変わったからだ。仕方のないことだよ」

 明らかに上司の顔色は青ざめて、脂汗が額から滲んでいる。視線はずっとドンのナイフの切っ先を追い続けたままだ。

「給与体系が変わった?その割には他の社員は不満一つなさそうに見えますが」

 そう言うとドンはナイフをデスク上の書類の山にに突き立てた。よほど力がこもっていたのか、ナイフは深々と書類に突き刺さる。

 周りの同僚たちは一斉に息をひそめ、辺りは静寂に包まれた。

「わ、私の一存で決めた訳ではない。これは…」

「あなたが決めなかったら誰が決めるんです?私の仕事を見てもいない誰かが決めるんですか?」

 ドンも次第にエスカレートしていった。コイツには俺の言うことをちゃんと聞かせなきゃだめだ。そんな考えがよぎる。

「これはもう決まったことだ。変えろと言われてできるものではない」

 消え入りそうな声でも、何とか上司としての威厳を保とうとしている様子だけはドンにも伝わってきた。

「そうですか、そこまでおっしゃるのなら仕方がない」

 ドンの言葉を聞いて上司の顔に少し血の気が戻った瞬間、ドンは上司のネクタイを引っ張って思い切りナイフを振り上げた。

 誰かの小さな悲鳴が聞こえたが、ドンに躊躇はない。

 だがナイフが切り落としたのはネクタイだった。

「次の評価はお願いしますね」

 極めて冷静にドンが言い放つと、茫然としていた上司の顔がみるみるうちに怒りに燃え出した。

「ふざけるな!」

 そう言ってドンに飛び掛かかる。今まで一度も反撃されたことのないドンは慌ててナイフを振り回したが、気が付けば上司の胸に深々とナイフが刺さっていた。

 それから直ぐに警察が来て、ドンは連れていかれた。警察署につく頃にはドンは冷静さを取り戻していて、何事も無かったかのように振舞っていた。

 自分は一回目なのだ。何の罪にもならない。ただ、今まで通りの脅しは使えなくなる。そんなことを思いながら事情聴取を待っていた。

「あんた思い切ったことをしたな」

 中年の刑事がドンのいる取調室に入りながら声をかけた。

「正直言って、あれは事故です。ですが殺してしまったのは事実ですから、それは認めざるを得ないでしょう」

「ふん、なかなか潔いな。もっとこう、二回目は必死なものだと思ったが」

「二回目?私は今日が一回目ですよ」

 ドンは目の前の刑事が何を言っているのかさっぱり分からなかった。これまで脅しはしても実際に殺したことは、記憶のどこにもない。

「調べてみたが、あんたが学生の頃にいじめてた同級生が一人自殺してる。遺書も証言も揃ってるぞ。自殺だろうとあんたが原因なら、それも立派な殺人なんだよ」

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