ショートショート:遺言

「旦那様、お客様がお見えになりましたがお通ししてもよろしいでしょうか」

 穏やかな午後の日差しが差し込むテラスでうたた寝をしていたカネムラ氏は、執事の呼びかけで目が覚めた。

「今日は誰かと約束があったかな」

「例の遺言の件でお約束があったかと存じます」

「あぁ、そうだ、忘れていたよ。応接間にお通ししてくれ」

 執事はその言葉を聞いて踵を返し、客人を迎え入れる為に玄関ホールに向かっていった。

 カネムラ氏はあくびを一つしてソファから立ち上がった。そばにあった鏡で自分の白髪を整えてやると、応接間に向かって客人を待つことにした。

 それから数分と立たないうちに執事に連れられたスーツ姿の男が一人、応接間に入ってきた。

「やぁ、ようこそおいでくださった。どうぞおかけください」

 カネムラ氏は立ち上がって男をソファへと手招きする。男は笑顔を浮かべながらそそくさとカネムラ氏の元へと寄っていった。

「本日は貴重なお時間を頂きまして大変ありがとうございます。私、ラストワード社のイトスギと申します」

 そういってイトスギは名刺をうやうやしく差し出すと、カネムラ氏もそれ受け取って二人は着席した。

「この度は弊社のサービスにご興味を持っていただきありがとうございます」

「私の友人のトミカワという男がもうそちらのサービスを契約したようで、お前も話を聞いてみろと勧められたもので」

「はい、トミカワ様からもお話しは伺っております。カネムラ様ほどに資産をお持ちの方でしたら、弊社はきっとお役に立てると考えております」

 それからイトスギはサービスの内容を持ってきた資料と共に詳しく説明し始めた。

 ラストワード社のサービスは一つ。それは遺言サービスだった。

 それもこれまでのように弁護士や銀行に依頼して、あらかじめ遺言書を作成するのではなく、本人の死の直後に遺言を聞くというものだ。

「どうにも不思議な感じがするのだが、本当に死んでしまった後に遺言を残せるのかね?」

「はい、人間は死の直後であれば適切な処置を施すことで、脳を少しの間生き永らえさせることができるのです。これまでは脳だけを生かしたところで何もできませんでしたが、弊社の研究によって会話をすることが出来るようになったのです」

 イトスギはタブレットで実際の様子を撮影したビデオをカネムラ氏に見せた。

 そこには人工呼吸器で繋がれた老人が病院のベッドで息を引き取る瞬間が映っている。呼吸が段々と浅くなり、老人は深い眠りについたようにも見えた。

 すかさず傍にいた医師が手元のマイクで「聞こえますか」と問いかける。

「聞こえています」

 機械合成の声ではあったが確かに返事がある。

「これは凄い。本当にこんなことが出来るのか」

「ですが会話が出来るのはほんの数分ですから、早く遺言を聞かなければならないのが問題ではありますが…」

「とはいえ、これなら安心して遺言を残せる。文章を早くからしたためておくと、後から内容を変えるのも一苦労だ。それにこれなら遺言を残し忘れることもない。その場で言えばいいのだからね」

 最近物忘れが酷くなってきたせいもあってか、このサービスを直ぐに気に入った。契約料は安くはなかったが、カネムラ氏はその場で契約した。

「遺産相続は悩ましいことが多いですので、これでカネムラ様のご不安が少しで解消できましたら幸いです。ご家族の皆様もきっとご安心なさることでしょう」

 イトスギは嬉しそうに契約書を鞄にしまい込むと、笑顔でその場を後にした。

 カネムラ氏もこれで一安心と、ちょっとした満足感を得た。早速家族にも伝えて「私が死んだ後のことは安心しなさい」と得意げだった。

 それから十数年後、遺言サービスのことなどすっかり忘れた頃にカネムラ氏は静かに息を引き取った。

 カネムラ氏の家族が集まって、カネムラ氏の眠るベッドを囲んだ。医師から臨終を告げられると息子はマイクを手に取って父に話しかける。

「父さん、聞こえますか」

「あぁ、聞こえるよ」

「早速だけど、遺言をお願いします」

「遺言?あぁ、しまった。遺言を考えるのをすっかり忘れていた」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?