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#114 なんでやねん。

 こんにちは、鏑木澪です。

 今度は、羽ばたく鶴を折ってみました。

 単に、撮った写真の枚数がこれまでより多い(90枚くらい)という話なのですが、「おう、がんばったぞー」と思っていたのに、

 普通に10秒で撮れる10秒の動画のほうが閲覧数多いやないけー!
(「いいね」も多い←五十歩百歩)

 どうして。
 どうしてなの。

 ……あれですね。

 真面目にテスト勉強して受けたテストよりも、何も勉強せずに受けたテストのほうが点数がいいみたいなやつですね。
(学生時代、こればっかりだった。真面目にやるほどダメ←)

 

 まぁ、いっか。


 本当に、子供の頃はこれをパタパタするだけで楽しかったので、お得だったなと思います。

 とかいいながら今でも楽しいので、動画を撮り終わった後、しばらくパタパタして遊んでいたのは内緒です。←

 尻尾引っ張ったらパタパタするだけなのに、何がそんなに楽しいんでしょうかね?

 今となっては、「パタパタすること自体が楽しい」わけではなくて、「あの頃は、これで楽しかったんだよな」と懐古的な行動をとっているだけな気がします。

「あの頃に戻りたい」みたいな気持ちが、少なからずあります。

 いや、今の記憶を保って過去に戻れるとしても、
 もう一回、あれをやるのは、嫌だなぁ。

 私は、変えたい過去のある人間です。

「まず、学校には通わない」
「部活もしない(学校に行かないなら、そもそもしなくていい)」
「もっと本は読むかな」
「(幼稚園の頃に辞めてしまった)ピアノは続ける」
「学校に行くとしても、高校と大学は変える」

 小さなことはもっといくらでもあるのですが、やはり一番はこれだと思います。

「私を大切にしてくれる人との時間をもっと大事にする」

 私を使い捨ての駒とか、使い勝手のいい道具だとか、出世のための踏み台とか、そういうふうに利用するだけの大人に注意して、都合よく使役するだけの歳の近い子たちからも距離を置き、私がそんな人たちのために時間を使っていることを心配して優しく接してくれていた人たち、私が蔑ろにしてしまった人たちとの時間を取り戻したい。

 そんなことを延々、考えている時期がありました。

 これからやりゃあいいんだよ。
 まだ、手の届かないところに行ってしまった人は、殆どいないんだから。

 やるっきゃねぇ。




 まぁ、なんだろうか。

 もういいや。
 しんどい。

 消えたい。

 そう思う時があっても、

 もうちょっと、

 あと1日、1分、1秒……

 待ったところで、世界は何も変わらないんだけども。

 誰かの言葉とか
 誰かの行動とか
 誰かの物語とか
 誰かの歌とか

 そういうもので、ちょっと見え方が変わって「まぁいいか」と思えることが稀にあるから、それを楽しみに、今の私は生きてるのだと思います。

 私もそういうものを提供できる側の人間でありたいなと思いながら。


 大風呂敷が広がりそうですが、畳めなくても広がらないよりはいいかなと思っています。(笑)

 まだ畳み始める時期でもないですし、とりあえず広げていきます。

 ではでは〜


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