#94 誰かって、誰?

 こんにちは、鏑木澪です。

「ひとりでやるより〜」という話を聞くたびに、正直、虫唾が走ってきた人間が通ります。


 私は、小説を読むのが大好きなお子様だったもので、

「仲間と一緒に何かをすれば、きっと素敵なことが起きる」
「仲間と協力すれば、きっとひとりではできなかったことを成し遂げられる」

 そしてなりより

「誰かと一緒なら、楽しく生きられる」

 物語の中で、孤独な人物が最後まで孤独であることを許されたことは滅多にありません。

 人との関わりが人を変える

 依存するのではなく
 互いに少しずつ迷惑をかけながら

 支え合って生きていく

 人間のそういった姿に憧れを抱いていました。
 自分もそんなふうに生きたいと思っていました。


 いや、無理くない?


 人間は、”仲間はずれ”を作ることで”仲良し”になるのが、一番手っ取り早いと個人的に思っています。

 そうした場合、私は”仲間はずれ”の役割を担うことが多かったと感じています。

 自ら進んでそうしていた時もありました。
 それでみんなが仲良くなってくれるなら、そのほうが良いと思ったからです。

 結果、私には”仲良し”がいません。

「ひとりでやるより〜」な人たちが群れて、”仲良し”を続けるためにできることを考えている間、私は”ひとりで”「やるべきこと」を考えていることが多かったです。

 誰かと協力するより、ひとりでやったほうがいいじゃん。

 そう思うようになったのは、いつからだったか、私は、

「誰かとやって、失敗したこと」
「ひとりでやって、成功したこと」

 脳内にこのようなリストを作ってしまいました。

「誰かとやって、成功したこと」
「ひとりでやって、失敗したこと」

 こちらにカウントするべきものがなかったとはいいません。

 しかし、圧倒的に数が多いのは「誰かとやって、失敗したこと」であって、「誰かとやって、成功したこと」ではありませんでした。

 話が違うじゃないか。

 物語の世界では、「ひとりでやって、失敗したこと」が「誰かとやって、成功したこと」になって、仲間の大切さを知るはずです。

「誰かとやって、失敗したこと」が、「ひとりでやって、成功したこと」になるとは、何事ですか?


 ここにきて、私は「誰かって、誰?」と考えるようになりました。

「”誰か”=他人(自分以外の人間)」と考えていたのが、以前の私です。

 これってどうなのでしょう?


 受験の面接、就職活動の面接。
 こういった時に聞かれる「あなたの成功体験」のお話。

 仲間と協力して、こんなことを成し遂げました。

 ”仲間と協力して”を枕詞にすれば、試験官にウケること間違いなしです。
(今はどうか知りませんが、私がそれらの試験を受けた時にはそうでした)

 ん、仲間?
 ”誰か”じゃなくて?

 思い返せば、「誰かとやって、成功したこと」は、私が「仲間だ」と思える人たちと取り組んだことだったような気がします。

 相手も私のことを「仲間だ」と思ってくれていたかどうかは、わかりません。

 仲間は、友達ではなく「同志」と表現するのが適していると思います。
 ただ一緒にいて楽しい人たちではなくて、志を同じくする人たちです。

 ”誰か”なら、そこらじゅうにいますが、”同志”は簡単には見つかりません。


 私は、「誰かと一緒なら、楽しく生きられる」と思っていました。

 しかし、実際は「同志と出会えたら、幸せに生きられる」のだと思います。

 そんな人と出会えたら、『一年生になったら』のように「ともだちひゃくにんできるかな」をしなくても、私は笑えるし、私の世界は震えます。

 うわぁ、脳内お花畑ですね。

 物語の世界ですか?←

 同志なんていないと思ったほうがいいから、”誰か”を探して頼ろうとしてしまうのでしょう。

 私が「ひとりでやるより〜」を聞くと不快になるのは、

・こいつにやらせて自分は楽をしてやろう
・群れに馴染めないやつはかわいそう

 そういわれているように感じるからだと思います。

 私がこれまで出会ってきた仲間でもない”誰か”と群れている人たちは、他人を都合よく利用するだけでした。

 人間が群れるのは、分業して効率よく作業を進めるためです。
「ひとりでできる」のであれば、群れる必要はありません。

 私は「群れたい」のではなく、「支え合いたい」のです。

 子供の頃から、なにも変わっていないようですね。(笑)


 現実は、物語とは違います。

 同志は、いちいち名乗りをあげて近くに来てくれない場合もあります。
 そばにいて、一緒に活動してくれる人だけが、同志ではないようです。

 創作活動を始めて良かったのは、身の回りの小さな世界で「同志がいない」と嘆くのをやめてもいいかなと思えるようになったことかと思います。

 もちろん、自分のやりたいことができるのは嬉しいです。

 ただ、ひとりでできる喜びと淋しさを行ったり来たりしているような感覚が常にあります。

 淋しさから喜びに戻ってこられるのは、応援してくださっている方々のおかげだと思うのです。

 淋しさに流れてしまうのは私の弱さですが、その不安定なところから作品が生まれている気がするので、バランスを大事にしていきたいと思います。

 まぁ、全ては私の妄想かもしれませんが。(笑)

 小さな幸せに気づける人間でありたいです。

 ではでは〜


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