#95 物語のリアリティ。

 こんにちは、鏑木澪です。

 昨日は久しぶりにたくさん本を読みました。
 漫画も併せてですが、20冊くらいは読んだと思います。

 楽しいぃ。。。

 やはり、物語はいいですね。

 映像で観るのもいいですが、小説だと情報が文字だけですから、読む人によって見える景色は違うわけで、自分だけの世界を旅しているような気持ちになります。


 私から読書の習慣がなくなってしまったのは、「展開が読めすぎてつまらない」と感じるようになってからでした。

 昨日読んだ本の中にも、「予想外の展開」になった物語は正直ひとつもなかったです。(え、偉そうにいうつもりはないんです。どうか、殴らないで……)

 以前にもこういう話は何度かしています。

 おそらく、「お前の”展開が読める”は、どのレベルだよ」と思っている人もいるでしょう。

 冒頭部分を読んだだけで、その後の展開を全て予想できるなんてことは、さすがにありません。

 私のいう”展開が読める”は、「選択肢が見える」と表現するのが正しい気がします。


 まず、プロローグで与えられた情報から物語の構造を考えます。

 例えばここで、「この物語は、”黄金の羊”だな」と思ったら、何かを探して旅に出た主人公は、最終的に自分自身からその答えを見つけ出すことになります。

 何を探しているのか、その答えは何かといったことまで、早々に予想することはできませんが、「自分に還ってくる」という予想は滅多に外れません。

 そんなに大雑把な予想なら、そら当たるだろうといわれるかもしれません。

 自分にもそれくらい予想できると思った人も、たくさんいると思います。

 物語の構造は、それほど種類が多くありません。
 それなりに物語に触れてきた人であれば、同じ構造を何度も目にしていると思いますから、容易に見当をつけることができるはずです。

 次は、展開の話をしましょう。

 物語のなかで「どうしてすぐに、どいつもこいつも恋愛をし始めるんだ」と思っていた時期が、私にはありました。

 恋愛ものでもないのに、登場人物たちが恋に落ちていくのは、作者がサブプロットを”恋愛”にしているからです。

 サブプロットが動き始めるのは、主にメインプロットで最初のターニングポイントを迎えた後です。

 ターニングポイントで衝撃を受けるのは、主人公だけではありません。
 大きくお話が動いた後ですから、読者も衝撃を受けています。

 これを和らげつつ、作品のテーマを伝えて前進させていくのがサブプロット(恋愛)です。

 サブプロットが動き始めたら、束の間の平和な時間が流れます。
 物語の折り返し地点が来る前の安心できる時間です。

 そして、物語の中間を少しすぎたあたりでよくある展開といえば、「主人公が大切なものを失う(or失いそうになる)」ではないでしょうか。

 個人的に、ここが一番好きなパートだったりします。
(性格悪いな。ドMか?←)

 ここではしばしば、”死”が描かれます。

 物語の結末に向かっていく主人公が、目的を達成するのに必要な力を手に入れたことを自覚させるために、主人公の近くにいる強い力を持ったものが排除されるような展開になることが多いです。

 大切に育てていた花が枯れる、大事なネックレスが切れるなど、一見ささやかな変化である場合もありますが、そこに”死の気配”を感じ取ることができます。

 これがテーゼとアンチテーゼを融合させるきっかけとなり、物語は解決(ジンテーゼ)へと向かっていくのです。

 これを踏まえると「どうして、この登場人物はここで死んでしまったんだ!ッ」とショックを受けることは殆どなくなります。

 登場時に、「この人は、こういう役割になるだろうな」と予想できるからです。

 つまり、「こういう人が出てきたということは、このようなエピソードがここのタイミングに挿入されるだろう」と想像するのは、それほど難しいことではないのです。

 物語に偶然はありません。
 全ては必然です。

 最後に、キャラクターについて考えていきます。

 主人公と聞いて、どんな人物を思い浮かべるでしょうか。

 良い人、悪い人
 優しい人、怖い人

 大きな括りではポジティブな言葉が当てはまる人物が主人公になっている場合が多いと思いますが、そうでない場合もあります。

 彼らに共通していることがあるとすれば、「好かれる人物」であることです。

 完璧そうに見える主人公が弱みを見せた時
 性格の悪い主人公が優しい行動をとった時

 要は、ギャップです。
 これにより物語の登場人物たちだけでなく、読者も魅了されてしまいます。

 加えて、主人公には原始的な動機があります。

 有り体にいえば、「死にたくない」「目合いしたい」です。

 この上にもっともらしい皮を被せて歩かせるわけですが、どう頑張っても根っこにこのどちらか、もしくは両方を想起させるような性質を強く持っているほうが、存在感の強いキャラクターになると思われます。

 以前、物語において「生死」と「性交」を描きすぎているといった話題を目にした記憶があります。

 全くその通りだと、(現時点での)私は思います。

 そもそも、これらの欲求が今でも”原始的”(本能)と呼べるのでしょうか。

 自分の命より他人の命を優先したり、愛のない肉体関係を否定したりするのは、本能ではなく、文化です。

 これについて話し始めると長くなりそうですから、今回はやめておきます。


 こういう余計なことばかり考えているから、読書が楽しくなくなってしまったのかもしれませんね。

 小説の読み方は、大きくわけて2種類あるそうです。

「共感(主観的)」と「分析(客観的)」です。

 私はもともと主人公に自分を重ねて、共感しながら読んでいくタイプの人間でした。

 それが、自分も小説を書こうと思ってから精読するようになり、「主人公に感情移入しない」ことを意識して本を読むことが増えたのです。

 淡々と文字を追いかけていると

「これは、リアルじゃない」
「こんな展開は、不自然だ。都合が良すぎる」

 そんな気持ちが生まれてくるようになりました。

「共感」の対義語は「反感」ですから、0か100に極端に振り切れてしまう性格の私なので、見事にそちらにいってしまったのだと思います。

 物語は、リアルであることよりも「リアリティがあること」が大切だと私は思っています。

 実際にそんなことがありそうだ
 本当にそんなひとがいそうだ

 そう思えるかどうかです。


 それを決めるのは、結局、誰なのでしょうか。


 長い言い訳でした。

 なんだかんだいっても、まだ一度も長編小説を書き上げたことのない私は、自分が「小説を書けない理由」を見つけて、正当化しようとしているだけのような気がします。

 ダメダメだなァ。。。

 久しぶりに3000字近い、やや長い記事になりましたが、ここまでお付き合いくださった方、ありがとうございました。

 よし、この調子で小説も書こう。

 ではでは〜


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