【掌編小説】 誰かと話したい
本当に小さな出来事。
私の両親は「話したい人がいるなら会って話せばいいじゃないか」と子供の私に言った。
会える人なら会って話すのがいいと、私も思う。
ただ、私が子供の頃には、すでにネットが発達していたから、10〜15分も、もしくはそれ以上離れたところに住んでいる友達の家だとか、公園だとかに集まって遊ぶより、通信で遊ぶのが主流だった。
集まったとしても、みんな端末を向け合って遊んでいる。
そのなかで、私はそんなもの持っていないから、一緒に遊べない。
私も、みんなと遊びたいから、そういうものが欲しい。
そう伝えた時、くだらない、なんの役にも立たない、馬鹿になるだけだと言って、そんなものを介さずに、直接話して、ちゃんと相手を見ろと言っていた人たちが、
今では、家の中で私にテキストを送って
あれをしなさい、これをしなさい
お父さんにこう言っておいて
お母さんにこう言っておいて
なんなんだ、これは。
家の外に出て、歩いて行かないと話せない相手に「会いに行け」「会って話せ」と言っていた人たちが、今、全員、家の中にいるのにテキストで連絡し、私を伝書鳩扱いする。
意味が、わからない。
腹が立たないと言ったら嘘だ。
でも、そんなことより、この状況を説明して欲しい。
なんで、こうなの?
理解できない。
あなたたちが、「馬鹿になる」という行為をしていた私の同世代の子達のほうが、よほど私より立派に大人になって、ちゃんと他人と話せる人間に育って、幸せそうに暮らしているのですが、
こうなったのは、私のせいですか。
してはいけないことと、しなければいけないことの他は、私は何をしたらいいんですか。
なんだったら、してもいいんですか。
顔を見て話すことと言ったら、説教まがいなことばかりではないですか。
全て、あなたの言った通りにしていれば、今のようにはならなかったのですか。
私のしたいことは、そんなに悪いことばかりですか。
何かをしたいと、思ってはいけなかったのですか。
全部説明して欲しい。
そんな話をしようものなら、「だったら、勝手にすればいい」と一蹴されておしまい。
自分のことを他人に相談したり、意見を求めたりしている私が間違っている、と。
これまでの選択だって、お前が勝手に選んだことなのだから、その結果なぞ知ったことではない、と。
私だって、誰かと話したい。
肯定してくれなくてもいいから、私の話を聞いてくれる人と話がしたい。
私がこれまでしてきたこと、頑張ってきたことを褒めてほしい。
私がしたいと思っていることを、どうか否定しないでほしい。
それすら叶わないなら、せめてこの舞台から飛び降りる許可だけでもくれないものか。
こんなことすら、私はひとりで決められないのか。
どうすれば、端末で遊ぶ子達と、それがない状態で一緒に遊ぶことができるのですか。
いったい誰が、私と遊んでくれるというのですか。
私はただ、誰かと話したかった。
それが、会える人でも会えない人でも、誰でもよかった。
話を聞いてくれる人なら、誰でもよかった。
そういう人と、出会いたかった。
端末があれば、誰かと話せると思っていた。
冷房でよく冷えた部屋の床。
参考書と問題集、賞状とトロフィーが並んだ本棚。
身体を預けてみても、そんなものが返事をすることも、抱きしめてくれることもあるわけがなかった。
両親以外、誰の連絡先も入っていない端末を抱いて、私はひとり泣いた。
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