#234 歌う身体を作らねば。
こんにちは、鏑木澪です。
「歌いたい(自分の声を使いたい)」と思ったことから、必要なものを考えて、準備できるのか? 使えるのか? とウダウダ言い訳のようなものを書きました。
引用記事では、
こんな感じで、「そもそも、環境ができたからといって自分に歌う能力があるのか」を考えないようにしていました。
まずは、「歌いたい気持ちがあって、歌う」ことが大事
(そういうことにしておく)
自分でどうにもできないことってのは、骨格などに影響されて作られる、変えられない”私の声質”です。
「声質は変えられる」といった謳い文句がありますが、何をしても変えられない部分があると私は思っています。
ほら、鍛えて身体のラインが変わるとバランスが良くなるから綺麗に見えるようになるかもしれないけれど、それで身長が変わることはない、でしょう?
(身体が歪んでいた場合、正せば数センチ伸びることはあるかもしれないけれど、身長150cmの大人が鍛えたからといって160cmになることはない。そういうことが言いたい)
まぁ、これがある種の才能だと思います。
努力しても変わることがないから。
それを「だから私はダメなんだ」と思い始めたら何もできないから、自分が持っているものを綺麗に魅せる方法を考えて、そちらを伸ばしていけば、少なくとも何もしていない自分よりは、良い状態になるのはずです。
「年単位で準備しないと」と書いた理由は、金銭的な問題だけではなく、”身体の準備”もあるからです。
(と、もっともらしいことを書いてみるけれど、そこまで深くは考えていない←)
歌う筋肉は、歌わないとつかないのかな……?
(専門知識、皆無←)
大学時代、学内のジムに通っている男の子たちがいて、痩せていたせいもあると思うけれど、見た感じそれなりに筋肉がついているようだったのに、学内業務で重い物を運ぶ時に全然運べていなくて、「?(なんで、鍛えているのに運べないんだ?)」と思った記憶があります。
集会用テント(約40kg?)
ガスボンベ(約25kg×2=約50kg?)
こういったものは、運ぶのに少しコツが必要だから、運べなくても仕方がないかなと思うのだけど、
ペットボトル(1箱=2L×6本=約12kg)
パイプ椅子(約4kg×4=約16kg?)
これは、正直、運べて当然だろうと思ってしまっていたから(高校時代、私の所属していた運動部では、自分の道具や遠征用の荷物などに加えてペットボトル2箱、パイプ椅子なら1度に6〜8脚運ぶのが普通だった)、
あぁ、ジムで鍛えた筋肉って使えないんだ。。。
(やっぱり、実際に使っていない筋肉じゃ役に立たん)
そんなイメージができてしまいました。
誤解のないように言いたいのですが、「男なら重いものを運べて当然だろう」と言いたいのではなく、「ジムで鍛えていても実用的な筋肉がつかない人もいるのだ」と驚いただけです。
あの人たちが、どういう目的でジムを利用していたのかわからないから、「鍛え方が間違っている」という気はないのだけど、私のことを”ただのチビデブ”と馬鹿にするなら、ジムで鍛えた”立派な筋肉”であれくらいのものは運んで欲しかったなと思います。
(希望的観測。←ただの愚痴です。ごめんなさい)
まぁ、テントとガスは、私がひとりで運んでいると業者の人にドン引きされたので、普通の人は運べないのだと思います。
運べる人で、運びたい人が運べば良いからね。
(強要するのはよろしくない)
いや、強要されて運べるようになるしかなかった背景が私にはあるから、他人にそういうつらい思いをしてほしくない気持ちと、「少しくらいは努力したらどうですか?(甘えるな)」という気持ちが鬩ぎ合っているのは、無視できない……
まぁ、これは過ぎたことだから、どうでもいい。
でも、あの男の子たちが重いものを運べなかったのは、「見えるところの筋肉を鍛えていただけで、身体の使い方を知らなかったからじゃないか」と私は想像しています。
やっぱり、歌いたいなら歌って鍛えていくのが近道ではないか、と。
んー、どうなんだろう。
小学生の時にね、背筋がつき過ぎて自分の背骨をぶっ潰した経験があるので、「必要な筋肉(使っているうちに勝手に発達していく筋肉)を鍛えると同時に、バランスをとるために直接必要がない筋肉を鍛える必要があるのではないか?」と思っています。
特に、現在、座りっぱなしで衰えまくっている下半身。←
言葉を発することすら殆どないから、あらゆる筋肉が衰えまくっているのは間違いない。
(どこから鍛えるとか以前に、普通に生活しろ←)
以前も何度かした話だと思うけれど、未だに考えてしまうのは、「どんなに私が努力して身体を維持しようとしても壊れていくのに、殆ど何もしなくても平気な人がいるのは不公平だ」ということです。
部活でもなんでもいいのだけど、こういうことを感じた経験のある人はそれなりにいるのではないかと想像するのだけど、つらい。
「あんたの努力って無意味だよ」と真正面から言われているように感じる。
感じるというより、現在進行形で「あの頃、私が頑張ってたことって無意味だったな」と私が思っている。
だから、頑張りたくないんだ。
怖いからさ、また無意味なことするの。
まぁ、努力が足りなかったんだろうなとは思います。
”殆ど何もしなくても平気”なタイプでなくても、結果を出している人はいるから、私が同じだけの、もしくはそれ以上の努力をしたかと聞かれたら、「していない」としかいえないから、それが答えだと思います。
案外、”壊れた経験”のある人のほうが、調子が悪くなった時に戻ってくる力が強くて、長く続けられていることもあるから、悪いことばかりではないのではないかと、信じたいです。
(”殆ど何もしなくても平気”なタイプに見えた人が、私と同じような怪我をした時にそのまま辞めていったのも見たことがある。躓くタイミングが違っただけかもしれない)
どの分野でも、上に居続けている人は、努力し続けている。
やるっきゃないぞ、私。
なんか、まるで「筋肉があれば歌える」みたいな文章になっているけれど、そうじゃないんだ、そういうことが言いたいわけじゃないんだ!
ちゃんと声を出して、歌の練習をするのはもちろん大事だけど、きっと他にもやらなければならないことがあって、総合力を上げていかなきゃいけないから、より一層、気を引き締めていかねばという話です。
……この、長い文章が、全て言い訳にしか見えない。笑
「曲を作りたい」と思ってから、最初の曲を作るのに「ちゃんと勉強して準備しなきゃ」とか思わなくて、いきなりDAW開いて適当に打ち込んで意味不明なもの作って喜んでいた私は、どこへ行ったんだろう?
音楽経験皆無なんだから、作曲なんてできなくて当然だろうと思っていたのに対して、歌はカラオケなんか行くと憖、点数がよかったり、褒めてもらったりした経験があるから、「上手に歌いたい」と思っているのかもしれない。。。
……思ってる。
(白状してやがる←)
よくないな。
上手にやろうとしてうまく行ったことないだろうに。←
あはは。
できることを全力でやっていくしかない!ッ
考え過ぎない!ッ
ではでは〜
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