【掌編小説】 天然たい焼き

 たい焼きに決まってんでしょうが!

 今川焼きもたい焼きも同じようなもんじゃないかと友人に言ったら、怒られてしまった。


 高校時代、自転車通学をしていた私には関係のないことだったけれど、バス通学をしていた友人は、バス停から少し足を延ばして、たい焼きを買いに行くのが好きだったらしい。

 お気に入りの具は、カスタードクリームだそうだ。

 わかる。
 あれは、かなり美味しい。

 これについて、「だったらたい焼きじゃなく、クリームパンでいいんじゃないか?」と言われたら、私も「たい焼きなのがいいんじゃないか」と返すだろう。

 焼き方が違うだけで、使われている材料はほぼ同じだなんて、なぜ、そんな冷めたことを考えてしまうようになったのか。


 友人が学校帰りに通っていたたい焼き屋さんを探して、母校の近くのバス停を歩いている。

 バス停は、商店街の入り口にあった。

 私が小学生の頃には、すでに寂れており、あちこちに年季の入った汚れがあって、老朽化の進んだ建物の軋んだ音が聞こえてきそうな商店街。

 ちょうど、私が高校に通い始めた頃に改修工事が始まり、照明の切れたアーケードは大通りに近いところから順番に作り直されて、その境界線が日に日に古い街を侵食していくところを横目に、登校していた。

 商店街を抜けた先にある百貨店は、高級な雰囲気が漂い「乳臭い子供の来る場所ではない」ことは、出入りする大人たちの服装を見れば明らかであった。

 ただ、私たちには、その百貨店で買いたいものがあった。

 万年筆。

 ありきたりではあるが、私は文章を書くのが好きで、彼女は絵を描くのが好きだったことから、お揃いのペンが欲しい、できれば万年筆がいいと思ったのは、祖父の使っていたそれが印象に残っていたからだ。

 祖父の父が、その百貨店で買ったという黒い万年筆は、半世紀以上の時を経ても艶やかで美しい外見を保っている。

 私たちにも、そんな一品があればいいなと思ったのだ。

 祖父のように、長く、長く、思い出の品を使い続けるだろうと、信じて疑わなかった。

 インクよりも先に友情が枯れてしまうなど、想像すらしなかったのだ。


 目的の場所についた。

 あれから10年近く経ち、なくなってしまっていてもおかしくないと思っていたたい焼き屋さんは、そこにあった。

 そうだ、私の友人はよくこうも言っていた「たい焼きは、天然に決まってんでしょうが」と。

 いやいや、たい焼きに天然も養殖もないだろうと私は思っていたけれど、こういうことだったのか。

 天然は、一度に1匹しか焼けない。

 職人が1匹1匹、釜に生地と具を入れて丁寧に火加減を見ながら焼き上げていく。

 その手捌きを、私は初めて今川焼きが焼き上げられていく工程を知った幼き日と同じように、まじまじと見つめた。

「はぁい、ありがとう。熱いから気をつけてね」

 しわしわの手をしたお婆さんが、くっきりと刻まれた笑い皺をさらに深めながら、カスタードクリームのたい焼きを渡してくれた。

 小さく会釈をして、私は足早にその場を去る。

 友人が、彼女が通ったはずのバス停へと向かう道をトコトコと歩く。
 手に、たい焼きの温かさがじんわりと伝わってくる。

 冬でよかった。

 冷え切っていた指先が、じんわりと温まってきてむず痒い。

 バス停に立つと、私はマフラーを少し下げた。
 たい焼きの頭をだして、ひとくち、かぶりつく。

 そういえば、私の友人はたい焼きをどこから食べる人だったのだろうか。

 それすら知らないのに、私はあなたの友人だと、今でも心のどこかでそう思っているのは、傲慢だろうか。

 ただ、きっと、彼女も知らないと思うのだ。

 私が好きだった今川焼きのこと、そして今、大好きになった天然たい焼きのことを。

 また彼女と出逢った時に今日の出来事は、ぜひ話したいと、私は思った。

 だから、何度も継ぎ足したインクで、この思い出を綴っておくのだ。
 私の物語のページには、まだあなたがいるのだと。

 涙目になってしまったのは、きっと、とろりと広がったカスタードクリムに口内を焦がされてしまったせいに違いない。

 甘い生地の香りと数年ぶりに訪れた故郷の匂いを胸いっぱいに吸い込んで、私は彼女が使っていたのと同じバスに乗り込んだ。

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