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#391 “Ars longa, vita brevis.”
こんにちは、鏑木澪です。
『Ryuichi Sakamoto | Opus』を劇場で鑑賞しました。
地方ゆえ、「全国放映!」と謳われ始めてかれこれ経っても、「やっとらんがー!(こういう時に田舎って困るわね)」と半ば諦めていましたが、商店街の小さな劇場で観られるようになっているのを見つけて、出かけていきました。
こちらの作品、2024年8月9日には、音源『Opus』として配信リリースされるそうです。
せっかくだから、劇場で、良い音響で……観たかったんだな。
(本当、こういう時、都会に住んでいればよかったと思う)
どれくらい小さな劇場かと申しますと、スクリーンはひとつしかなく(上映する部屋がひとつしかないと言いたい)、座席には座布団が置かれており(古くてクッションがお陀仏)、バイクが外を走れば「ブーン!」、道ゆく人の笑い声のみならず、話しの内容までバッチリ聞こえる有様です、はい。
アメリカに行った時に、2ドル(当時150円くらい)で映画を観たことがあります。壁に開いた穴から外が見えるわ、途中でフィルムが切れるわってな状態でした。
それよりはだいぶいいけれど、近いものを感じましたね、
でも、ここしかやってないんだもん。。。
こちらの作品を知ったきっかけは、私の尊敬するFFさんでした。「ピアノが呼吸しているようだった」と称されていたような、それがとても印象に残っていまして、是非とも聴いてみたいと思ったのでした。
私は、”坂本龍一という人物”をよく知りません。
作品も、ほんの一部しか認識できていなくて、今回のセットリストも知らない曲が大半でした。日常生活でも、「これも坂本龍一だったのか」と後から知った曲が多く、個人的には良い意味で印象に残らない……語弊しかない、どうしよう、
あの、例えば劇伴の場合、「あのシーンで流れていた曲!」と印象的なものも、もちろん素晴らしいと思うのですが、
「曲が流れていた記憶がない」
それくらい映像に音楽が溶け込んでいる状態、いちいち認識などしないけれど、「空気があるから呼吸できる(なければ成り立たない)」、良いシーンだと感じた、それが音楽の影響だと認識させないくらい自然に存在しているのも素敵だと思っています。
私にとっては、”そのような曲を作る人”の印象が強いのでした。
ここから感想です。
言葉の選び方が下手だもので、ネガティブな印象を与える書き方になってしまうかもしれませんが、そのような意図はありません。今回、私はこの作品を観に行ってよかったと思っています。
率直に書いていきます!
自分でも、なぜそう感じたのかわかっていないのですが、まず、ひとことで感想を述べるなら、
とにかく、1秒でも早く帰りたかった
始まってすぐ、ほんのりと自分の頬を濡らすものがありまして、ただただ呆然としてしまいました。
実は母と一緒に来ていたのですが、このところ、お互いに仕事が忙しかったこともあって、「あまりに心地よくて寝ちゃうかもしれないね」などと話していたのに、もう呼吸すらままならない。
いつ息をすればいいのか
口の中いっぱいに溜まった唾液を飲み込むこともできない
緊張感でしょうか。普段、緊張したからと言ってお腹が痛くなることは殆どないのですが、この場に自分がいるのは相応しくないような、そんな不安感と共にキリキリとお腹を締め付けられました。
”ピアノが呼吸している”という言葉の意味がよくわかる、普段なら削除されるような音までしっかり聞こえたせいか、とても生々しくて、もし私が少しでも身動きをして余計な音を立てようものなら、どんなに小さな音でも拾われて、この世界の明確な異物になってしまう、そんな気がしたのでした。
また、クラシック系のコンサートで前列にいれば、演奏者の吐息が聞こえることは、何度か経験したことがありますが、これほどはっきりと聞き取れたことはありません。
生きている、息づいている。
ここに生き物がふたつ在る。
それ以上は必要ない。
劇場の外から聞こえてくる話し声なんて、普段なら「だまらっしゃい!(こちとら映画観とんじゃい!)」と腹を立てるところですが、その音のおかげでどうにか自分の存在を保っていられた気がします。
……なんだったんだろう。
どこか、クレイアニメのような雰囲気も感じました。
綺麗に、見ようによっては醜くデフォルメされた美しい人間の暮らしを覗き見ているような感覚がありました。
曲に対する理解が浅いもので、「どうして今、その表情なのだろう」と思うところもあって、落ち着いてもう一度観たいから、配信されるといいな。
私は、ピアノの演奏技術に対する知識も、聞く耳もないもので、それに対してどうのと言うことはできないのですが、
自分の作った曲を、自分で弾いて、それを残せること
これから”クラシック”と呼ばれるようになっていくであろう音楽。歴史上の音楽家は、自分の演奏した音を残すことができない時代もあったし、時と共に楽器の作り方や演奏の仕方も変わってしまったから、曲自体は現代まで残っていたとしても、音色は別物になっていることもある。
万全ではなかったかもしれないけれど、それゆえにできたこともあるだろうし、作家自身が表現したものを残せるのは、なにか、誇らしいと言えばいいのか、とても羨ましい状態だと思います。
それを目に、耳にすることができたのは、幸せです。
私はそんなつもりで書かないけれど、薄っぺらい話に聞こえるかもしれませんが、私が思うところの同業者(同様の活動をしている人)は、若くして、なにかと命を落としがちです。
ネットに書かれた文字だけの情報だから、実は生きているならそのほうがいいのですが、著名人であれば、広く報道されるから、事実なんだろうなと思いながらも、いまいち実感が湧かず、まだどこかで生きていると信じたい気持ちになります。
実際に会ったことはないから、ネット上で何か繋がる瞬間があったとしても、生きていたことすら、どこか夢のような心地です。
身体は元気だったとしても、生きていかれないことがあって、私のそういう気持ちがピークだった時、思いとどまるきっかけになってくれた人も、結局は自分でこの世界に区切りをつけてしまいました。
最後を自分で決める自由は、常に持っていたいな。
長く生きれば、また別な考えを持つかもしれないけれど、四半世紀も生きていない人間からすると、急に選べなくなることがあるんだよね、メンタル的にもフィジカル的にも、こうしたほうがいいのかなとかって。
選べないなりに、選んでいきたいもんだ!
いろいろ感じることや考えたことはあるけど、この作品を観て一番想ったことは、「自分の最後をどうするか(どう生きた人間になるか)」でした。
遠いことであってほしいけれど、いつどうなるかわからないからなァ
生き抜いていくぞ!ッ
モノクロの作品を見るたびに、「色がついていないから色褪せない」という言葉が頭に浮かびます。
これからも長く、人々の生活を彩り、彩られていく音楽なんだろうな。
ではでは〜
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