【短編小説】 夜行性な僕らは

「なにが、いけなかったんですかね?」

 頭をボリボリと掻きながら口元を緩めた彼の姿を見ていると哀れな気持ちになる。

「そういうとこじゃない?」
「……やっぱ、そうですよね」

 ちっともわかっていない。
 そんなふうに語尾が震えるような声を出しながら平気そうな顔をするんじゃないよ、まったく。

「ほら、行くよ」
「あ、ちょっと待ってくださいよ先輩」

 今日はどこへ行こうか。


 彼と知り合ったのは、ほんの数ヶ月前だ。

 もう日付が変わろうかという時間なのに、高校の制服を着きた男の子が公園でブランコを漕いでいた。

「君、もうすぐ明日になるぞ。大丈夫か?」

 我ながら、もう少しマシな声の掛け方はなかったのだろうか。

「あなたこそ、大丈夫ですか? 傘もささずに」

 そうだ。
 まさにバケツをひっくり返したような雨が降っている。

「平気だよ。この程度で風邪をひくほど柔じゃない」

「泣いてるんじゃないですか?」

 雨音に負けないように声を張っているだけなのだろうが、面と向かって大きな声でいわれると焦る。

「まさか。雨だよ、雨」
「そうですか」

 そういうと彼は自分の足元にできた水たまりに視線を落とした。

「僕は泣いてたんですよ。今日くらい、いいかなと思って。バレないだろうし」

 自分からばらしてどうするんだ。

「東高に通っているのか?」
「はい。……学校に連絡しますか?」
「めんどくさいから、そんなことしないよ」
「あはは。助かります」
「私もそこの卒業生なんだ」
「じゃあ、先輩も優秀なんですね」

 東高は、このあたりでは有名な進学校だ。

「私は、そんなんじゃないよ。少し運がよかっただけ」
「僕は、少し運が悪かっただけかもしれないですね」

 力なく笑う彼の顔を見るのがつらくて、思わず目を逸らす。

「早く帰ったほうがいいぞ。風邪をひく」
「それなら僕も、それほど柔じゃありませんから、大丈夫です」

 親が心配する、などとはいいたくない。
 それが当てはまるのなら、彼はこの時間にこんなところにいないだろう。

「……蕎麦でも食べるか?」
「なんだか年越しみたいですね。でも、この時間に開いてるお店なんてーー」
「インスタントに決まっているだろ」
「なるほど」

 彼は、私の家までついてきた。


「君、警戒心はないのか?」
「それをいうなら先輩のほうでしょう。この歳の男に、女性の腕力では対抗できませんよ」
「君にその気はあるのか?」
「その気になったらまずいという話ではないのですか?」

 かわいくねぇ。

「まぁいいさ」
「それは、襲っていいと?」
「違うに決まっているだろ!」

 ピーッ。
 アラームが3分経ったことを知らせた。

「それでは、いただきます」
「どうぞ」

 彼は左手に箸を持って、勢いよく蕎麦をすすりはじめた。
 若者はいいな、なんて大して歳も変わらない彼の食べっぷりに思わず見惚れてしまう。

「先輩、のびますよ」
「うるさい。私は猫舌なんだ」
「かわいいですね」
「うるさい。黙って食え」

 貼り付けたような笑みを浮かべてから、彼は黙々と蕎麦を食べすすめていった。

 少しいい過ぎたかな。

「ごちそうさまでした」
「お粗末s……。インスタント食品にこの言葉は使えるのか」
「先輩、まじめですね」
「私が作ったわけではないからね」
「誰が作っても、基本的に同じ味ですしね」
「オイ」

 彼が声を上げておもしろそうに笑ったので、ついつられて私まで笑ってしまった。

「でも、最近食べたどのインスタントよりも美味しかったですよ。先輩がお湯を入れてくれたカップ蕎麦」
「大人を揶揄うな」
「本当ですよ。美味しかったです。ありがとうございます」

 そういいながら礼儀正しく頭を下げてくるので、思わず恐縮してしまう。

「いや、すまない。美味しかったのなら、よかったよ」

 彼は自分の食べたものをきちんと片付けたうえ、流しに置きっぱなしになっていた私の食器まで丁寧に洗った後、「お邪魔しました」といって帰って行った。

 まだ雨は止んでいなかったので、帰り際に「これ、返さなくていいから」といって高校生の時分に使っていた黒い傘を渡した。

 玄関から見送っていると、彼はきちんと傘をさして歩いて行った。
 こちらを振り返ることはなかった。

 あの傘は、もう返ってこないのかな。


 ピンポーン。

 滅多に鳴ることのない呼び鈴の音に不快感を覚えながら目覚めたのは、翌日の昼過ぎだった。

「先輩、傘をお返ししますね。昨日は、ありがとうございました」
「お、おう」

 平日の昼過ぎに高校生がこんなところにいていいのだろうか。

「君、学校は?」
「今は試験期間なので、終わるのが早いんですよ」
「君は試験の前日に、あんなずぶ濡れになっていたのか」
「熱でもでたら学校休めるかと思ったんですけど、失敗しました」
「……君の作戦を妨害して悪かったよ」
「いえ、先輩のせいじゃないです。あれくらいで風邪ひけるほど柔じゃないので」

 あはは。
 彼は笑っているが、はたして、これは笑っていいことなのだろうか。

「キッチン借りてもいいですか?」
「別に構わないが」
「それじゃ、お邪魔しますね」

 え、どういうこと。

「今日は、僕がご馳走しますよ」

 そういって通学カバンから野菜や肉を取り出す。

「アレルギーとか、ありますか?」
「いや、特にないが」
「じゃあ、大丈夫ですね。お鍋借ります」
「あぁ」

 本当は水で戻したほうがいいんですけど、なんていいながら椎茸は水と共にレンジで温められた後、薄く切られて出汁と共に鍋に放り込まれた。

 慣れた手つきで解体された白菜は、白い部分と緑の葉の部分に分かれており、先に白い部分が鍋に敷き詰められた。

 一体何ができるのだろうと、遠目に見ていると、視線に気づいた彼は恥ずかしそうに「これしか作れないんですよ」といった。

 いや、君。
 料理ができるなんて、立派だよ。

 できるできない以前に、やる気すら起きないよ、私は。

「できました!」

 40分ほどで完成した鍋からは、食欲をそそられる香りがしていた。
 どうやら仕上げにごま油を垂らしたらしい。

「おぉおお゛!」

 思わず、変な声が出てしまった。
 ミルフィーユ状に積まれた具の一番上が、春雨だったのだ。

 春雨といえば、私の大好物である。

「いただくぞ!」
「どうぞ、召し上がれ」

 ほんのりと塩味がするが、素材の味を楽しむ鍋らしく、優しい味わいだ。

「うまい!」
「先輩、生き生きしてますね」
「こんなに美味しいものを食べたのは久しぶりだからな」
「それはよかったです」
「君も食べなよ」
「そうですね。いただきます」

 あまりの美味しさにガッツいてしまっている私を見て、彼はよく笑った。

「ごちそうさま」
「お粗末さまでした」
「ちっとも粗末じゃないよ。君はすごいんだな」
「誰でもできますよ、これくらい」
「少なくとも私はやる気がしない」
「やる気があればできるってことじゃないですか」
「そうともいう」
「本当ですか? あやしいな」
「オイ」

 洗い物はしなくていいといったのに、「すぐ終わりますから」とあっという間に片付けてしまった。

「それじゃ。気をつけて帰るんだぞ。今日はありがとう」
「はい。僕のほうこそ、ありがとうございました。では」

 彼の背中を見送りながら、もう会うことはないのだろうと思った。


 それから暫くして、思いがけず近所のラーメン屋で彼の姿を見留めた。
 同じ制服を着た男の子たちと一緒だった。

 なんだ、友達がいるのか。

 ふと違和感を覚えたのは、彼にそのような人付き合いがあったことに対してではなく、箸が握られていたのが右手だったことだ。

 その日、彼は私の家に来た。

「先輩、右利きだったんですね」
「君もな」
「いえ、僕は左利きですよ。右利きのふりをしているだけです」
「どうして?」
「そのほうが、普通に見えるかなと思って」
「私と同じだな」
「先輩も、本当は左利きなんですか?」
「そうだよ」

 多くの人は利き手のことなんていちいち気にしていないだろう。
 私が気にしているようなことは、世の中の殆どの人は気にしていない。

「なにが、いけなかったんですかね?」
「そういうとこじゃない?」
「……やっぱ、そうですよね」

 そうじゃないんだよ。
 君は悪くない。

 強いていうなら、自分が悪いんじゃないかって考えてしまうのが良くない。

「ほら、行くよ」
「あ、ちょっと待ってくださいよ先輩」

 今日はどこへ行こうか。

 君が、いつもと違う景色を見られる場所を探しに行こう。
 私もそこに行ってみたいんだ。

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