#254 近況:悩みどころ・体調
こんにちは、鏑木澪です。
一昨日、一昨々日と、久しぶりに家族以外の人と長時間、口を使って会話しました。
(もうちょっとなんか、言い回しないんだろうか←)
相手は、2〜3年前かな、私が活動を始めて半年だか、それくらい経った頃に「(ボカロP活動の)デビュー時期が近いから」と声をかけてくださった方でした。
当時、その人が開いているツイキャスにお邪魔したりして、少しだけ交流があったのだけど、いつからか、交流がなくなっていました。
今回も、相手の方が私にDMをくださって、それをきっかけに久しぶりにTwitterのスペースを利用して話す形になったのですが、
……ちょっと、ねぇ。。。
私の認識としては、一緒に何か作らないか(「楽しいことをしないか」)とのお誘いをいただいたと思っているのですが、やるなら私は本気で、真面目に、ちゃんと作品を作りたいわけで……
なんて言ったらいいんだろう、、、
私は、”誰かと何かを作った”経験があまりないので、こういった時、どういう状態になるのが普通なのかわからないのですが、「こうであってほしいな」と思うものはあります。
楽しく活動していきたいけど、遊びとは違うんです、私の創作活動は。
”遊ぶように楽しく”は、できればいいなと思わないことはないのだけど、”楽しければどんなやり方でも構わない”とは、私は思っていません。
”真剣に遊びたい”
この言い回しだと、結局、正しく伝わらないような気がしますね。。。
できれば、一緒に作品を作るなら同じくらいの熱意で向き合える状態でありたいと思っているから、相手の方がどれくらい気持ちで取り組むつもりなのか、推し量ることが私にできればよかったのだけど、いまいち、掴めていません。
「音楽でお金儲けがしたい」と言ってしまうと、ただのがめつい人と思われても仕方がないと思いますが、「お金を払ってでも聞きたいと思ってもらえるようなものを責任を持って作る」が私の考えで、実際に自分がそれに見合う力を今現在持っているかは、また別の話なのだけど、そこを目指して活動しています。
音楽に限らず、私がやりたい創作活動はそういうものです。
重要なのは実際に利益が発生するかではなく、”それだけの価値があるものを真摯に向き合って制作すること”です。
ただの自己満足ではなく、他者にとっても価値のあるものにしたい
他者にとっても価値があるものになったかの判断基準のひとつが、お金だと思っています。
無料で消費できる環境でも、誰かが私の作品に接する時、私はその人の時間を奪ってしまうわけなので、「時間の無駄だった」と感じさせるようなものを作って、人の目に晒してはいけないと考えています。
もっと言えば、そのようなものを作ることに、私は意味を感じられません。
あくまで、”現在の私はそう思っている”だけの話で、所謂”趣味で創作活動をしている人”を批判する意図はありません。
誰かと一緒に何かを作るとなると、制作の段階でも「相手の時間や労力を無駄にしたくないし、自分のそれも無駄にされたくない」と私は思っています。
こんなことを言っているから、「誰かと何かをしてみたい気持ちはあるけれど……やれない」状態から抜け出せないわけです。
これがネックだなと、子供の頃から思っています。
考え過ぎだとか、よく言われます。笑
どうなんでしょう?
これまでの経験から言葉を選ばずにいうと、私が思っているほど、私と同じくらい真剣に物事に取り組んでくれる人なんて、基本的に存在しない(滅多にいない)し、逆に私が何らかの理由で至らないことをしてしまったと感じていても、そもそも相手はそれほどの出来を私に期待していないから満足している場合が多いです。
まぁ、そういうことなんだろうな。。。
もうちょっと、肩の力を抜いて、ゆるりと生きたほうがいいかもしれません。
いやぁ、それにしても、久しぶりに人と話したから、んー、気を使ったと言ったらいいのかな(私が勝手にそうなっているだけなので、相手の方は何も悪くないです)、
ちょっと、疲れました。。。
大学を卒業してからは、人を避けて生活していたこともあって、「昔の自分、頑張っていたな(久しぶりに思い出した、この疲労感)」といった感じで、
もともと、「何かわからないけれど、身体の調子があまりよくない(気持ちも乗らない)」と思っていたところに追い討ちがかかったようになり、以前からあった
耳鳴り
頭痛
めまい
こういったものが、ちょっと悪化したような気がします。
(近所で工事していたり、時期的に田んぼが耕されていたり、夜はちょっと、あの、うるさい人がいたりして、耳を休められていないことが原因ではないかと)
おまけに、結膜炎なのかなぁ
昨晩、左目が真っ赤っかになっていて、ビックリしました。
お風呂上がりに左目が充血していることは、普段からよくあることで気にしていなかったのだけど、時間が経っても変わっていなくて、寝る前の色が酷すぎたらしく母に「明日、病院連れて行くわ」(強制連行されるお子様の図←私、もう大人です)と言われていました。笑
今朝になって、少しはよくなっていたので、病院には行かず様子を見ています。
結膜炎やものもらいは以前、よくなっていたのだけど、このご時世になって外出が減り、人と会わなくなってからはなった記憶がなくて(忘れてるだけかも、少なくとも病院には行ってない)、
健康っていいなぁ、ありがたい
などと感じている午後です。
いや、別に、元気なんですけどね。笑
普通に起きていられるし、こうやって文章も書けるし。
気力と体力って、どちらかが元気な状態だとどちらかが実はよくなかったとしても誤魔化せるのだけど、両方がダメになると一気に落ちていくので、本来はそうなる前に対処するべきであるし、落ち始めたらできるだけ早く持ち直せるように努力しなければなりません。
か弱いかよ〜
ちゃんと、わかってるんだからコントロールしなきゃダメじゃないか、全く
どうするべきか、
わかっていてもうまくできないことってたくさんあるんだ……
こういうことを考えていると、急に何もかも面倒くさい、全部やめて楽になりたいとか、思ってしまうのがね、なんだか嫌な流れなのだけど、
休み方ってのも、よくわからないの
何もやらないのは不安で耐えられないけど、やりすぎるとそれはそれで、また”やったところで伴っていない自分(何もできない自分)”を認識して、しんどかったりして、
難しい。
適度に、やらなきゃな。
結果、外に何も出せていないから、側から見たら何もしていないのと同じかもしれないけれど、ちょっと、このところやることを増やしすぎていた気がするので、減らしていこうと思います。
よし、やってくぜ!
(あれ、逆に増えてる?←)
ではでは〜
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