【掌編小説】 菖蒲が咲いたので。

親友の恋人が亡くなったらしい。

らしいというのは、私のところにはそのどちらからもメッセージが届き続けているからだ。

恋人を失ったと落ち込んでいるふたりが嘘をついているようには見えない。

ふたりとは高校生の時からの付き合いで、性格もそれなりに知っている。
エイプリルフールは過ぎたし、背筋が凍るような物語の欲しい季節にはまだ早い。

ただの悪い冗談だろうか。

簡単なことだ。
私が会いにいって、確認すればいい。

ふたりが暮らしていた家を訪ねた。
大学を卒業して以来だから、約2年ぶりだ。

呼び鈴を鳴らすと「はーい」と返事があり、間もなくドアが開いた。
玄関にはふたりが並んで立っている。

「久しぶりだね」
「来てくれてありがとう」

やっぱり悪い冗談か。
ふたりともいるじゃないか。

「タチ悪いよ、ふたりとも」

「どうしたの?」
「なにが?」

見事にふたりの声が重なる。
私はどこぞの偉い人とは違うんだから、ひとりずつ話してくれ。

「自分の隣にいるのは、幽霊だとでもいうつもり? まったく」

以前そうしていたように、靴箱の一番下の段に自分の靴を入れて家に上がった。

「幽霊でもいいから、帰ってきて欲しいんだけどね」
「幽霊になってたら、成仏させてあげなきゃな」

だから、ひとりずつ話せと。

「あのね、その冗談いつまでやるの? 心配して損した」

「ごめん。幽霊なんていないよね」
「そうだよな。そもそも、無宗教だし」

いや、そういうことじゃなくて。

おかしい。
どうにも会話が噛み合わない。

それぞれ自分の世界では、相手が死んでしまったという設定を意地でも曲げないつもりなのかと思っていたけれど、どうにもそれだけでは説明がつかない。

それに、ふたりともここまで嘘を突き通せる人間ではない。

誕生日にサプライズの準備をしていたはずが、我慢できなくなって「準備してるよ」と喋ってしまうタイプの人種だ。
さすがに、内容まではいわないけれど。

リビングのテーブルには、マグカップが3つ並べられた。

白いマグカップに2つの点とバツ印が描いてあるだけなのに、それでかの有名なうさぎの女の子のキャラクターをイメージできてしまう人間って、面白い。

冷たい飲み物だろうが、温かい飲み物だろうが、私たちはこれに入れて飲んでしまう。

いつもの席に座るとカップには、紫色の液体が注がれた。

まさか、ワイン?!
お天道様が見ているのに大丈夫か?

「今度、みんなが揃ったら飲もうと思って買っておいたの」
「酒に強いやつひとりもいないから、葡萄ジュースって笑えるよな」

なんだ、ジュースか。
まだ学生だった頃は、これでよく乾杯したものだ。

見た目がワインと似ているから、これを飲んで酔ったふりをして、変なテンションになっていたのが懐かしい。

「今日くらい、お酒にしてもよかったんじゃない?」

「ジュースでも酔えちゃうから、やっぱりお酒より人なんだなって」
「またみんなでジュース、飲みたかったな」

そういいながら、ふたりは葡萄ジュースを飲みすすめていった。

本当に酔っているみたいに、恥ずかしげもなく思い出話に花を咲かせた。
24年の人生で、私たちの時間が重なっていたのは、7年くらいなのに。

もっと昔から、仲が良かったような気がする。

私のカップからはジュースが減らない。
ふたりの話にひたすら耳を傾けるだけだった。

私にはもう、ジュースは飲めない。

幽霊になっていたのは、どうやら私のほうだったらしい。

私が口を挟まなくても、ふたりの会話は成り立っている。
私との会話も一見成立しているようだが、やはり噛み合っていないのだ。

私は、”恋人”というものがよくわからない。

私にとっては、彼女も彼も、この世でいちばんの親友だった。

私たち3人はとても仲が良かったし、私はふたりこそ”お似合い”だと思っていたから、ふたりから恋愛相談をされた時、「よし。私がこのふたりをくっつけるんだ!」と思っていた。

まさか、本命の相手に相談するほど間抜けなところまで、このふたりが似ていたなんて。

ここまでくると間抜けというより勇者だと思うし、そんな主人公にピッタリなふたりにはぜひお付き合いしていただきたいものだ。

「もう、こんなだからぁ。帰ってきちゃったんじゃん」

「あの子に会いたいね」
「あいつ、案外心配で帰ってきてるかもよ」

目があったような気がした。

まるで両親のように優しい目で、ふたりがこちらを見ていた。
ふたりには、おそらく私は見えていない。

私が座っているはずの席。

「ジュースこぼしてないかな」
「また、夫婦漫才やってるっていわれるぞ」

オイオイ。

揃って笑い声をあげるふたりの顔が愛おしい。
どうか、このままふたりとも幸せになって欲しい。

なんか、重いな。
いかにも、幽霊っぽい。

よし。
幽霊らしく、呪いをかけてやろう。

「ふたりとも、幸せにならなかったら頭から葡萄ジュースかけてやる!」

ふたりが急に静かになった。

「「あやめ?」」

恥ずかしいから呼ばないでよ。

また来年、咲いてみせるから。



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