『花束を君に』世界中が雨の日も/君の笑顔が僕の太陽だったよ

 世界中の心模様は、雨のようにじっとりしていても、それをからっと澄み渡らせて温かく包むような笑顔ってあるんだろうな。

 私は、子供がとても苦手なんだ。
 見てると、怖いんだ。
 なぜだかわからないけれど。
 自分も子供と呼ばれる年代だったころから、周りの子供たちが苦手だった。

 母にそう言うと、
「私が、あれよ。虫。節足動物? あれが嫌いなのと一緒やない?」
「どういう意味?」
「昆虫っていうの? あれってさ、妙に力強かったりするのに……、ほら、群れでワ~ッてきて、そのあたりの植物全部食べたりとかさ。でも、手足がプチッてとれるやん。そういう脆さ……みたいなのが、怖いんじゃない? 子供ってすごいパワーがあって、何しでかすかわからんし」

 なるほど。
 傷つくのが怖いのかな。
 何言うかわからないしな。
 すぐ泣きだすし。
 もちろんそうじゃない子もたくさんいるけれど。

 それもあるけれど、たぶん、無垢で残酷なのが怖いんだよ。

 子供って、まだ何も知らないような顔をして、この世界に長くとどまってしまった人間たちが気が付かないフリをしようとしていることをしれっと口にしてしまったり、行動に移してしまったり。
 そういう、危うさとその危うさのせいで何かを失ってしまいかねない儚さみたいなものが怖いんだろうな。

 人の夢と書いて儚い。

 自分ができないことを好きなようにやってるいるように見えるという意味でも、子供が怖いし、どこか嫌悪感のようなものがあるんだろうな。

 似たような感じで、人の笑顔も苦手なんだ。

 日本人の貼り付けたような笑顔。
 私は、笑うのがとても苦手なんだ。
 最近でこそ、だいぶ自然に笑えるようになったけれど、子供の頃、笑顔で写真に写るということができなくて、「笑えばいいのに」「笑った方が可愛いのに」といわれて、「笑わなきゃ、笑わなきゃ」って無理やり横に口を「にー」と開いてる自分の顔が最高に気持ち悪いと思った。

 だから、他人の笑顔もそんな風に、本人の意思とは関係なく、笑わなければならない状況だから、歯を見せて笑ってるようなフリをしているように見えることが多くて、実際にそうだという場合もあるんだろうけれど、笑っているように見える心の奥でどんなことを考えているのかと思うと怖いんだ。
 心からの笑顔だったとしても、人が笑うのは楽しい時ばかりではないから。

 そんなことを考えずに接することのできる相手が、不意に私に微笑んでくれたとしたら、それが私の太陽のになるんだろうな、と思う。

 そんな人にはまだ出会えていないけれど、生きていたらいつかで会えると信じていたいし、自分が誰かにとってそんな人間でありたいと思う。

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