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ウユニ塩湖に行くはずだったボリビア滞在【前田家の世界一周】

中南米旅の代名詞といえば、マチュピチュとウユニ塩湖です。大学の卒業旅行でマチュピチュは訪問していましたが、ウユニ塩湖は行ったことがありませんでした。

ウユニ塩湖といえば、雨季に見ることができる、鏡張りのような塩湖の姿です。

Yolanda JostによるPixabayからの画像

2月の雨季を目掛けて、南極クルーズの後にボリビアへ向かうことにしていました。

ただ、結論としては、ウユニ塩湖へ行くことはありませんでした。


ボリビアとは

ボリビアは南アメリカの中央に位置する内陸国で、アンデス山脈の一部を占めています。主な民族グループには、アイマラ人、ケチュア人、そしてアマゾン地域の先住民族が含まれており、アルゼンチンやブラジルとは見た目も雰囲気も異なる人々が住んでいました。

パラグアイ、ブラジル、ペルー、チリ、アルゼンチンの隣です

2022年時点での推定人口は約1,800万人から2,000万人と言われているので、同じ時点の日本の推定人口は約1億2,600万人。ボリビアの人口は日本の人口の約1/6から1/7程度です。面積的に言うと、日本はボリビアの1/3。ボリビアがどれだけ大きく、広々とした国かが分かります。

予定していたルート

今回目指すは「ウユニ」。ただ、ウユニの標高は約3,656メートルです。富士山の標高が3,776メートルなので、ウユニで滞在する=富士山の頂上でずっと過ごすことになります。つまり、高山病になる条件がフィーバーします。

夫は以前にウユニ塩湖へ行ったことがあったので、その辛さを知っています。そして、私がよく体調を崩すことも知っています。そのため、高度順応ルートを組んでくれていました。

高度順応ルート

まず、アルゼンチン・ブエノスアイレスからボリビアのスクレ(標高: 約2,810メートル)移動し、数日間滞在します。その後、スクレからウユニへバスで移動。ウユニでゆっくりしつつウユニ塩湖を訪問し、飛行機でウユニからラパスへ移動。

このルートに加えて、ダイアモックスと呼ばれる高山病用のお薬は日本から持参してきており、痛み止めもたんまりと持っていました。よし、これで完璧。


アルゼンチン・ブエノスアイレスから、ボリビア・スクレへ

ブエノスアイレスからスクレへ向かうために、途中でボリビアのサンタ・クルスで乗り換えます。

サンタ・クルスの空港では、荷物をピックアップして、入国をする必要がありました。たまたまかもしれませんが、スーツケースの中を開けて荷物の確認をされたので、入国を厳しく見ている印象が残りました。

スクレの空港に降り立つと、圧倒的に雲が近くて、空が黒に近い青。さすが標高が高い街だなと感じました。

標高が高いのと、この時めっちゃトイレに行きたかったので険しい顔

スクレの空港から、スクレの街までは30kmくらい離れていて、山を下っていく形です。バスとタクシーで移動ができますが、タクシーを使うことにしました。なお、空港から街までのタクシーは 60Bと決まっているようで、ぼられることもなくスムーズに移動。

そして、宿に到着した瞬間から、悪夢が始まりました。


スクレの滞在先

悪夢の話の前に、滞在していた宿についてです。今回は、Booking経由で予約したアパートスタイルの宿にお世話になりました。

リスティングのリンクはこちら

スクレのセントロから2〜3分離れた場所にあり、とても静か。大型のスーパーへのアクセスもよく、Wi-Fiも爆速。非常に過ごしやすい家でした。オーナーさんもめちゃめちゃ良い人です(英語も話せました)。

1泊あたり3,000円くらいで滞在できるので、めちゃめちゃおすすめです。

死闘と決断

話は戻って、宿に滞在した瞬間からの話です。全身に悪寒が走り、体の芯から冷え込むのがわかりました。37年ほどこの体で生きてきたので分かります。「これは、マジのやつだ。」

速攻ベッドに入り、服を着込み、薬を飲んで寝ます。夜に熱を測ると40度ありました。涙が出てくるほど体が痛くて、トイレに行くにもうまく歩けず、とにかく寒い。

夫が買ってきてくれたカットフルーツとスポーツドリンクを飲み、とにかく寝れるように努力をして、2日ほど絶対安静を続けました。3日目、やっと熱が下がり、歩けるようになりました。

ブラジルのアマゾンにも行っていたのでマラリアの可能性もあるかも?そもそも、直前に乗っていたクルーズでも体調を崩しており、不健康続きです。医師に診てもらって、今後も安心して旅が続けようと思い、スクレの病院へ行くことにしました。

思い出のためにと夫が撮影していた
薬局も併設

それなりに値段が張る病院ではありましたが(日本基準だと普通くらい)、ドクターが少し英語が話せて、とても丁寧な問診と診察をしてくれました。診察室に、トータルで45分くらい居たと思います。今まで飲んでいた薬と、その容量。体調が悪くなってからのタイムライン。行う検査の内容から、薬の内容とそれを渡す理由まで、かなり丁寧に説明してくれました。

血液検査と喉から細菌をとる検査。半泣き。

検査結果としては、喉から入った細菌による熱とのこと。マラリアではありませんでした。

病院に行った後も、咳・鼻水・37度台の熱は続いていました。飲んだ薬も強かったようで、吐き気と下痢も数日続きました。食欲もなく、元気も出ない。そんな状態だったので、4泊5日のスクレ滞在を伸ばすことに。最低でも熱が下がるまで滞在を伸ばし続けた結果、スクレには7泊8日し、ウユニ塩湖行きを断念せざるを得ませんでした。

ほぼ何も食べていなかったので痩せた

南米に来たのに。ウユニ塩湖は南米旅を締めくくる場所だったのに。夫はすでにウユニへ2度行っているので、私が行きたいという想いだけで、わざわざボリビアに来たのに。

すっごく悔しかったです。体調管理ができていなかったせいで、行きたかった場所に行けませんでした。日本から来ようと思ったら、相当遠い場所ですし、標高の関係からも容易に行ける場所でもありません。若ければ若いほど、行きやすい場所です。

南米旅の締めが、しりつぼみになってしまった気がしましたし、とても残念でした。この旅で、今でも、後悔していることのひとつです。

ちなみに、超お世話になった病院は「Hospital Monseñor Jesus Perez」(Google Map)です。とても丁寧に診察してくれるので、スクレで40度の熱が出たら、ぜひここへ。


その代わりに、スクレという街を触れ合えた

というハプニングがり、スクレは私にとって思い出深く、恩がある街になりました。

ところでスクレは、ボリビアの憲法上の首都と言われています。実質は、ラパスらしいですが。どういうこっちゃい。

一応、首都なので高い建物とかもありそうですが、全くの普通の街という感じ。メキシコのサン・クリストバル・デ・ラス・カサスを思い出させる街でした(そういえば、あそこも山に囲まれていた)。

全体的に静かで、人も穏やか。道にゴミが落ちていません。南米では日中であっても、1人で外を出歩くことはありませんでしたが、スクレは1人で歩いても不安にならない唯一の街でした。

あと、スクレにある唯一のコリアンショップに、愛嬌が抜群にあって、とてつもなく美人な猫ちゃんがいました。(Google Mapのリンクはこちら

スクレの看板ねこと言っても過言ではないです。


スクレご飯

熱が下がりきってからの外出だったので、滞在期間に対して、食べたもの、見たものはいつもに増して少なく、ほぼ宿で時間を過ごしていました。わずかな情報ではありますが、スクレで食べたものの中でおすすめをご紹介します。

牛タン煮込み
お店:Sabores De Mi Tierra (Google Map)
ここは、いわゆるボリビア料理を楽しめるレストランです。基本的には色んなお肉の部位を煮込んだ料理が多く、それにサラダとパスタが付いてきます。

牛タンは、縦長にカットされているものが煮込まれていて、肉の下には茹でたポテトがありました。ソースが「スパイシー」とされていましたが、全く辛くなく、若干香辛料の味がするくらい。タンは柔らかく、味付けは濃すぎず、サラッと食べることができる煮込みでした。

スモーク肉のサンドイッチ
お店:Papote Smokey Food Shop (Google Map)

スモーキーなお肉なのに、乾燥はしていなくて、プリプリ感が残っています。お値段はボリビアーノだと忘れたのですが、日本語換算した時に1,000円くらいしていた記憶です。ボリビアにしては高ぇ!!!と心の中で思いましたが、お値段の価値はある美味しさでした。

Wi-Fi、食べ物、デザートがあるカフェ
お店:Metro Cafe (Google Map

スクレのど真ん中、5月25日広場沿いにあるカフェで、なかなか良いWi-Fiがあります。アイスコーヒー、ティラミス、など馴染みがあるメニューが頼めるお店です。

カフェメニューの他にも、サラダ、サンドイッチ、パスタなどご飯も食べれます。PCを開いてのんびりしても、何も言われないので、作業カフェとして完璧でした。

なお、地下の席はネットが弱いです。1階席をおすすめします。

スクレ絶景の場所

スクレの街を見下ろせて、空がとっても綺麗に見えるスポットがあります。

Goole Mapのリンク

街から歩いて15分くらいの場所です。坂道を登っていくのですが、かなり傾斜があります。そもそも空気が薄いので、結構きついです。

ただ、上からの景色はとてもきれいです。近くにカフェもあるので、コーヒーをテイクアウトして、ピクニックもできます。

目の前は広場になっていて、子どもたちがサッカーをして遊んでいました。どんだけ高度順応したら、ここでサッカーができるんや!と人体のポテンシャルに驚きました。民芸品のマーケットも隣にあるので、ちょっとしたお土産も買うことができます。


まとめ

スクレ=体調不良という思い出タトゥーが刻まれてしまいました。不名誉だと思いますが、同時に一生忘れない街にもなりました。

元気になってから楽しめたスクレは、1日半くらいでしたが、そのわずかな時間において、「ここは、長く滞在して沼るにはちょうど良いかも」と感じました。なぜなら、穏やかで、人は優しく、普通の生活がそこにあったからです。

ボリビアといえば「ラパス」、「ウユニ」かもしれません。もし、ボリビアの暮らしや、とにかくゆっくりしたくなったら、スクレに来ると、癒されるはず。

最悪な数日間を過ごしたけど、スクレは良かった。


\私はこんな人です/

プロフィール:
1987年生まれ。埼玉出身、11歳まで大宮で育つ。そこから親の仕事の都合でアメリカ・ニュージャージー州へ。2011年に帰国し日系メーカーに新卒入社。そこから外資金融メディア→外資製薬→外資メディアへ転職。2021年7月11日(セブン・イレブン)に前田塁と入籍し、2023年8月に仕事を退職し夫と世界一周、新婚旅行へ。

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