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【鬼と天狗】第三章 常州騒乱~掃討(5)

 弘道館から神応寺へ戻る道すがら、鳴海は与兵衛の馬に馬首を寄せた。前方には、源太左衛門が一足先に馬を進めている。
「御家老のお言葉には、惚れ惚れいたしました」
 鳴海の言葉に、与兵衛が笑ってみせた。
「男に惚れられても、御家老は嬉しくござるまい」
「聞こえておるぞ」
 前方より、源太左衛門の笑いを含んだ声が返された。振り返ったその顔には、はにかんだような色が浮かんでいた。あまり表情を顕にしない源太左衛門にしては、珍しいことである。鳴海は馬の腹を軽く蹴り、源太左衛門の横に並んだ。
「御家老がかの様な豪胆な御方だったとは、思いも寄りませなんだ」
 ふっと、源太左衛門が笑った。
「あの場には、幕軍の目付けである小出殿もおられた。万が一、小出殿や市川殿から田沼様に妙な告げ口をされては、我が藩にどのような災厄が降りかかるか分からぬからな」
 そう言うと、源太左衛門は真顔になった。
 すると、あれは源太左衛門なりのデモンストレーションということか。だが、詰番時代から数えて二年余り、源太左衛門と部下と上司として付き合ってきた鳴海には分かった。源太左衛門の言葉には、嘘がない。「他領であっても、住民が築き上げてきた街を灰燼に帰すのは忍びない」という言葉は、紛れもなく源太左衛門の本心だろう。
 それに引き換え、太田陣将であるはずの佐治はあまりにも及び腰ではないか。同じことを考えていたのか、与兵衛も「佐治殿は、煮えきらぬ御方でしたな」と吐き捨てた。
「左様だな」
 源太左衛門の声にも僅かに苦々しさが混じった。珍しく源太左衛門が本心を吐露しているのも、大将筋の三人だけだからだろうか。助川への援軍に源太左衛門自ら赴くのは、ああでもしないと水戸側は二本松藩を信用しないだろうと考えた。源太左衛門は、真顔のままそのように説明してくれた。
「少なくとも、内藤殿は冷静かつ信の置ける御仁と見た。それ故、太田で合流するまでは、そなたらを内藤殿にお預けする。家老筋たる市川殿や筧殿らと渡り合える程の御仁ならば、信頼してよかろう」
 市川や筧と同じく二本松藩の家老である源太左衛門が言うのならば、まずその見立てに間違いはないだろう。丹波ほどではないにしても、源太左衛門も家老として他藩の人間とも交わりがあり、人物観察眼に優れているのは、鳴海も感じていた。
「御家老自ら助川に御出馬というのは、先々の戦をお考えになってのこともございますか?」
 与兵衛の言葉に、源太左衛門は深々と肯いた。
「助川海防城は、亡き烈公の肝入により夷狄の侵入に備えて作られた経緯がある。一日やそこらで落ちる城ではあるまい。恐らく、一旦は儂も太田村に向かい、天狗党らとの対峙の術を考えねばならぬが、その前に助川からの出撃の道筋も調べておかねばならぬと思うてな」
 なるほど、と鳴海は思った。あの場では源太左衛門は特に取り上げなかったが、やはり助川方面からの出撃を警戒しているらしい。源太左衛門自ら助川に赴くのは、自分の目で現地偵察もしたいためなのだろう。常に冷静に一手先を読む、源太左衛門らしかった。
 神応寺に戻り簡素な夕餉が終わった後、各組の子らが本堂に集められた。どの顔も、緊張の色が見られる。前方に据えられた床几に腰掛けた鳴海は、努めて平静を装った。中央に座る源太左衛門の方を伺うと、源太左衛門が軽く肯く。
「明日以降の陣触れを申し付ける」
 鳴海は、息を吸い込んだ。
「まずは全軍を二手に分ける。本軍はそれがしと与兵衛殿。これに水藩軍監たる内藤弥太夫殿が加わり、那珂川を渡り背後から水戸本軍の援護を致す」
 どよめきが上がった。鳴海が告げた中には、総大将の源太左衛門の名前がなかった。そのために、兵らが動揺したのだ。
「今一隊。御家老の組の者らは、助川城攻撃の手に加わる」
 続けて、鳴海は物頭や旗奉行、殿軍の割り振りを告げていった。鳴海ら侍大将が騎兵を指揮するのに対し、物頭は歩兵を率いる。もっとも率いるのが足軽や農兵中心の歩兵とはいえ、物頭にも戦闘指指揮官としての能力が求められる。そのため、物頭にはそれなりの身分かつベテラン勢が選ばれていた。鳴海率いる五番組の物頭は、水野九右衛門。旗奉行、原多次郎。殿しんがりは平山磯右衛門である。
 六番組の与兵衛付きは、物頭が寺西次郎介。旗奉行が花房彦八郎、殿が青山伊記。そして、助川攻略の別働隊物頭には小川平助が選ばれた。こちらには、今回大目付を任された岡佐一右衛門も加わる。今一方の大目付である味岡は、本隊側に加わった。
「一同、異存はござらぬな?」
 鳴海の声に、下士らが平伏した。鳴海は、ほっと息を吐き出した。続けて、鳴海は弘道館での会議の概要を伝えた。本軍は那珂川渡河後、大発勢との戦闘に区切りが付き次第、棚倉街道に沿って太田村の守備に入る。本陣及び宿舎については、水戸藩の太田陣将である佐治が太田に先行して手配する。一方、助川方面の源太左衛門の別軍も、助川の様子や額田にいる二本松軍本隊と連絡をつけつつ太田で合流する。各自、家来にもそのように伝えるようにと鳴海が締めくくったところで、お開きとなった。
「大胆な陣割ですな」
 会合の後、平助が鳴海に近づいてきた。平助は二本松軍の軍師も兼ねている。その平助の目から見ても、今回の陣割には戸惑っているようだった。
「弘道館の軍議の最中に、助川方面からの救援要請が入り申した。要衝たる太田の守備を御家老自ら申し出た以上、そこまでせねば水戸側からの信は得られまいというのが、御家老のご判断でござる」
 鳴海も、小声で説明した。その説明に、平助も「なるほど」と肯く。
「政治的な兼ね合い、ということでございますか」
 優秀な軍師である平助も、政治的な動きまでは読み切れないところがあるのだろう。平助も源太左衛門と同じように平素は物静かな印象がある男だが、微かに眉を顰めた。
「諸生党の軍勢は、数だけを見れば天狗党に勝っておりましょうが……。戦というのは、決して兵の数だけで勝敗が決まるものではございませぬからな」
 その言葉に、鳴海は気を引き締めた。

掃討(6)に続く

文/©k.maru027.2023.2024
イラスト/©紫乃森統子.2023.2024(敬称略)

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