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【鬼と天狗】第三章 常州騒乱~嶽の出湯(5)

 ――城への道すがら、鳴海は平八郎との会話を思い返していた。やはり現在の水戸藩は家中が真っ二つに割れており、その影響は守山にも及んでいる。平八郎が家中の者に疑いの眼差しを向けているのは、鳴海に取っても意外であった。
 黙々と馬を進める鳴海に続き、権太左衛門も黙ってその後ろから馬を歩ませて付き従ってくる。が、ふと鳴海の横に並んだ。
「鳴海様は、あの三浦平八郎という御方の言葉を信じられますか?」
 槍を交えながらも、権太左衛門なりに鳴海と平八郎の会話には耳を傾けていたらしい。鳴海は、首を傾げた。
「平八郎殿が申されたことは、羽木殿や黄山殿が申されていたこととも一致する。偽りはあるまい」
 だが、と鳴海はそこで言葉を切った。
 平八郎ら穏健な改革を望む者らが、万が一激派を押さえきれなくなったならば、どうなるか。それが恐ろしかった。 
 城に戻ると厩舎番に愛馬を託し、本町谷の方から二人は再び城内に足を運んだ。そのまま先に返した政之進の報告を受けて小書院の間で待ち構えていた新十郎及び源太左衛門ら家老、番頭らを前にして、鳴海は事情を一通り説明した。
「守山の者らは逗留お構いなし、でございますか……」
 新十郎が、眉を顰めた。幾度も鳴海と平八郎の対峙の場に立ち会っており、平八郎の人となりも知っている。それだけに、微かに不満が残るようだった。
「朝方に羽木殿が申されていたように、やはり守山は水戸より二十二麿君をお迎えするとの由。そのような中で荒事を起こそうとすれば、我が藩よりもまず三浦平八郎殿が黙っておらぬと、拙者は判断いたしました」
 ふむ、と源太左衛門が肯いた。
「確かに、鳴海殿の申される通りであろうな。だが問題は……」
「水戸藩執政方が水府浪士らをどこまで抑え込めるか、でございますな」
 一学が、源太左衛門の言葉尻を引き取った。一学の言う通りで、激派が水戸藩執行部の手に負えないとなれば、何らかの幕命が下されるかもしれない。
 それだけではない。鳴海は黄山の言葉を思い返していた。黄山が「藩や幕府の忠義心をさほど持っていないかもしれない」と評した、猿田愿蔵こと田中愿蔵。こちらの常識が通じないとなれば、どのような動きに出るか分からない不気味さがあった。そして、その田中愿蔵や藤田芳之助の動きについては、水戸本家筋に近い立場の三浦平八郎よりも鳴海の方が余程詳しかったというのが、水戸家中の分断を如実に表している。
「京の御一行も、ぼちぼち出立した頃であろう。そちらからの知らせも気になるところでございますな」
 浅尾が吐息と共に見解を述べた。長州の勢力は京から一掃されたが、尊攘派そのものが京から消滅したわけではない。火の手が上がるとすれば、関東か京か。その動きを睨みながら、留守組は対策を講じなければならないのだった。
「鳴海殿。此度の御判断、まことに間違っておらぬと御断言できますか?」
 新十郎は、尚も詰め寄ってくる。義父の和左衛門の例もある。これ以上、身近な者から尊攘派が出てはたまらないというのが、新十郎の本音だろう。
 鳴海も、あれが完全に正しかったかと問われると、若干自信がない。だが平八郎の立場に立って考えるならば、激派の家臣らのこれ以上幕閣の疑いを招かせるような振る舞いは、断じて許さないに違いなかった。
「黄山殿の話によれば、同じような事を水戸藩執政である武田伊賀守殿が申されておるとの由。事実武田執政は潮来に鎮台を設けようとしていると、三浦殿も認めておられた。少なくとも、三浦殿は武田執政と考えを同じくしており、水戸藩の御家お取り潰しとなるような振る舞いは決して許さぬ。拙者はそう見ました」
 新十郎は鳴海の言葉を噛みしめるように、しばし俯いていた。やがて――。
「今となって、尊攘派に同情したわけではござらぬな?」
 鳴海は苦笑した。
「尊攘派の言い分を全て鵜呑みにしたわけではござらぬ。第一、そのような言い分を認めれば我が藩の多くの者が、困ることになり申す。平八郎殿にとって一番大切なのは、水戸の御家。それを潰すような真似は避けるだろうというまででござる」
 平八郎の言い分については、あくまでも「守山藩執行部」としての判断を尊重しただけであり、鳴海も全面的に認めているわけではなかった。
 鳴海の再度の説明にようやく納得したのか、新十郎が軽く頭を下げた。
「御無礼を申し上げた」
「お気になされますな。新十郎殿のご懸念も、ごもっともでござる」
 鳴海も新十郎の心配はよく分かるだけに、口元に笑みを浮かべてみせた。
「宜しいのではございませぬか」
 三郎右衛門が、顔を上げた。
「藩士の多くが未だ京より戻らぬ故、強いてこちらから喧嘩を売る必要もございますまい。が、逗留の者らが妙な動きを見せれば、守山陣屋の三浦平八郎殿に早馬を飛ばし、不届者を二本松・守山双方の側から取り締まった上で、三浦殿に引き渡そうではございませぬか」
「左様でございますな。現在二本松の人手が足りぬのもまた確かでございますれば、万が一の始末は守山に任せても良いでしょう」
 大内蔵も、大きく肯いた。流れが鳴海の処置を認める方向に向き始めたのを感じ、鳴海はほっと息を吐いた。
「――守山家中の者等への処置が、鳴海殿の私心に基づくものでないということであれば、それで良かろう」
 ようやく、源太左衛門が断言した。鳴海も源太左衛門に軽く頭を下げる。
「念の為引き続き我が手の者らに、嶽の藤乃家及び湯守らに、渡りをつけるよう手配しております」
 既に政之進に対し、当面嶽の守山藩一行を監視するよう命じてあった。守山の者らも見張られていることは感じ取るであろうし、あの人数と腕前で荒事を起こすのは無理であろう。それだけでなく、彼らが逗留している間に在京組も戻って来るはずだった。そうなれば、ますます二本松藩に手出しをしにくくなるはずである。
「出来るだけ早く、殿らに無事にお戻りになって頂かねばならぬな」
 源太左衛門が、ゆるりと笑った。

 そして――。
 国元の留守組が気を揉みながら待っていた在京組が帰藩したのは、二月二十日のことだった。

>筑波義挙(1)へ続く

文/©k.maru027.2023.2024
イラスト/©紫乃森統子.2023.2024(敬称略)

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