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二本松のティーンエイジャー

 小説の中で少しだけ登場した、剛介の甥である「太郎八たろうはち」。小説では架空の人物も登場させていますが、太郎八は、明治時代、福島の自由民権運動で活躍した平島松尾ひらしままつお。実在の人物です。太郎八は、松尾の幼名として知られています。
作中で書いたように、太郎八は剛介の父親である半左衛門の一回目の結婚のときにできた、剛介の異母姉の息子に当たります。そのため、血縁上は剛介の甥であるにも関わらず、実際には剛介より年上という立場なわけです。

十五歳でも期待されていた太郎八

 ところでこの太郎八ですが、非常に優秀な人だったため、早くから藩のお偉方の目にも止まっていたとのこと。
剛介より一歳年上ですから、戊辰戦争が始まった頃は、藩校である敬学館にも通っていたでしょう。(敬学館入学は、十五歳から)
二本松では、八人の番頭ばんがしら(軍団の長)が時折敬学館にも顔を出していて、優秀な生徒がいれば報告するなど、今の時代に喩えるならば、クラス担任のような役割も果たしていたのだとか。
そんなわけで、太郎八は「番頭に見出されて」、白河に出張したことにしたのです。「小説」という、フィクションが許される世界だからですけれどね。
スピンオフで登場した黒田傳太くろだでんたも、15歳のときに若殿様の御小姓を勤めていたり、梅原剛太左衛門(小説では登場しないですが、二本松の敗戦処理で活躍した人)は17歳のときに藩老に建言して、人材登用や洋式訓練の兵制創設に関わったりしています。15歳の五郎八が「後学のため」と戦地視察に出されたとしても、不思議ではないかもしれません。
なお、五郎八が上層部から期待されていた根拠は、こちら。

氏は安政元年甲寅かのえのとら十一月十七日を以て二本松に生る。幼名を太郎八と呼び、夙に出藍の称あり。
(中略)
時正に慶応四年の春に及んで、戦雲漸く関東北の野を蔽い、藩兵多く白河口方面防備の爲め出陣したる折柄、変事に備ふべく兵隊増設の議起り、氏時に齢僅かに十五歳なりしが、諸道修業精練の功に依り、特に抜擢せられて御城番組諸口門番を仰せ付けられ、次いで弾薬製造の役を命ぜられたが、間もなく高田口出兵大砲方附を命ぜられ、初めて出陣することゝとなり、大いに勇躍して軍に従つたが、戦ひ遂に利有らずして落城の悲運に遭遇し、孤影悄然、敵中生命の危うきを冒して飢ゑと疲れとに苛まれつゝ、木の根坂方面に落人の難を忍んだのは、七月二十九日の夜半十一時頃であつたといふ。

二本松藩では、武官扱いされる「番入り」は二十歳(入れ年制度を適用すると十八歳)ですが、どうも伝令や後方支援方として、番入りを果たしていなくても、実質的には裏方として戦争に関わっていた少年がいたと推定されます。
上記の文は、「安達憲政史」という資料から引用したものですが、二本松藩では変事に備えて、たとえ十五歳でも、優秀な子は大人の仕事を割り振られていた様子が伺えます。会津藩のような大藩と異なり、家中の人材に限りがあったからでしょうね。
作品名は忘れましたが(二本松少年隊哀話だったでしょうか)、やはり二本松少年隊の一員であった大桶勝十郎(戊辰戦争時は17歳)が、会津藩と仙台藩の土湯峠での小競り合いの際に、密談を聞いていた場面を描いた作品がありました。そのような作品が生まれてくる背景を考えても、昭和初期くらいまでは、十五歳は必ずしも「子供」とは捉えられていなかったのではないのでしょうか。
他にも、鼓法(進撃などの号令を、太鼓で知らせる方法)の特殊技能を持っていた少年も、一般の少年たちに先立って従軍していたようです。

当時の十五歳は能力次第で大人扱い

 もう一つ。昔の十五歳と今の十五歳を、同じ感覚で考えてはいけません。
浅田次郎氏だったでしょうか。同氏のエッセイで、「今の精神年齢は、昔の人の年齢の七割もしくは八割の年齢」と述べられていましたが、この基準に当てはめると、当時の少年たちの心境としては、十五歳は立派に「大人」なのです。
七掛け説を取るならば、戊辰当時の剛介の精神年齢は、今の二十歳くらい。そのように捉えると、二本松少年隊は、決して「大人たちに言われるままに、何も知らずに戦場に立った少年」ではないことになります。
太郎八こと後の平島松尾氏も、「落城の日」を迎えた後は、十七歳で戦後再興された藩学校に通学したり、私塾(多分)である暁義社の設立に関わったりと、割と若いうちに自立して、その後政界進出への道を歩んでいたことがわかっているので、やはり現代の少年よりもよほど精神的に大人だったのは、間違いないでしょう。
体格は今よりも小さかったかもしれませんが、精神年齢は今よりも遥かに大人だった「二本松少年隊」。現代の感覚で捉えるならば、まだまだ「子供」なのでしょうが、「出陣前夜は修学旅行前のようなはしゃぎようだった」という無邪気さと、「殿の前に死することは、武士の子として当然と考えていた」という気高さは、彼らの精神年齢をぐっと引き上げると、理解できるのかもしれません。


©k.maru027.2022

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