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【鬼と天狗】第三章 常州騒乱~関東内訌(2)

 家へ戻ると、客人の姿があった。その傍らには、水山と玲子、そしてりんの姿がある。
「お帰りなさいませ、鳴海様」
 りんが両手を畳について、一礼した。鳴海は「ただいま」と声を掛けると、客人に顔を向けた。
「三春表からの書状を預かってまいりました。丁度、城下に商いの私事もございましたのでな」
 善蔵は、相変わらずふくふくとした笑みを浮かべている。
「左様でござったか。ご苦労でござる」
 三春からということは、春山家に嫁いだ那津からの手紙だろう。案の定玲子がにこにこと笑い、「那津もようやく夫君とまとまった会話をするようになったようですよ」と告げた。どうやら、義姪は婚家で上手く溶け込んでいるらしい。鳴海もほっとしたが、視界の端で、りんがそっと視線を伏せたのが目に入った。
 玲子から書状を受け取って開いてみると、確かに那津の字で春山家の出来事が書かれていた。その中には、一族の中から日光に向かう者がいて、その支度で那津の嫁ぎ先でも大童だと書かれたものがあった。
 玲子は、何も気付いていないらしい。鳴海は那津からの手紙から目を上げると、りんに視線を投げかけた。
「りん。離れに茶の支度を頼む」
「はい」
 りんはすっと席を立ち水屋の方へ姿を消した。それを横目でちらりと見た玲子が、不満そうに鼻を鳴らす。
「また殿方だけでのお話ですか」
 玲子も水山が執政職を務めていた頃から、そのような場面は幾度も立ち会っているはずだった。だが鳴海は首を振るに留めた。
「そう我儘を申すものではない。鳴海殿とて、今や藩の要人ぞ」
 玲子を宥めてくれる義父の言葉が、ありがたかった。
 しばらくしてりんが茶の支度が整ったことを告げると、鳴海は水山と善蔵を離れに誘った。ついでに衛守も呼んでくるように告げる。
 離れに姿を見せた衛守は、何とも言えない表情を浮かべている。それに気付いた善蔵が、ふっと作り物めいた笑顔を消した。
「善蔵殿。福島藩及び三春藩も日光に出兵が命じられたという報告が、城中の席であったばかりでござる。何か聞いておられぬか?」
 鳴海の質問に、善蔵はさあ、と小首を傾げた。
 二本松と守山がそうであるように、三春も守山と領地を接している。であれば、三春にも守山を通じていわゆる「勤皇の志士」が出入りしている可能性があり、何か守山の動きが伝わっているのではないかとおもったのだ。
「詳しいことは、やつがれのような者には分かりかねます。ですが、天狗共が『横浜へ打ち出す』と騒いでいるとの風聞が流れていて、我々もおちおち横浜にも向かえないのは確かでございますよ。関東の取引先も然り。全くいい迷惑でございます」
 よほど腹立たしいのだろう。善蔵は出された茶を一息に飲み干そうとして、噎せた。
「先に兄上が郡山に参られた折に、守山の動きは何も伝わってきていないのですか?」
 衛守も、やはり守山の動きが気になるらしい。
「守山は……。郡山陣屋の話では、若殿を迎え入れ奉るためにそれどころではなかったらしい。だが、既に守山の元にも筑波の知らせが来ているやもしれぬな。何せ、御連枝の藩だ」
 衛守が、鳴海の言葉に眉根を寄せた。それを目に止めた鳴海は、衛守にはここしばらくの藩政事情を説明していなかったことに気付いた。そこで、先月より嶽温泉に守山藩士らが逗留していてそこで三浦平八郎と邂逅したこと、家老等上役にも説明済みであることを告げると、衛守は益々眉根をきつく寄せた。
「守山の三浦平八郎殿の手にも負えない……かもしれないということですか、天狗党の一味は」
「平八郎殿は、脱藩した藤田芳之助が身を寄せたという田中愿蔵が、上方で天誅組の一味に加わっていたことを存じ上げなかったくらいだからな。守山藩家中も割れている可能性は大いに有り得る。守山藩内の事情や他の近隣諸藩の動きも出来れば合わせて探りたいところだが……」
 守山から本藩である水戸や松川陣屋へ向かう場合、守山領内から江持や小作田の脇道を通って棚倉街道に出て、そこから水戸へ抜けるのが常道である。そこに程近い宿場町である須賀川にでも人を遣れば何か掴めるのかもしれないが、そこまではなかなか手が回らなかった。
「ふむ……」
 水山が、首筋を揉んだ。  
「元々、阿武隈川近辺で各々の領民同士の諍いもある相手でございますからな、守山は。その上、我が藩の者らが直接守山に出向かねばならぬ用事も、滅多にござらぬと来ている」
 守山の者が二本松領内に来る用事はそれなりに見つかるが、その逆例はあまり見当たらなかった。
 あ、と善蔵が小声で呟いた。思わず、鳴海は善蔵に顔を向けた。何かに気付いたのだろうか。しばらく思案していたが、善蔵が視線を向けた相手は、衛守だった。
「私めは、来月に須賀川の市原家に参る所用がございます。衛守様。その折に、ご一緒致しませぬか?」
「私が?」
 衛守が不審がるのも無理はない。本来ならば、番頭である鳴海にまず声を掛けるべきであろう。衛守の身分は、惣領無足座乗十人口。各家の子弟らを束ねる立場といったところであろうか。藩政そのものとはあまり縁がない。
「衛守様でなければならぬ理由がございます」
 あの胡散臭い笑顔を浮かべて、善蔵は説明した。
 市原家は縮緬問屋も営む須賀川の有力商家である。その原材料である生糸の商いの関係で善蔵は須賀川に赴くのだが、一方で、須賀川は白河藩から特別に一定の自治を任されている街でもある。それ故、有力な紹介者である善蔵が付き添っていれば、他藩の者が須賀川に滞在してもそう不審がられないだろうというのだ。
「それだけではございませぬ。衛守様は、二階堂の姓を名乗られておるそうではございませぬか」
 善蔵は、にっこりと笑った。
「なるほど……」
 水山も肯いた。一方、鳴海には話が見えない。そのことに、鳴海は多少の苛立ちを覚えた。善蔵の言う通りなのだが、この役割が衛守でなければならない理由とは何なのか。
「須賀川は戦国の世まで二階堂氏が治めていた街でございます。今でも須賀川二階堂氏の始祖が祀られている神社は須賀川の人らによって大切に守られており、二階堂の姓を持つ方が須賀川を訪うた場合、祖先の霊廟参りとでも申せば、左程不審がられることはありますまい」
「そういうことか」
 ようやく、鳴海にも善蔵の計画の一端が理解できた。元々二階堂の姓は、大谷家の本姓でもある。鎌倉時代に別当として重用された二階堂行政の末裔が、尾張国の大谷荘に住み着いた頃から大谷姓を名乗るようになったと言われているが、その真偽は不明である。ただし須賀川を治めていたという二階堂氏と祖先を同じくするということであるから、衛守がそれにかこつけて須賀川を訪れたとしても、須賀川の者は自然なこととして受け止めるだろうというのだ。
 どうする、と鳴海は衛守に視線を向けた。計画自体は悪くない。ただし、善蔵をあまり好いていないらしい衛守が受け入れるかどうかは、また別の話だった。
 衛守はしばし考え込んでいたが、やがて大きく肯いた。
「お話はわかりました。しばらく善蔵殿と共に須賀川に逗留して、守山や白河の話を聞いて参ります」
「良いのか?」
 鳴海の思案に相違して、衛守はこの話を受けるつもりのようである。鳴海の表情に気付いたか、衛守が微かに笑った。
「私もいつまでも部屋住みの身分というわけには参りますまい、兄上。このお話、どうぞ番頭として私に命じて下さいませ」
「そうか」
 衛守なりに、何か含むところがありそうである。衛守が「藩の上役」として自分に何かを命じるように頼み込んだのも、これが初めてだ。だが、断る理由もない。鳴海も見慣れぬ衛守の振る舞いに戸惑いつつ、肯くに留めた。

関東内訌(3)に続く

文/©k.maru027.2023.2024
イラスト/©紫乃森統子.2023.2024(敬称略)

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