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【鬼と天狗】第三章 常州騒乱~対峙(11)

 大橋宿では、一様に重苦しい雰囲気が立ち込めていた。援軍として駆けつけてくれた小川勢と植木勢、そして源太左衛門の兵は多少残党の様子を見つつ、先に太田へ戻るという。
「不甲斐ない有様で、申し訳ございませぬ。御殿から大切な兵を任されておりながら……」
 大橋宿の本陣で、鳴海は源太左衛門に平身低頭した。
「何を申すか」 
 その声は、普段通り落ち着いていた。 
「敵の数は、鳴海殿らの二倍以上はあったでしょう。それにも関わらず我が軍の損失をこの程度で済ませられたのならば、よくぞ持ち堪えられたと褒められるところです」
 平助の穏やかな声も、今の鳴海にとっては慰めにはならなかった。
 目の前で部下が死んだ。しかも、敵方にはかつての見知った顔があり、こちらに刃を向けていた。予想されていたこととはいえ、この手で始末してやりたい衝動が押さえ切れず、未だに体が震えている。
「しっかりなさいませ。鳴海殿は、侍大将でございましょう。下士らが見ております」
 いつになく低い平助の声に、はっとした。その声に、冷静さを取り戻す。ちらりと背後を振り返った。
 さりげなさを装っている、数多の視線。皆戦の後で興奮しているのか声が高いが、その顔色は一様に悪かった。今は、部下たちを無事に太田に連れて帰り、労ってやらねばならない。鳴海は、肩の力を抜いた。
 ようやく鳴海の興奮が落ち着いたのを察したのか、植木がふっと息を吐いた。
「あれは、河合で遭遇した敵とは異なりますな」
 植木の言葉に、平助も肯く。
「河合の天狗共も白鉢巻や白襷をしておりましたが、恐らく合印も兼ねてのものでしょう。少なくとも、『尊皇討幕』など大それた旗は、掲げておりませんでしたし、髷は結っておりましたな」
 珍しく皮肉な口ぶりの平助も、あの白旗の大書を目に止めたらしい。
「我々が遭遇したのは、紛れもなく筑波勢を除名されたという田中愿蔵らです」        
 鳴海は、きっぱりと断じた。その言葉に、源太左衛門がやや目を見開いた。
「証左があるのか?」
「――側にいた藤田芳之助に指示を出しておりました故、間違いございませぬ」
 その言葉を聞いた源太左衛門が、視線を落とした。瞬時、平助や植木の顔も強張った。もちろん二人とも、文久二年の脱藩騒動の折りの鳴海と芳之助の因縁は、知っている。
「芳之助の件は、二年前のそれがしの不手際でもございます。よって、折あらばこの手で始末をつけまする」
 低声で告げた鳴海の宣言に、束の間、他の三人は黙り込んだ。が、やがて源太左衛門が諦めの色が混じった苦笑を、鳴海に向けた。
「致し方あるまい。だが……無理はするな」
 無理とはどのような意味なのか。そう問いたいところをぐっとこらえ、鳴海は「承知仕りました」と応えるのみに留めた。
「お侍様、湯漬けでもお持ちいたしましょうか?」
 宿の者が気を利かせたものか、ひょいと広間に顔を覗かせた。部下らには、先に握り飯を与えたのだが、朝からの激闘でよほど疲れ切ったものか、板敷きにも関わらずその辺りで寝転がっている者もいる。鳴海自身は、久慈浜で朝飯を食べたきりだった。
「いや、結構。我々は、そろそろ出立致す」
 源太左衛門が、腰を上げた。鳴海は見送ろうと、自分も腰を上げた。が、かくりと足がもつれた。それを見咎めた植木が、微かに笑った。
「鳴海殿もご自身で思っている以上に、御身体が疲れていらっしゃるのでしょう。浄光寺の明かりは絶やさぬように申し付けておきます故、ゆるりと参られよ」
 その言葉に、鳴海は黙って頭を下げた。
 源太左衛門の部隊が帰ってから半刻ほど経ち、鳴海は九右衛門の体を揺すって起こした。一眠りして、皆多少は体力を回復しただろうか。
「……もう、朝でございますか?」
 半覚醒状態で寝言を言う九右衛門もよく戦っていたと思い出し、鳴海は口元を綻ばせた。
「御家老らは先に出立された。我々も、太田へ帰陣致すぞ」
 笑いを含んだ鳴海の声に力が抜けたのか、九右衛門がうーんと伸びをした。既に外はとっぷりと日が暮れ、空には星が瞬いている。昨日の大雨が嘘のようだった。
 鳴海の跨る馬の足取りも、なかなか前へ進んでくれない。いつもであれば長柄奉行として側に付き従う権太左衛門は負傷したため、大橋宿の者に頼んで駕籠を用意してもらった。権太左衛門の代わりというわけでもないのだろうが、珍しく旗奉行の原が、鳴海の側を歩いている。その手には、自身の馬の手綱があった。原の馬は、びっこを引いている。
「怪我をしたのか?」
「可哀想に、二箇所も刺されておりました。もうこいつもいい年ですのに……」
 原がため息をついた。騎馬武者の身にも関わらず馬を引いているのは、そのようなわけだったのか。鳴海は、太田へ戻ったら太田御殿の佐治に頼み、馬医者を原に紹介してもらおうと思った。
 幡村はたむらが見えてきた。ここまで来れば太田はすぐ目の前である。その中の一軒の宿屋の門前に、煌々と松明が燃やされているのが見えた。門には「稲田屋」の墨書が掲げられている。先に、自陣の誰かが一行を迎え入れるように申し伝えられていたらしい。
 間もなく日付も変わろうという時刻であり、夜気が身を刺す。大橋宿を出てきたときには多少回復していたように見えていた部下たちも、再び疲労の気配は隠しきれていなかった。
「あと一息で太田だが、今一度ここで休息を入れる」
 鳴海は背後を振り返って、命令を伝えた。遊佐孫九郎が、顔を綻ばせる。さざなみのように、集団の隅々まで鳴海の命令が伝わっていった。
 それを確認し、夜遅くにも関わらず宿の門を叩くと、主の稲田が挨拶に出てきた。
「本日はお疲れでございましたでしょう。むさ苦しいところではございますが、どうぞ、中でお寛ぎ下さいませ」
「夜遅くにすまぬな」
 稲田は、首を振って中へ一行を誘った。
 ふわりと、何かの汁の香りが鼻孔をくすぐる。鳴海は急に、空腹を覚えた。
「大将の方から、どうぞ」
 差し出された椀には、ぶつ切りにした魚の身が入っていた。二本松の者にしてみれば、大御馳走の部類である。
 が、それを口にする前にやるべきことがあった。
「皆聞くが良い」
 鳴海の声に、一同が背筋を正す。
「今日の戦いは、誠によく戦ってくれた。礼を申す」
 その言葉に、空気が緩んだ。鳴海も、笑顔を見せる。
「宿より心尽くしの饗しは有り難く承るが良い。座は無礼講と致す」
 側で鳴海の演説に耳を傾けていた稲田も、頬を緩めた。
「では、頂く」
 一口啜ってみると、微かに甘みのある白身の魚の香りが流れ込んできた。今まで味わったことのない味である。下座の方では、宿の飯盛女らが汁の椀を配って回っていた。
 車座になって鳴海と席を共にしている一同の中には、右門の顔もあった。
「右門、この魚を知っているか?」
 鳴海の問いに、右門は首を振った。
「いいえ、初めて見ます。何か、変わった魚ですよね」
 そう述べて、右門は自分の椀に入っていた魚の頭をしげしげと見つめ、大きな胸鰭を箸でつまんで広げてみせた。右門の箸の先からぶら下がっているその頭は、確かに愛嬌が感じられる。
「これはほうぼうでございますよ。産卵の季節になると、雄はその胸鰭を広げて鳴き、恋女房を求めると申します」
 両腕を広げてばたばたと振りほうぼうの真似をしてみせた稲田の説明に、一同が笑った。昼間の戦闘で荒ぶっていた者らの気配が、さらに和らいでいく。次いで、温めた酒が手から手へ回されていった。風紀粛静のためにあまり酒は飲ませたくないが、今晩ばかりは鳴海もそれを黙認した。
 その気配に安堵したのか、稲田も笑顔を浮かべている。
「寺門殿の差し入れは、気が利いておりますな」
「寺門殿?」
 鳴海は、眉を顰めた。あの者、何か魂胆があるのか。
「ええ。これらの糧食は、全て寺門殿の差し入れですよ。皆様が昼間命懸けで石名坂で戦っておられたのだから英気を養っていただくのだと申されて、伝手を頼り、浜の者から買い上げて運ばせたそうでございます」
「……そうか」
 鳴海の口元に、じわじわと微笑が広がった。博徒かつ酒飲み。普通ならば、自軍に組み入れるのは御免被りたい相手である。だがそれを言うならば、国元に帰れば、皆から警戒されている宗形善蔵とも、鳴海は付き合いがあるではないか。二本松藩に迷惑をかけない限り、今はこの可愛らしさも受け入れたほうが得策であると、思い直した。
「寺門殿には、それがしからも後で礼を申しておく。稲田殿も、かたじけない」
 小声で謝辞を述べる鳴海に、稲田が頭を下げた。そして――。
 夜八つ時、五番組はようやく太田の浄光寺に帰陣した。

>討伐(1)に続く

文/©k.maru027.2023.2024
イラスト/©紫乃森統子.2023.2024(敬称略)

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