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【鬼と天狗】第三章 常州騒乱~鳴動(4)

「二本松の外に出れば、そのような思想を持った者は数多おりまする。或いは、多少の諍いがあったとしても、皆一様に公への忠義心を持ち合わせている我が藩が、特別なのかもしれませぬな」
 決して揶揄とは思えないその言葉に、鳴海は黙り込んだ。かつて、芳之助にも同じようなことを指摘されたことがあった。
「鳴海様だけではございませぬ。丹波様らも、決してお分かりになりませぬでしょう。生まれながらの身分の差というものは、時として残酷なものでございます」
 どこか醒めたような物言いの黄山の言葉だった。黄山も、時には町年寄の一人として腰に二本差しを刺すこともあるが、あくまでも身分は町人である。こちらがそれなりに尊重しているつもりでも、時に武士らに反発を覚えることもあるのだろうか。
 そして、そうした不満を持つ者の一人が、他所者の血を引く芳之助だった――。
「十右衛門様曰く、あの思想に心底染まり幕府や大樹公への敬意を失っているようであれば、かつてのともがらであろうと、斬るほかあるまいと。でなければ、我が藩の弱みになりかねないと申されておりました」
 鳴海は、黙って茶を啜った。あの時、やはり芳之助を斬るべきだったのだろうか。だが、側には守山の重鎮である平八郎がいて、芳之助を庇い立てした。今の鳴海の立場であったならばもっと強硬な態度に出られたのであろうが、当時詰番になったかならないかの身では、あれが精一杯だっただろう。そう思うと、今更ながら得体の知れない悔しさが募る。
「そのような不逞浪士共を、水戸藩は取り締まりかねている、と聞いておるが」
 ようやく、鳴海は顔を上げて黄山に問いかけた。
「左様。現在、潮来いたこに新たに鎮台を設け、そこへ浪士らを集めて監視する計画があるとの噂が、水戸城下にも聞こえておりましたが……」
 黄山は、小首を傾げた。まだ噂の段階ではあるが、その指揮を取ろうとしているのが、どうやら執政の一人である武田伊賀守らしい。日頃より幕閣とも親しく、その幕閣の意を受けて一挙両得の策を講じようというのである。そもそも武田がその策を献じたのは、武田が斉昭から厚く信頼され、改革派の筆頭と見なされている自信の裏返しでもあるというのが、黄山の見立てだった。
「黄山殿は、その先をどのようにご覧になられる」
 鳴海は、話の先を促した。
「潮来鎮台の件が事実だとすれば、伊賀守様にとって両刃の剣になるかもしれませぬな」
 その言葉に、鳴海は眉根を寄せた。武田伊賀守が完全にそれらを掌握できる状態ならば、問題はない。だが、武田自身が思うがままに浪士を取り締まれるほどの人物であるならば、これほど水戸浪士が横行し、問題となることはないのではないか。そればかりではない。潮来鎮台建設のための軍資金や武器が浪士らの懐に流れ込んだならば、武装蜂起の資金源となり得る。
「さすがに、他藩のことであるからな……」
 こればかりは、水戸藩の動きを引き続き見守るしかないだろう。
「水戸だけではございませぬ。どうも、守山も松川陣屋から人が参っておるようでございます」
 黄山の言葉に、鳴海は再び眉を顰めた。松川陣屋は、守山藩の常陸国内涸沼北側にある領地分の陣屋である。水戸城下に近い地域でもあり、守山藩士は時に常陸国の松川陣屋や水戸本家と奥州の守山陣屋を往来しているのだった。
 やはり、あの三浦は大人しくしているような人物ではなかったということか。それは、かつて郡山陣屋で守山藩の越訴に巻き込まれた折に、新十郎とも話し合ったことである。
「守山の三浦殿が約束を違えるのは、予想の内でござった」
 吐き捨てるように述べた鳴海の言葉に、黄山は「それはどうでしょう」と呟いた。
「それがしの見たところ、どうも違うように思われます」
「どういう事だ?」
 鳴海は、決して三浦平八郎を信用しているわけではない。それは眼の前にいる黄山も同じだろう。だが、黄山の言葉には、単なる好悪の感情で判断を出したものとは思われない響きがあった。
「水府もそうでありますが……。外から見れば改革派の一言で纏められてしまいがちですが、内実は緩やかに藩の動きを変えようとする者等と、急を唱えて先んずる者らがおります。武田伊賀守殿は前者でございますが、急進を唱える天狗者らが武田殿の手に負いかねているように、もしや、守山でも三浦殿の手に負えぬ者が出始めているのではございませぬか」
「守山でも……」
 個人的に考えるならば、三浦平八郎には様々な因縁がある。眼の前にいるならば、鳴海が痛罵を浴びせかねない相手であった。だが、振り返ってみれば、三浦平八郎と腹を割って話したこともなかった。
「二本松の近くで火の手が上がるとすれば、恐らく守山からでしょう。芳之助殿の寄寓先として野口郷校の猿田愿蔵を紹介したことから鑑みても、守山の三浦殿が改革派の一員であることは間違いないございますまい。ですが影で浪士らを扇動し公儀に迷惑を掛けたとなれば、いかに守山藩の重鎮と言えども、ただでは済みませぬ。守山藩の要人である三浦殿がそこまでして、過激派に傾倒するものでしょうか」
 鳴海は、しばし黙考した。確かに黄山の言う通りで、平八郎が積極的に過激派に加わっているとすれば、守山藩の取り潰しを招きかねない。平八郎は鼻持ちならないところもあるが、約束を守ったものかどうか、先の越訴以後は、二本松への手出しを控えてきたのも事実である。
「このまま平八郎殿には守山の要石となっていただく方が、我が藩にとっては得策か……」
 鳴海の言葉に、今度は黄山が眉を上げた。
「では、守山が押さえきれなくなった場合は、如何致しますか」
「御家老らとも図るが、最悪の事態となった場合には、公儀に訴えるのも止むを得まい」
 鳴海は重々しく答えた。「公儀に訴える」というのは、いざという場合、二本松藩が幕命を奉じて尖兵となることを意味していた。
「――そこまでお考えになられておりますか」
 黄山が、小声で呟いた。
「番頭であるからな」
 鳴海の言葉に、黄山はため息を付いた。
 武方である鳴海にとっても、莫大な費用を要し人の生死がかかる出兵は、出来れば避けたい。
「大樹公も、帝の意を受けて横浜を鎖港するという御決意を固めつつあられるようですし……。御武家の方々は最後はどうも武力で決着を付けたがりますな」
「待て。何と申された?」
 たった今、黄山は重要なことを告げたのではないか。
「年末に、池田長発ながおき様御一行が横浜を出られて、仏蘭西に向かわれたそうにございます。最終的に鎖港が可能かどうか、彼の国の要人らに交渉しに行ったとの由」
 鳴海もため息が出る思いだった。結局、横浜鎖港の件は水戸浪士らの思惑通りに事が運んでいるのではないか。
「何でも、あれほど開明派と目されていた一橋公が急に掌を返されて他の参預の方々を痛罵し、攘夷を唱えられておるそうでございますよ」
 なぜそうなる。鳴海は、一橋公の真意が読めないことにも苛立ちを覚えた。
「恐らくは、薩摩藩や宇和島藩らの口出しを嫌ったことによるものでしょう。全く、何のために参預の職を設けられたのか」
 黄山も苛立ちを隠せない。二人で顔を見合わせて出てくるのは、ため息ばかりであった。
「鎖港が決まれば、藩の収入の目減りも避けられまいな……」
 鎖港となれば、生糸輸出で得ていた藩の利益激減は避けられない。二本松藩における生糸関連産業の割札からの収益は、馬鹿にならないはずであった。そればかりではない。間接的に生糸商人らの利益も「御用金」として差し出させていたわけだが、鎖港の実施、そして貿易停止となれば、今後は巨額の御用金も期待できなくなる。財政は鳴海の担当ではないが、丹波は怒り狂い、新十郎は嘆くであろう。そして、「それ見たことか」とばかりに和左衛門が得意げになる。そんな絵図がつい脳裏に浮かんでくる。
「まだ分かりませぬよ。池田様らがお戻りになるとすれば、少なくとも夏以降の話になりましょう。それまで些かの猶予はございますし、交渉の結果次第でまた政局の流れが変わるかもしれませぬ。或いは、幕閣の方々の変更がある……やも」
 黄山の慰めも、今の鳴海の耳には遠い言葉のように感じられた。

鳴動(5)へ続く

文/©k.maru027.2023.2024
イラスト/©紫乃森統子.2023.2024(敬称略)

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