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【鬼と天狗】第三章 常州騒乱~出陣(3)

 与兵衛の言葉に励まされたわけではないが、戦支度で慌ただしい八月三日、鳴海は馬を引き出して跨った。あの後与兵衛から受けた説明によれば、道中や常陸での組の子らの宿泊費は概ね番頭の自費である。このような非常時に備えて、大身の者は他の者より多くの扶持米をもらっているのだと言われると、ぐうの音も出なかった。丹波のようにことさら財力を他の者に見せつけていたつもりはないが、番頭となって以来、その俸禄の多さに鳴海の気が若干緩んでいたのは、事実である。
 「彦十郎家の蔵には扶持米が積み上げてあろうに」と与兵衛は呆れたように述べていたが、そもそも、その扶持米を質にして金子を調達する方法など、鳴海は知らない。説明してくれた与兵衛も、出陣の準備であれこれと忙しい。いつまで筑波勢のために常陸に出張させられるかも全く見通しが立たず、少なくとも六十両は組の子らのために必要になるだろうというのが、与兵衛の見込みだった。
 そんな大金を一度に求められたことは、鳴海の記憶になかった。だが、番頭の立場として何としてでも用意しなければならない金である。
 頼る先は、やはりあの男しか考えられなかった。
 運の悪いことに、針道村の入口の辻では、見覚えのある姿があった。新十郎と、針道組代官の青木平太左衛門である。
 鳴海の姿に気付いた新十郎が、顔を上げた。
「鳴海殿。出陣のお支度で忙しいのでは?」
 新十郎の疑問は、もっともである。鳴海は曖昧な笑みを浮かべてみせた。さて、どのように話を持っていけば、鳴海が針道村に足を向けたそれらしい理由付けができるか。
「生憎、三春の動向を知りたくなりましてな。三春にうちの姪を嫁がせた折に宗形殿に世話になった故、此度もその伝手で三春の姪に言伝を頼もうと考えた次第でござる」
「そうですか」
 切れ者の新十郎がそれで納得したとは到底思えない。案の定、隣に立っている青木は不思議そうな顔をしていた。だが少なくとも新十郎は、こちらの立場を考慮してくれるだけの分別は備えている。
「我々も、これから各村の年寄役に手練れの若衆を出してもらうように、説明に参った次第でござる」
 気を回した新十郎が、作り笑いを浮かべてみせた。こちらも、もはや恒例となっている富津在番の他に、ここ二年余り、江戸警衛や京都警衛に人員供出を頼んできた立場である。その上、今度は「銃器の扱いのできる」手練れを求めていると来ている。村民からの怨嗟の声を宥めすかし、幕府の要望に答えなければならない苦しい立場であろう。
「互いに、気苦労が絶えませぬな」
 鳴海の言葉に、新十郎も苦笑を浮かべた。
「せめて鳴海殿らが一刻も早く水府浪士らの動きを封じてくだされば、上方もこれ以上の無理難題は申されますまい」
 その言葉に、鳴海は黙って頭を下げた。
 針道村入口の辻のところから目抜き通りを進むと、身覚えのある白壁の屋敷が見えてきた。門番に善蔵への取次を頼むと、主はすぐに出てきた。
「鳴海殿。この度はご出陣が決まりましたそうですな」
 さすが善蔵は耳が早かった。鳴海の唐突な来訪にやや驚いた様子ではあるものの、そこは商人らしく、いつものふくふくとした笑顔が張り付いている。
 座敷に通されると、鳴海は黙って懐から手紙を取り出した。生来、あまり弁が立つタイプではない鳴海は、自分なりに誠意を込めて善蔵に手紙を認めてきたのである。多忙の折、下人に届けさせて金子を借りることも考えたが、やはりそのような真似はためらわれた。
 鳴海からの手紙を一読した善蔵が、大仰なため息をついた。その顔からはいつもの笑みが消えていた。
「――正気でございますか」
「正気だ」
 鳴海は、手紙で「此度の出陣は男子の一世一代の晴れ舞台であるから、申し訳ないが、質として預けてある大小を一旦返却して頂きたく、さらに六十両を借り受けたい」とぬけぬけと書いたのである。
「まだ、積立は一度しか支払われておりませぬが。それでも手前に質をご返却致させ、その上六十両がご入用だと申されますか。先月は会月でございましたが、その分もお納めになられておりませなんだな」
 そこで善蔵は、今までにない渋面で鳴海を睨みつけた。このところ藩の諸事に追われてすっかり失念していたが、言われてみれば、先月七月は、二十両を預け入れる会月だった。
「手元不如意の折には、遠慮せずに申し出て欲しいと申しておったではないか」
 一応抵抗してみるが、自分でもわかっている。与兵衛の言う通り、悪いのは、安易に善蔵の言葉に乗ってしまった鳴海である。
「万が一拙者が戻れぬときは、信頼できる家の者に後事を託していく。それ故、どうか腰の物を拙者に預け直した上で、六十両の都合をつけてもらえぬか。頼む」
 柄にもなく、鳴海は自然と土下座をしていた。そんな鳴海の姿を見て、善蔵は再びため息をついた。
「どうせ、ご家族の方は誰もご存知ないのでしょう?鳴海殿はどなたにご事情を打ち明けられるおつもりですか」
 鳴海はしばし言葉に詰まった。まさかりんには打ち明けられないし、義父である水山も論外だ。となれば、一人しかいない。
 黙り込んだ鳴海に、善蔵は剣呑な眼差しを向けた。

出陣(4)に続く

文/©k.maru027.2023.2024
イラスト/©紫乃森統子.2023.2024(敬称略)

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