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【鬼と天狗】第三章 常州騒乱~鳴動(2)

「先日の拙宅の結納では、世話になり申した」
 努めて明るく屈託のない様子を心掛けながら、話し掛ける。
「いえいえ、後は御婚儀の日を待つばかりでございますな」
 機微を読んで、善蔵も如才なく答えた。
「この後、我が家で茶でも振る舞いたく存じまする。先に我が家へご足労頂いても宜しいですかな」
 鳴海の腹を括った誘いに、善蔵はにっこりと微笑んだ。
「これは勿体なきお言葉……。ですが、せっかくの鳴海殿のご厚意でございますれば、有り難くお招きに預かりまする」
 そう言うと、善蔵は満足げにひょこひょこと畳大廊下の向こうへ姿を消した。その嬉しそうな後ろ姿に、思わずため息が出る。臍を噛む思いだが、確かに善蔵には恩もある。無視できる相手ではなかった。
「鳴海殿。いつの間に、彦十郎家の茶に招くほど鍵屋殿と親しくなられたのです?」
 気遣わしげに話しかけてきたのは、志摩だった。鳴海が番頭に出世したため、最近はやや遠い存在になってしまっているが、鳴海が気兼ねなく話せる人物の一人には違いない。
「今度の那津の縁談を取り持って下さったのが、宗形殿だ」
「へえ……。そのような御事情がおありでしたか」
 志摩にとっては、よほど意外な話だったのだろう。「なっちゃんの縁談がねえ……」と、しきりに肯いている。当然志摩も那津を幼い頃から見知っており、可愛がっていた。その縁もあり、彦十郎家側で先に催される花嫁出立の儀には、本家の惣領である志摩が与兵衛の名代として招かれていた。
「なっちゃんが家中ではなく、三春に嫁がれるというのが意外だったのですが……。鍵屋殿であれば、確かに三春への伝手もお持ちでしょう」
「先日の結納で春山殿のお人柄を拝見したが、確かに頼りになりそうな御仁だった」
「なるほど……」
 鳴海の言葉に、志摩は深々と肯いた。それでも何か腑に落ちないものがあるのか、志摩は鳴海が続きを話すのを待っているようだった。だが、これ以上はいくら相手が志摩でも話せない。二人の間に身分差が生じ、どこか志摩側に遠慮が生まれ始めたこともあったのだろう。やがて、志摩は軽く頭を下げると、落ノ間に戻っていった。

 ***

 鳴海が帰宅すると、既に善蔵は客間で水山や玲子のもてなしを受けていた。玲子が気を利かせたものか、側には那津も控えている。すっかり彦十郎家の面々と馴染んでいる善蔵だが、やはり警戒心が解けないものか、衛守の姿はそこにはなかった。
「――お帰りなさいませ。今ほど、鍵屋殿がお持ち下さった岩槻人形について皆で話していたところでございます」
 玲子が朗らかに笑った。確かに、客間の片隅には大きな桐箱があり、その中から玲子は一体の人形を愛おしそうに取り出した。
 目は玉眼であり、両手をちんまりと膝のところで揃えた愛らしい雛人形である。
「御武家様のご趣味とは些か趣が異なるかと心配致しましたが……。近頃岩槻でこれが流行っているとのことで、お持ち致しました。如何でございましょう」
 善蔵は、鳴海に微笑んでみせた。
裃雛かみしもびなと言うそうですよ、鳴海兄様。見てくださいませ、この可愛らしいこと」
 那津が嬉しそうにうっとりと述べた。確かに武家では見掛けない雛だが、愛らしい。それに那津がこれほど喜んでいるのだ。今更駄目とは言えない。
「良いのではないか。先方に持参するにも相応しいだろう」
 鳴海が肯いてみせると、那津はぱっと顔をほころばせた。そして、鳴海は善蔵に目配せを送った。客間では家人の目もある。滅多にないことではあるが、自室に善蔵を招き入れ、そこで話をするつもりだった。
「太助」
 鳴海は下人を呼んで、蔵へ雛人形を仕舞うように指図し、善蔵を連れて一旦自室へ引き取った。鳴海の居室は今では屋敷の一番奥の間に移されたため、家人に聞かせたくない話をするには都合がいい。
 先に善蔵を座らせ、鳴海は上座に着いた。
「――して、どれが良い」
 鳴海はため息と共に善蔵に尋ねた。言わずとも分かる。今日の御目見得にかこつけて、善蔵は先日の「講」のための質草を回収しに来たのだった。
「お腰の物で結構でございます」
 その言葉に、鳴海は眉を吊り上げた。
「たわけ。腰の物は武士の魂だぞ。易易と預けられるか!」
 番頭が刀を質に入れたなどと世間に知られたら、末代までの恥である。
「はて……。彦十郎家は二本松家中でも指折りの大身。お腰の物とて、お持ちなのは一振ひとふりではございませんでしょう?」
 しゃあしゃあと述べる善蔵は、誠に小憎らしいほどである。だが、事実でもあった。この男は、なぜそれほどまで武家事情に詳しいのか。大方、二本松藩だけでなく三春藩や福島藩などの藩士にも金を貸し付け、同じような理論で儲けを蓄えてきたに違いない。生糸で利を上げているばかりでなく、このもう一つの商いの利を上げているが故に、たとえ大火に見舞われてもあっという間にその損失を取り戻したのだろう。
「鍵屋が恐ろしいと皆が申すのが、よく分かった」
 鳴海のぼやきに、善蔵は笑みを崩さない。結局鳴海が並べてみせた幾振りかの刀身のうち、善蔵が選んだのは日頃から鳴海が愛刀として腰に佩いている大小だった。切れ味が抜群である逸品であるからこそ鳴海が気に入っており、日々手入れを欠かさずに佩いていたのである。
「まあまあ……。御番頭にご出世されたからには、この先お腰の物を抜く機会など、そうそうございますまい」
 そう述べる善蔵を、鳴海は睨みつけた。確かに鳴海が武方の最高位である番頭まで出世したために、そう易易と刀を抜く機会があるとは思えない。侍大将の周りには、長柄奉行など身辺警護の者らが付けられるのが通例である。もし本当に刀を抜く機会があるとすれば、鳴海が戦場に派遣されるときであろう。だが、それとこれとは話が別である。
「なに、当方は御腰の物の手入れの仕方もよく存じ上げております故、ご心配召されますな。講の満期にはきちんとお返しいたしましょう」
 善蔵の言葉に、鳴海は再びため息をついた。

鳴動(3)へ続く

文/©k.maru027.2023.2024
イラスト/©紫乃森統子.2023.2024(敬称略)

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