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8月23日 火曜日


凪良ゆうさんの「流浪の月」を読んだ。
本屋大賞受賞作ともありよく本屋さんでみかけていて、逆に敬遠していた本だった。
話の流れはさておき、私がまず感じたことは、とても人の心の逃避的なバイアスを理解しているということだった。
文(ふみ)の行動原理も、更紗(さらさ)の言いたいことも、体系的なところで非常に理解ができる。
誤解を解きたくて話したけれど本質を理解されなくて誰かに話すこと自体を諦めてしまって、それでも分かってくれるかなと期待を込めてまた失望してを繰り返す、日常ってそんなことばかりだ。

相手の感情が「世間一般で悲しむべきことだからやさしくしよう」と、わたしでもあなたでもなく世の中の感情になってしまったのを感じると、気持ちが翳る。
わたしはこの人をどうして「話してもいい誰か」だと思ったんだろうと分からなくなって、それでも後ろ向きになりたくなくて傷ついた心の一部分を切り落として進んでいく。
自分の嫌なところばかりが目について、全然関係のないところで自分の嫌なところと重ねてみてしまうから、外の世界から目をそらす。
こうなってしまったのは別の原因があると、もっと大きな原因を外の環境に求めて、自分の内と外の溝を深くして外を嫌っていく。
そうして生まれたまっとうにみえる理由をもって、いろんなことを遮断していく。人も物も、頼れるものを手放していく。
けれど、こんなのだれが批判できるのか。
私は私でこうして生きるしか術がなくて、もっと楽に幸せに生きられたらとずっとずっと夢に見て生きてきたのに、「もっと外を頼れ」なんてだれが言えるのか。

「ぼくはレールから外されたのではなく、自ら外れたのだ。
 思考が奇妙にねじ曲がっていく。少しでも楽になりたくて、自分をだまし続けることに全力を傾け、皮肉にもそのせいで、ぼくはさらなる混乱の極みに落ちていく。」
本の後ろの方にある文のこの独白が、私にはとても刺さった。
自分より大きな問題で自分の問題を隠したくなる心理に、ものすごく共感した。思わず本を閉じた。
単純に素敵な人だと感じていた文のことを、ここを読んでからは別人のように感じていた。
側から見た行動は同じでもそれぞれ別の理由があって、大半の人はそれを表に出さない。自分に置き換えるとすぐに分かることなのに、相手に置き換えて考えることは難しい。


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