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不快感は組織の健全性を崩壊させる


どんな職場や組織の中にも、頭にくる人間は少なからず、いる。
人に迷惑をかける存在でしかない人物によって、仕事は楽しくなくなり、苦痛に満ちたものとなり、人生は喜びよりも苦しみに満ちた時間を多く過ごすことになる。
そんな人に不快感を与え、迷惑をかけまくっている「クソ野郎」は、組織から一掃しなければならない。
クソ野郎を一掃することで、組織を浄化し、正しい環境へと戻し、人に迷惑をかけるような人間に居場所はない、ということを知らしめなければならない。

クソ野郎は、周りに不快感を撒き散らす。
相手をさげすみ、嫌な思いにさせ、自分には能力がないと感じさせる。
出世するためには上の者に媚びへつらい、下の者には尊大な態度を取り、権力をひけらかす。
優秀な人物ほど周りが見えなくなり、出世した人ほど尊大な態度になり、自分がクソ野郎の道に進んでいることに気づかない。
周りの人間はクソ野郎の被害にあい、仕事へのモチベーションを下げていく。
クソ野郎な上司は部下の手柄を独り占めし、ミスや問題は部下へと責任を押し付ける。
クソ野郎がのさばることで組織の活発性は下がり、ミスなどのネガティブなことは伝わらず、より良くしようという「自浄作用」は活性化しない。
クソ野郎の存在は、百害あって一利なし、なのだ。

そんなクソ野郎どもをのさばらせたままではいけないし、社会や組織で認めさせるわけにはいかない。
どんなに仕事ができる優秀な人物であっても、自己中心的で、チームメンバーと協調性がなく、逆に害悪を撒き散らしているのであれば、出世することも、権力を与えることもしてはならない。
被害者たちが一団となって声をあげ、「クソ野郎には決して屈しない!」という毅然とした態度をとり、「クソ野郎撲滅法」を制定し、低劣人間を一掃するのだ。
いつまでもやられっぱなしではいけない。
自分たちの身を守るためにも、クソ野郎を組織から追い出す必要がある。

こんなにも「クソ野郎」を連呼する本には初めて出会った。
何百回と出てくるクソ野郎という表現は呆気にとられるが、クソ野郎はクソ野郎なのだから、仕方がない。
他にどんなに丁寧な表現をしたところで、実害は深刻なものであり、擁護できるものではない。
クソ野郎の被害にあっている人は、世界中で何億人といるだろう。
クソ野郎にクソ野郎といっても、何の問題もない。
だってそれは事実なのだから、とある意味で開き直っている。
人に不快感を与える人は、周りのやる気を確実に削いでいく。
精神を萎縮させ、追い込み、病気を誘発させる。
そんな人物が組織で認められていく文化であれば、愛想を尽かし、会社を辞めていく人が多発するだろう。
会社にとっても、個人にとっても、クソ野郎は問題でしかないのだ。

とはいえ、不愉快な態度をとってくる人全てがクソ野郎なわけではない。
すぐにクソ野郎だというレッテルを貼るのは早計だ。
人はその時に状況や精神状態によって、寛容な態度を取れなくなる場合がある。
そんな一瞬だけを切り取って、「この人はクソ野郎だ」と判断する人は、想像力が足りない。
ときには寛容な態度で受け流すことも必要だ。
その人が本当にクソ野郎かどうかは、長期的に観察したほうがいい。
また、自分もクソ野郎の仲間に入っていないか自省しなければならない。
立場が下の者に対してどんな態度をとっているのか、人の話を積極的に聞こうとしているのか、人を不快にさせる態度をとっていないか、「汝自身を知る」必要がある。

クソ野郎に極力関わらないようにしなければならない。
自分の身を守るためにも、クソ野郎の存在を許してはならない。

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