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【すばる文学賞 最終候補作】小説「誰の惑星」第3話(全3話)

三、誰の惑星


 なつかしい発音で名前を呼ばれる。
「森川」のどこにもアクセントを置かない言い方は、今では豊坂以外の声で聞くことはない。あの「サメジマ」と同じ発音。そんな名前の呼び方ひとつで、木平を出てからの長い年月が思い起こされる。

「ひさしぶりじゃの」

 笑うでもなく口角を上げる彼は、どういう顔をしていいのかわからないのだと思った。わたしもそうだ。記憶のなかの彼と目の前の彼は、なにひとつ重なるところがない。

「よくわかったね。わたしがあとに来てたら気づかなかった」

 柿本くんと会うのは十年ぶりだった。
 最後に会ったのはたしか、豊坂に彼の地元を案内してもらった高校一年のとき。あのころは髪も長くて茶髪だったけど、向かいの席に着いた今の彼は清潔感のある黒い短髪。痩せていて鋭い印象のあった当時とくらべると、あるていど肉がつき年相応といった感じだった。

「森川、自分のこと“わたし”っち言いよったっけ。――ちゅうか、すっかり東京の人じゃの」

「まあ、もう八年目だから」

「そうか、もうそないなるか」

 口にして改めて気づくというのはよくあって、ふだん生活をしているぶんには東京で暮らした七年数ヶ月を意識することはない。わたしはもう二十六歳で、年齢なんてこの街ではあってないようなもの、というのは言い過ぎかもしれないけど、年齢の持つ価値が都会と田舎でまったく違うということは事実。
 十年ぶりに見る彼の姿は、同時に十年前の自分の姿、記憶を浮き彫りにして、当時を思い返してしまう。思い返すだけの過去があるということにまた、これまでやり過ごしてきた膨大な時間を感じる。
 柿本くんは注文を取りにきた店員にコーヒーを注文して、鞄からタブレット端末を取り出した。

「急で悪かったの。わざわざ休みの日に」

「ううん。今はずっと休みだから」

 大学を卒業した翌年に正社員になった洋菓子店は、今月で退職することになっていた。今は有休消化中で、引っ越しや来月の準備をしながら毎日を過ごしている。

「にしても、ほんまに付き合うとったんじゃな。今まで続きよったんもおどろきじゃ。あのころに付き合うとったやつらなんかみな別れとるぞ」

「あーそうなんだ。地元の友達とはほとんど連絡取ってないから、よく知らないんだよね。こっちにいるとなかなか会えないし」

「いやあ、ふつうそないなもんよ。おれも豊坂と連絡取ったんひさしぶりじゃったけぇ。地元やから会いよるだけじゃわ。あいつも月の半分はサメジマなんじゃろ?」

「うーん、仕事の状況次第ではね。こっちにいるときも、家には寝に帰ってくるくらいで」

「そらたいへんじゃのう。でもなんや、よう知らんけど、時差とかあるんとちゃうんけ? よう映画とかであるじゃろ。こっちでの一年が、宇宙やと数時間みたいなん」

「いやいや、それはさすがにないよ。言ってもそこまでとおくないし」

「そうか、まあそうじゃわなあ」

 けれど、思ったことがないわけではなかった。向こうへ行き来するようになってからの彼は、見た目にほとんど変化が見られない。まだまだ若いと言えばそうだし、子どものころから顔の変わらない人もいるわけだからサメジマが原因とはかぎらない。それでも、このまま自分だけが年をとっていくようなことを考えないでもなかった。

「じゃけどまあ、もうじき森川も向こうへ行くんじゃもんのう」

「だね」

「結婚かあ。おれもそろそろええ相手見つけんとのう」

 豊坂との結婚式は来月末に迫っていた。
 一年前に式場と日取りを決めたときにはまだまだ先のことのように感じていたけれど、そのあと細かいことをひとつひとつ定めていくと、案外あっというまに月日は過ぎた。
 サメジマの開発グループに配属された豊坂は、最初の一年こそほとんど向こうに行ってしまっていたものの、研修を終えてからはこっちにいる時間のほうがすこしだけど増えている。とはいえこっちにいるあいだも仕事はあるわけだから、そこに挙式の慣れない手続きや打ち合わせが入るとさすがにつかれているみたいだった。
 式は地元ではなく、東京でやることにした。列席者のほとんどは彼の職場の人だったし、わたしも東京に来てから出会った人にしか招待状を出さなかった。でも彼は地元の友達も数人だけ招いたようで、柿本くんはそのなかのひとりだった。

「そういう人いないんだ?」

「田舎じゃけぇ、周りはさっさと身ぃ固めてしもうとるけぇ。なんべんか見合いもやってみたんじゃけど、やっぱそないな出会い方、難しいっちゅうかなんちゅうか」

「たしかに生活範囲もかぎられてくるし、学生のときみたいな出会い方は難しいよね。仕事は?」

「高校出てすぐうちの酒蔵継いだわあ。長男やし、下もふたりおるけぇ、いらん心配はひとつでも少ないほうがええじゃろ」

 彼が一〇〇年以上も続く酒蔵の息子だというのは豊坂から聞いていた。地元のデパートなんかには彼の家で造られた地酒が売られているらしい。

「すごい仕事だと思うよ。これまでずっと続いてきたものを守っていくんだから」

「ほうかのう。ただそないな家へ生まれたっちだけじゃあ思うけど」

 もしもわたしが彼の家に生まれていたら――。
 きっと自分も彼のように家業を継いで、ずっと地元に留まっていたのかもしれない。

「じゃあ、もし違う家に生まれてて、家を継がなくてもよかったら、なにしてた?」

「ん? んー……」

 彼はストローでグラスの氷をかき混ぜ、直接口をつけてコーヒーを飲む。結露した水滴で、グラスの底にコースターが貼りついていた。水分を吸ってグレーに変色している。

「おれもサメジマへ行ったかもな」

「え、行きたいの?」

「そりゃあまあ、宇宙へ行けるなんちあこがれじゃろ」

「そうなの?」

「そらそうよ。じゃけぇふたりがうらやましいわ」

「それじゃあ、星間移住が一般化されたら、柿本くんは申請するの?」

「え、いや――これもしもん話じゃろ? 今んおれにはムリよ」

「なんで?」

「サメジマで酒は造れんじゃろ」

「ああ」

「とくにうちは地酒でぇ。そこで造ることに意味があるけぇ、移住するときはうちの歴史が終わるときじゃっち親父も言いよる。まあいずれ行かんといけんなら、それもええかもしれんけども」

 彼には、ここに留まらなければいけない理由がある。
 今いる土地が、そこでなければいけない場所というのはどういうものなんだろう。わたしが生きてゆくうえでここじゃないといけないと思うことは、はたしてあるんだろうか?

「まあ、おれらが生きとるあいだに一般化はないじゃろ。そう言うて、森川はサメジマへ行くわけじゃけど、それは特殊な例よ。向こうへ行ったら、あんまこっちへはもどっちこれんのじゃろ?」

「うん。たぶん」

「なんかとたいへんじゃあ思うけど、まあがんばれや。あいつもおるんじゃけ」

 本題入ろか――。柿本くんはタブレットの電源を入れ、明るい液晶画面をこちらに向けた。

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