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他人の人生を生きる時間があなたにはあるのか

ある夜、子供が泣きながら起きて来た。

パパが死ぬ夢を見たと言う。

有難いことに息子に気に入られているようで、今のところ明日あたりに死んだら泣いて頂けそうである。

「パパは死にません。これからもたくさん君たちと遊ぶし、誰も作ったことのない機械を作るつもり。」明日は何をして遊ぼうかと、話を変えてなだめて寝かしつけた。

おや、そう言うつもりだったかと自分のセリフを自分で意外に思った。そう言えばやりたい事の多い人生である。

この子供達を大人にしてあげねばだし、仕事では多くの結果を出したい。毎年ひとつずつ趣味を増やしたいと思っているし、自分の成長も手を抜きたくない。仕事で一緒になった仲間達の挑戦のバックアップもしたいし、何より自分の人生で一番の挑戦はこれから控えているのだ。

1週間が早い、1ヶ月が早いとぼやき続けていたら、早くも2019年も年末に差し掛かってしまった。今年も充実した1年だったが、この先の充実度は圧縮しなければ、やりたい事を全て叶える事は難しそうだ。

思えば、他人の人生に振り回された人生だ。

ああしろ、こうしろと命令され、考えを話せば否定され、気持ちが分かっていないと怒られる。

こうした方がよいだろうと提案すれば、そんなことは許さんとなじられる。

自分の夢やキャリアを話せば、お前はお前が思っているほど優秀では無いと夢を壊される。

こうしてくれと頼んだ事が出来なかったときには、出来ないのはお前のせいだと責任転嫁される。

・・・

他人の考えを否定することは簡単だ。だが、間違った考えを成功に導くための行動や手を差し伸べる行動は簡単には出来ない。他人の行動の結果に、自分が責任を持ちたくないという恐怖を抱くからだろう。

そんなご立派な大人達の恐怖心との戦いを長年繰り広げ、悲しい事に今では、他人の夢や考えを否定できる立場になった。

「ああ、こんな簡単だったんだ、あのセリフ」

簡単に彼らの考えを否定できる根拠が瞬時に湧き上がるのだ。思った事をそのまま言うだけの誰でもできるお仕事。それが、大人の否定だ。

建設的で彼らの行動動機を後押しし、成功に導く言葉を与える事が如何に難しいのかも分かった。上辺だけの言葉を並べても何一つやる気を出してくれないことも分かった。

多くの自分勝手な大人たちが、安易に否定の言葉を投げかけるのも無理もない。それっぽく自尊心を保つ事ができるし、コーチングの専門家でもなければ、他人の私へ大した愛情もないのだろうから。

そしてそれらの行動は今頃になって私に大切な気づきを与えてくれた。

否定を投げかける彼らがどう思うのか、馬鹿みたいな提案をすると彼らに否定されないだろうか、などと考えたところで、子供じみた恐怖心に支配された彼らの感情をコントロールすることはできない。

そんなくだらない思考時間は、アドラー心理学でいう「他人の人生を生きている」行為に相当する。

意外にも、人生時間は有限なのだ。もう「他人の人生」を生きる余裕がない。なんだかやりたい事が近年増えてしまった今では、承認欲求に囚われ、恐怖心にさいなまれ、人の目を気にしている時間的余裕はもうなさそうだ。私がコントロールしようの無い事象にリソースを割くことが出来ない。

数十年後、「ごめんね、パパ先に死んでしまうみたいだ」と息子たちに謝るときには、「自分の人生」を生きた父の姿を見せたと自信を持って死ぬとしよう。

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