見出し画像

岡本太郎に会いに行く

天気の良い午前中にひとり、川崎市にある岡本太郎ミュージアムへ足を運んだ。

実はこちらの美術館は近所で、前々から行こうと思っていてようやく足が向いた。生田緑地と言う川崎市の自然公園内にあり、子連れで行くといつも遊び疲れて美術館どころでは無かった。

岡本太郎とクルト・セリグマン

岡本太郎と言う芸術家は多くの国民が知るところだ。大阪万博の「太陽の塔」、そして「芸術は爆発だ!」と言うキャッチーなフレーズで名を博する。

彼は、青年期にパリで芸術を学んだ。その際に出会った芸術家クルト・セリグマンとは兄弟のような間柄だったそうだ。

岡本太郎ミュージアムでは、セリグマンと岡本太郎の作品を展示する企画展が催されており、今月1/24までの予定となっている。

ミュージアムとしても念願叶った展示だそうで、この機会にぜひ足を運んでみては如何だろうか。

クリエイター岡本太郎の感情

美術館に足を運んだことには、私的な理由がある。新規事業の立ち上げや、テクノロジーによるイノベーションを進めるにあたって、物づくりをして行かなくてはならないのだが、いまいちその動機に欠けていたからだ。

情熱というか、思考と理論で理解している未来を実現するためのエネルギーを発電する何かを掴みにきた。

そのような目的で美術館を巡ると、ひとつ気づいたことがある。ビジネスやテクノロジー、教育や自己啓発などは全て言語のもとに成り立っていて、「言語」という誰かの作った枠の中での表現に終始するということだ。

話す、書く、と言うのは言語を二次利用して表現しているに過ぎない。つまり、言語に出来ない感情やニュアンスは多大にあるにも関わらず、あくまで人に伝える手段として言語を選択しなければならなかった。それが私のこれまでの仕事人生だった。

記事の執筆にしても、システムの設計書にしてもそうだった。音声配信にしてもYouTubeの開設動画にしてもそうだ。勉強会の資料も、新規サービスの企画書にしてもだ。

全て言語で表現し、その枠を超えることがなかった。

ところが、岡本太郎達、クリエイターは違った。言語を遥かに超える表現でその感情を爆発させていた。

上記の記事に実際の展示品が画像としてあるが、この絵画を見た時、私はつい「言語」を使って理解に努めようと言葉を脳内で生み出した。「森の精霊が」「恐れおののく動物が」「自然破壊に対する脅威が」「動物達の怒りが」など、何かと言葉で説明づけようとしたのだが、次から次へ襲ってくる岡本太郎の絵画や彫刻作品に触れるうちに、それが如何にナンセンスかを思い知った。

クリエイターである彼らは、恐らくタイトル付けすらはばかられるような、「言葉」にすることの出来ない人間や自然界の感情やニュアンスを作品に投影しているのだった。

タイトルに抽象的なものが多いのもそれが理由だろう。「顔」「海辺」など、抽象的でその先に一体何が潜んでいるのか、どんな感情が隠されているのかは、私たち自身が、自分の内面と向き合い、その作品を通して感情を鏡のように映さなければ知り得ることが出来ない。

美術品の鑑賞とは、そうあるべきなのだと言うことも、初めて体感した。

美術の転用

クリエイターとしての心構えと言うものを実感することができたことが大きかった。

岡本太郎は太平洋戦争の兵役から帰ってきた35歳で、それまでの作品が全て空襲で失われた事を知る。ただ、彼はそれからも意欲的に作品を作った。

数多くの作品を世に残し、大きなものから小さなものまで、芸術家の中では類を見ないほど作品の流通数が多いそうだ。意欲的で、止まることの知らないその姿勢は刺激的だった。

どこか新しいものを生み出すことに抵抗を感じるようになっていた。誰かの作ったものを二次利用して稼いできた自分は、全くのオリジナルのものを生み出すことに内心抵抗があったのだ。

その生み出すものが役に立たず、徒労に終わったらどうしよう、とか。生み出したものが、点で的外れで、みんなに笑われたらどうしよう、とか。似たようなものが既にあったら、作った意味がなくなるじゃないか、とか。大手起業の創造物に敵うわけないじゃないか、とか。

無意識でそのようなことを悟っていた節があった。しかし、岡本太郎は全く違った。一見、多くの人には理解されないような、独創的な作品を生み出している。それも数多く。

何の遠慮もなく、自分だけのこだわりで。自分の内面から湧き出たマグマをそのままキャンバスに塗りたくったかのような、情熱的で色のある作品には思うことがあった。

自分が如何に無色透明な色を塗り続けてきたのか。

必要に応じて色を変える、まるでカメレオンのような。臨機応変という言い訳の殻で覆った自分の醜い心を隠して隠して生きてきたかのような。そんな恥ずかしい感情を抱いた。

こんなにも自由に、こんなにも大胆に、言葉なんかで表現できないような内面を、自分の好きな色で、好きな形で表現することができるなんて。なのに、自分は二次利用を「正解」だとして扱っているし、誰かに理解されないことを言ってしまっては恥ずかしいと思っていた。

しかし、誰にもできなかったことを今まさにやろうとしているのではなかったか。まだこの世にはない事業を生み出し、この世の誰も実現し得なかったイノベーションを起こしたいのではなかったか。

そう考えれば何の遠慮もいらない。嘲笑の中で、哄笑の中で生み出した作品こそ、誰にも作れなかったものになるはずだ。

岡本太郎の作品達はそれを教えてくれたし、抽象的な中に込めた熱い情熱は、死後もまだ、恐らくは向こう数百年に渡って語り継がれるのだろうと思う。

岡本太郎が伝えたかった人たち

タレントとしてテレビCMにも出ていた岡本太郎。ウイスキーのおまけに、自身の作品をモチーフに造形されたグラスカップをタイアップして販売していた。

岡本太郎は、芸術は大衆のものである、と言っていたそうだ。一部の高尚な貴族層のものではなく、広く公開し、一般の人々が作品を見て何か感じ、皆、少し勇気をもって自分と向き合ってほしいという願いだったのではないだろうか。

このように晩年の岡本太郎は、芸術を大衆に届けようとしていた。タレントとしても活躍するし、文章もいくつも本にして出版されている。

岡本太郎は圧倒的にクリエイターだった。作品を作る手をやめなかったし、それを大衆に届けるマーケティングにも手を抜かなかった。

自身の思想や感情を、作品を通して伝えなければならない、という熱があった。

この徹底した姿勢が驚愕だった。

岡本太郎が大衆に届けたかったものは何だろうか。

私は、多くの人々がどこかひた隠しにしている人間性ではなかったかと思う。現代人の性質に憂いを感じ、民族学にも明るい岡本太郎は、人としての内面にもっと向き合う社会を実現したかったのではないかと思うのだ。

イノベーションビジネスも似たような話で、最終的には一般化し、広く普及することが最終目的だ。世界を変えるというのはそういうことだ。

きっと岡本太郎も自身の作品を通して、多くの人に感情を隠さずに表現して欲しかったのではないだろうか。作品を通して、太郎自身を通して、自身の内面を映すことに抵抗のないような、そんな仲間を大衆の中に一人でも見つけたかったのではないかなと思う。

多様な作品として大衆に届けようとしたのも、大阪万博のシンボル制作を買って出たのも、きっとそんな意図が少なからずあったのではなかったかと今では分かる気がする。

どことなく私は感情を隠すように生きてきたが、恐らくこの先の将来は、内面を隠したまま成功を収めることができるほど甘くないだろう。今日、岡本太郎に教わったことを、肝に銘じて、いつも人のことを追求していたその不屈の精神をお借りして、未来に進んでいきたい。


お勧めの図書はこちら。岡本太郎の考えがぎゅっと凝縮されている自己啓発向けの一冊。


美術館の方にはコロナの状況と相談の上、皆さんもぜひ、足を運んでみてください。カフェも併設されていて、美味しいパスタと「TAROブレンド」コーヒーを頂いてきました。

画像1


創作意欲の支えになります!