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進撃の巨人より 「自分を貫くとは?」

こんちゃ
今までは物語関連の感想をまとめていましたが、今回は「作品を描く時のコツ」で良いなと思ったものを纏めておきたいと思います。(個人用でもある)
具体例として挙げるのは進撃の巨人です。ネタバレ含むので、読みたい人はアニメで全話見てから読んでください。
いえ、私の記事などどうでも良いので、進撃の巨人を見てきてください。
では、いきましょう


【 進撃の巨人 】


まず初めに、簡単に今回論じる上で必要になる情報や私が進撃に対して抱いている考えについて共有しておきます。

「進撃 = キャラの絶望を味わう物語」

私は進撃を考える上で、上のような考えを持っています。
それは初っ端からエレンの母が喰われたり、アニに調査兵団が壊滅させられたり、ハンネスさんが死んだり、ジークの脊髄液により兵団組織の大半が巨人化したり、エレンの首が飛んだり、ジャンとコニーが巨人化させられたりと様々なイベントを経ていることから分かると思います。
特に、アニに調査兵団が壊滅される部分は誰も死にたくないはずだが、大量にモブが死んでいく様から諫山先生は「人の想いとか希望とかを踏み潰すことが好きなのかな」と疑問を覚えたほどでした。

【 自分を貫くとは? 】


作品を作る上で頻繁に大切だと言われているのが「オリジナリティ」
つまり、自分を貫くという行為だと思います。
しかし、物語を作る人間は誰しも「崇拝する作品」というのが存在していると思います。(むしろコレがないのに作っている人は凄い)

この「オリジナリティ vs 崇拝」という構図は創作界隈では必ず存在することだと思いますが、個人的には「自分の作品に対する崇拝する作品の比率を下げる」程度で丁度良いのではないかと考えていました。
崇拝する作品から離れようとすれば、オリジナリティは勝手に出るものだと考えているので、そこから離れて比重を少なくしましょうという話です。

では、どのようにその崇拝作品の比重を下げるかということになって来ますよね。
私が悩んで考えて結果、「自分を貫く」ということです。(ここではオリジナリティと自分を貫くという言葉は少し意味合いが違います。オリジナリティ = 崇拝作品以外で構成される物語の要素を指しています)

では、「作品において自分を貫く」というのはどういうこと?って感じですよね。
個人的な考察になってしまうのですが、「自分が信条として行いたくないことをキャラクターという他人に無理やりやらせる」ということが「自分を貫く」ということに繋がるのではないかと思っています。

進撃の巨人の話において、諫山先生は「人の想いを潰すのが好きそう」と感想を抱いたとお話ししましたが、それは世界観を俯瞰して見た時の話であり、個人的に諫山先生はそのような人ではないのではないかと思っています。
つまり、諫山先生は「自分が体験したくないことをエレン達にやらせていた」ということです。

では、次のステップとして、「自分のしたくないこと」を洗い出すことができれば、「作品における自分を貫く」という行為を実行できることになります。

ここは経験がものを言います。
自分が何をしている時にしたくないと感じるのか
または想像力の力も大切になってきます。
何かの出来事を真剣に受け止め自分が当事者である場合、どのように思うのか
それをしっかりと見ることによって、自分は何が嫌なのかがわかってきます。(ここで禅問答のような「自分とは?」みたいな方向にいくと沼なので注意が必要です)

やってみたくないこともやってみる。
やってみたいことも何度もやってみる。
そのうち、本当に嫌なことがわかり、それを繰り返すうちに「嫌なことのサンプル」が集まることで本質的なものも見えてきます。
そこから具体 → 抽象 → 具体の流れを辿ることで、新しい世界を開くことができると推察されます。

また、私は「後悔するから大切なことからは逃げたくない」と考えて、大切なことからは絶対に逃げないマンなのですが、それを主人公にさせて地獄に陥れて成長物語にするということも可能であり、ストーリーとして自分という人生経験を入れ込んだオリジナリティを確立することができるのではないかと思います。

【 まとめ 】


「自分を貫く」 = 「自分が経験したくないことをキャラクターに経験させる」

という一種の鬼畜行為が作品として素晴らしいほどに威力を発揮するのでは?と進撃の巨人と向き合っている内に思い、今回書かせていただきました。

本当に使えるツールなのか分かりませんが、何かの役に立てば幸いです。

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