進撃の巨人が終わる

初めましてですが、自己紹介はしません。
ただ私が考えていることを述べます。

本日、進撃の巨人の最終PVを見ました。
コメント欄には予想通り、「今までありがとう」だとか「制作してくれてありがとう」という声がありました。

これについてちょっと考えてみました。
一時期アイドルやらのライブにハマっており、行ったことがあるのですが、そこで台の上の人達は皆いつも「関係者様、ファンの皆様ありがとうございます」というような綺麗な恒例行事的な文言を述べていました。

こちらとしては「ふんふん、そうだよね」みたいな感じで流していると思うんですけれど(私だけかも)、冷静に今振り返ると、それは真実なのかという風に感じてしまいます。彼らは本当に感謝をしているのか?という疑問です。

もちろん、彼らも理性的には感謝の気持ちを感じており、発言していると思うのですが、こちらとしては分からないものです。「言葉も訳されれば、本当の意味は伝わらない」というやつです。どれだけ人に伝えようとしてもフィルターを通せば伝わらないわけですね。

それはYoutubeのコメント欄などでも同じだと思います。感謝の言葉が溢れているのを今日見てきました。もちろん、人口が多く、それが素晴らしいから感謝の言葉が多く出てくるのだと推察できます。

しかし、今まで私は心の奥底から誰かに対して、本当の意味で「ありがとう」という言葉を伝えることが出来ていない気がします。

もちろん、誰かに何かして貰えれば、感謝の想いを抱き、言葉としてそれを伝えることはあります。しかし、相手のためを思って行動するというものが欠けていたと感じます。

その2種類の感謝を隔てるのは何か?
「その人の人生をどれほど良い方向に曲げることが出来たか」
私の結論はこれに通じると考えています。

人間には本来、辿るべき道筋みたいなものが存在していると私は考えています。(いきなり宗教臭くなってきた)
それを正常に辿ることができる人間はごく少数であり、みんな迷子になってしまうということです。でも、そのごく少数の「分かっている」人間が正しい道筋の途中で「こっちだよ」と道の方向を教えてくれるんです。

これが私の言う「人の人生を良い方向に曲げる」という意味です。

もちろん、こんな記事に行き着いている皆さんなら、進撃の巨人に大きく影響を受けていると思うので、なんとなく感覚として理解してくれると思います。(私はそう信じています)

話が逸れたので戻すのですが、結局何が言いたいのかというと、初めて心の奥底から「ありがとう」と言う日を迎えることが出来ました。(親には言いたいとは思うけれど、まだ言えていない)

制作関係者の皆さん、それをサポートするシステムを作成した人、広告を打つ施策を考えた人など、この進撃の巨人という素晴らしいものを手がける上で関連した人、そして、それを作り上げてきた人達全員に感謝しています。

もちろん、その感謝の大半を占めるのは偉大なる諫山創先生と、その天才を拾い上げてくれた編集者の川窪慎太郎さんです。
お二方のおかげで人生を変えるきっかけを掴めた人間が多く存在していると思います。私もその1人です。本当にありがとうございます。

それで結局どうやって感謝するんやという話ですが、貰ったものは返すということが通例だと思うので、私は「文字を書くこと」「空想世界を考えること」が好きなので、趣味で小説を書いてみようと思います。(その辺の話は今後に期待)
その結果、貰ったものをより大きくして次の世代に素晴らしいものを継承できたら良いと考えています。超大型巨人をさらに大きくして返せるように日々生きていこうと思います。
これはそのための宣言書です。


ここまでお読み頂きありがとうございました。
(⚠️注意 : この感謝は薄っぺらなものです)

※追記のようなもの

私と同じ想いを抱いた方へ

毎日絶望の連続ですけど、自分の可能性の先に何かがあると信じて進みましょう。
心臓を捧げろとは言いませんが、作れる時間は全て捧げましょう。(もちろん健康第一です)

※個人的難しいと思ったこと

当たり前のことを当たり前ではないと感じ(考えているだけでは不十分)、それを行動にすることができるか。
愛と恋の違いを見分けるのにも使えそうな話ですね。


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