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僕の仮説「ジュニアサッカークラブの作り方」

地域に根づいた経営ができる街クラブを増やしたい。これがジュニアサッカー専門のWEBマガジンを始めた理由です。「コーチ育成」を目的とする記事と「地域との関係づくりによる街クラブ経営…
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#筆者の思考整理帳

ジュニアサッカークラブの作り方=「僕の仮説」WEBマガジンの目次録を公開!

地域に根づいた経営ができる「街クラブ」を増やしたい。 これがジュニアサッカー専門のWEBマガジンを始めた理由です。 日本の街クラブは代表のワンマン、また各年代の担当コーチによるスタンドプレーによって成り立っていることが多く、それによってコーチングスタッフの力関係にあまりに差が出てしまい、「本音が言い合えない」非常に風通しの悪い内情になっています。 何より感じるのは、コーチングスタッフが一丸となって「哲学」「指導方針」「ゲームモデル」「6年間の大まかなプランニング」「各年

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子どもは何回脱皮する? 価値観は出会いの時期が大きく左右する。【リスタートへの思考整理帳00/僕の仮説60】

■上を目指す。この考えが間違いではないか子どもは脱皮を繰り返して成長する。 成長するたびに凛々しい顔に変化する。コーチはプレーだけを見るのではなく、その表情の変化に注力してほしい。ジュニアサッカーには、常にそれを願っている。 子どもの成長を妨げるコーチはプレーの良し悪しで選手にレッテルを貼り、その評価を変えようとはしない。いや、評価は常に変わるものだと気づいていない。 決めつけは選手が小学校を卒業するまで続き、その過程で試合に安定して出場できる者とそうでない者とが存在し

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指導の是非は今決まらない。だから、過程を大切に進む必要がある。【筆者の思考整理帳18/僕の仮説59】

■上達が目的だと思っているのは幻想プロなんて先のこと、どうでもいい。 今、目の前の練習が楽しくないとそんな先のことにはつながらない。今、行なっているトレーニングは目の前の選手を楽しませているか、熱中させているか、この事実こそがコーチの評価である。 上達させているか? これがすべてを盲目させる元凶だ。うまくなるのは本人の努力でしか達成できない。 「オレがうまくさせた」 「オレがプロに育てた」 このような考えを持つコーチはジュニア世代の指導には向いていない。心からそう思う

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一度、根本から考えてみた。街クラブの経営とは何か?【筆者の思考整理帳17/僕の仮説58】

■街クラブ経営とは理想郷実現者ではない街クラブの経営とは何か? 私は、「地域を形作る一部であり、まずコーチ、そこを通じて選手とその家族を幸せにすることだ」と定義づけしている。俯瞰すると、地域がチームで、クラブはその一員となる。サッカーも「チームと個の関係で形成されている」から似たようなもの。原理は同じだ。 きっとクラブ経営とは、地域を形作っていくものであり、その世界で生きていくのに必要なものがいろいろあるのだが、どれが欠けても成り立たないものなのだ。 人、モノ、お金…。

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今を否定し価値観から変えているのは選手人口の減少に備えるため【筆者の思考整理帳16/僕の仮説57】

■コロナ禍で自己否定から始めた自分改革自己改革。 私がコロナ禍をキッカケに、この社会混乱の初期段階に始めたことだ。これまでの価値観を根本から見直すこと、そして、経済的な観点にも目を逸らすことなく同時に求め、すべて包括的に捉えて前に進むことを選んだ。 言わずもがな、その大きな理由は、社会活動の停止とともに起こった経済の混乱を現実に直視したからだ。街クラブから立ち上った悲鳴を耳にしたとき、これまで自らが発信してきた内容が浅はかだったことに気づかされた。 1年半前からWEBマ

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あなたが持っている指導の教科書は本当に目の前の選手に合っているか?【筆者の思考整理帳15/僕の仮説56】

■その常識は本当に合っているのか?共同幻想から脱却。 これが自分の最近の課題だ。共同幻想とは何か? 国家、会社…複数の人間が「こうだ」と思い込んでいる幻想。例えば、世界経済は紙幣によって成り立っている。多くがそう思っているが、お金が価値を持たない生活を送る人々もいる。 確かに大勢の人間が常識、ルール、決まりごとだと、何の疑念も抱かずに過ごしているから世の中はそれで動いている。しかし、違う側面からのぞくと、その中で生活をしている人々はそれに縛られている側面を持つ。 お金が

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主役になれる環境とは? 夢中になって自由に表現できる場所を作れているか?【筆者の思考整理帳14/僕の仮説55】

■二十数年前と今を比べて大差はない選手が主役になれる環境とは? みなさんはどう考えるだろうか。これに向き合うなら「何に対して主役なのか」から着眼点を持つ必要がある。サッカーなのか、プレーなのか。練習なのか、試合なのか。どの側面から見つめるのかで答えが随分違ってくる。 私は大学時代に地域のジュニアクラブで子どもの指導をしていた。低学年を教えた一年目は、子どもが適当にサッカーをしにやってきていたので何の問題も感じなかった。親も子どもが「サッカーをしたいのか」「運動するのが楽し

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学びの原則とは何か? 子どもの成長を考慮した指導で大事なポイントを再考。【筆者の思考整理帳13/僕の仮説51】

■戦術=頭脳領域へのアプローチとは?ボール遊びは相手がいない。 基本、子どもは一人だからボールを相手に夢中で遊んでいる。最初は足でボールを扱うことが難しいから簡単なことしかできない。しかし、徐々に扱いに慣れてくると難しいことにチャレンジし始める。どんどん難易度が上がり、いつの間にか自然にボールが体の一部化し、無意識にプレーできるようになる。 私自身はボール扱いそのものを「技術」とは定義していないが、一般的にはこれを「技術」と名付けている。 ただ、この技術をサッカーのプレ

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クラブにより練習も試合も回数が違うのにお隣さんと同じ指導でいいわけない。【筆者の思考整理帳12/僕の仮説50】

■学ぶ機会の平等性を創り出すには?天才をプロに育成するのがジュニア指導ではない。 普通の子が「プロになりたい」と言った時にその道を目指して適切に寄り添っていくこと、「サッカーが好きだ」という子をより楽しくプレーできるようにしていくことがジュニア指導の役割である。 つまり、「サッカーをしたい」と望んでいる子にできるだけ学びの機会を与えるのが指導の本質である。 学びの機会といえば、一般的に練習を想像しがちだが、試合が含まれるはずだ。しかし、日本のジュニアではサッカーに限らず

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ジュニア指導とは、大人と子どもが力を合わせて学び続けること。【筆者の思考整理帳11/僕の仮説49】

■ジュニアの指導は「大子一体」である。大子一体とは、私が作った造語だ。 意味は「大人と子どもが二人三脚で学び歩むこと」だと解釈している。 最近は、指導に関するあらゆる情報がSNS上に流れている。どれもすばらしい意見、理論的なトレーニング、先鋭的な考えだったりすることが多い。自分自身が知識として学ぶ分であれば、とても参考になる。 ただ、違和感は消えない。 なぜなら選手の立場、気持ちが配慮された発言がほとんど見受けられないからだ。サッカーはメンタルのスポーツだといっても過

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日本一に輝いた「FCトリアネーロ町田」の特徴はオフ・ザ・ボールの縦スライド【筆者の思考整理帳10/僕の仮説47】

9月からジュニアサッカーの現場取材を再開したが、「立ち位置」を見失った。 これまで当たり前のように関東で開催される全国大会や国際大会に足を運び、目の前で見たものを「多くのサッカー関係者に伝えるために汗を流してきたが、それも意味があるのか」という思いが頭の中を駆け巡っていたからだ。 この有事があったから日本サッカー界はITのインフラ化が驚くほど進んだ。これは歴史的にも負から生まれる正の連鎖として新しい時代が切り開かれ構築されていくものだから自然な成り行きだ。きっと正しい時代

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コーチの評価は選手が定期的に! そうすれば学ばざるを得ない仕組みになる。【筆者の思考整理帳08/僕の仮説45】

「ファンは推しに似る」 アイドル界には、こんな言葉があるそうだ。これは日向坂46の影山優佳さんが「FOOT×BRAIN」で語っていたことだ。ようは、アイドルとそのファンは価値観とか思考性とかそういうところが「好き」をキッカケにどんどん通じ合っていくという意味だと、私は解釈している。 街クラブと選手、街クラブと保護者、何より街クラブとコーチとのには、「なんか意味をはよくわからないんだけど、好きなんだよね」と応援したくなる関係がなければいけない。 今、多くの育成コーチが「ゲ

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コーチが言葉をかけるのは「本気の挑戦」「自ら考えて行動した」ときだけで十分である。【筆者の思考整理帳07/僕の仮説41】

ジュニア指導で何が大切か? クラブの指導で何が大切か? 呪文のように唱える日々を過ごすなか、ライターとしてできることを10年近く繰り返していて見えてきたことがある。そのキッカケを与えてくれたのは、先月開催した「試合分析セミナー」だった。 まさか、こんなところにコロコロと転がっているとは思いもしなかった。 自らが講師を務め、開催した初めてのセミナー。プライベートではジュニアサッカーについて話すことはあっても、私が取材を受けることはないし、講師として人前で質疑応答することも

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サッカー界は社会の一部、子どもの指導は社会人を育むことにつながっている。【筆者の思考整理帳06/僕の仮説37】

9月の下旬から街クラブの現場に足を運ぶことを再開した。 「変化があったのか?」。そう、問われると答えに困る。それは検温などを行ったり、以前なかったものがありはするものの、子どもたちの中ではすでに常態化されているからだ。コンサルしている地域の街クラブの子どもたちはグラウンドにやってきて身支度を済ませると、クラブの代表のところに集まり、当たり前のように検温チェックを受けてからグラウンドに出る。 実に、自然にその時間が過ぎる。 コーチ側は気を張っていることが増えた。それは選手

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