指導の是非は今決まらない。だから、過程を大切に進む必要がある。【筆者の思考整理帳18/僕の仮説59】
■上達が目的だと思っているのは幻想
プロなんて先のこと、どうでもいい。
今、目の前の練習が楽しくないとそんな先のことにはつながらない。今、行なっているトレーニングは目の前の選手を楽しませているか、熱中させているか、この事実こそがコーチの評価である。
上達させているか? これがすべてを盲目させる元凶だ。うまくなるのは本人の努力でしか達成できない。
「オレがうまくさせた」
「オレがプロに育てた」
このような考えを持つコーチはジュニア世代の指導には向いていない。心からそう思う。それはジュニアの指導はあくまで『きっかけを与える』にすぎないのだから。
私は、コーチが主役の考え方をしている大人は心のバリアフリーを持たないのだと認識している。ハードとして、いくら練習メニューを工夫し、楽しいものに演出しようとも、コーチが選手の心=メンタルに目を向けられなければどんなトレーニングも最大限の効果を生まないのだ。
優しく、厳しく、選手の成長に応じて心のバリアフリー、つまりはソフト面でコーチにその素養が身についていなければハード面の能力ばかりを高めても、選手は期待するほど成長しないだろう。結局、そのハード面にばかり目を向ける行為は根性論と同じで、そのトレーニングについていける選手以外はすくい上げることはできない。
あなたの指導は選手を選ぶのか?
そう問いかけたい。現在、東京パラリンピックが開催している。5年ほど前、地元福岡でスポーツ雑誌の特集ページを担当していた頃、編集部から相談を受けてパラアスリートの連載を企画していた。そのとき、あるパラテニスの選手とバリアフリーの話題になった際、こんな話をされたことがある。
「階段ではなく、スラロープにする。ハードの取り組みとしてはすばらしいことです。ありがたいと思います。でも、僕らからすると数段の階段なのでほんの少し補助していただいた方が助かるし、心も温かくなる」
私はこの言葉を聞いたとき、ハッとした。私たち健常者は障がい者が生活を送りやすいように、とハード面からサポートすることにどうしても意識が向いてしまう。しかし、障がいを持つ当事者からすると困った瞬間に手助けしてくれたほうがお金もかからないし、何より自分という存在とつながってくれて嬉しい気持ちになるという。そこにお金をかけるため、時間と労力をかけるくらいなら、直接その瞬間につながった方が結果としてコストもかからない。
相手の立場からすると、まず認められること、相手とつながることが何より日常だと感じられるのだ。
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