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13 ビジョンアート 世界観の源へ歩いていく

二日間遊び倒していたので、今日は午前中はメールをしたり様々な作業をして過ごす。午後に、さめじまみおさんとライティングライフプロジェクト修了生向けのアートプロジェクトの打ち合わせ。その後ひとりで、どんな場をつくろうかな、と思い巡らせていて、「こういう時こそ、意図につながろう!」と絵を描くことにする。

「絵を描くと、何がおきるのか」を探索したかったので、絵を描いているときの自分を、一挙手一投足ていねいにトレースするように観察しながら、手と心は気ままに自由に動いていく。

オープンになって、明け渡していく。
からっぽになっていけばいくほど、スイスイと進んでいく。
海でシュノーケリングをするように、より自由になっていく。

観察していてわかったことは、わたしは「色」がすきなので、心は「色」に導かれる。「カタチ」は身体につながっているようで、手が動くのにまかせるとその瞬間瞬間のいきいきとしたものが出現すること。
そうやっていくと、次の一手が見えてくる。見えるというのか、呼応するように動きがあらわれるというのか。

そんなプロセスを無心で続けていくと、たどりつく場所がある。
世界観の源、のようなところ。



ビジョンを描くことは、ビジョンのエネルギーにつながること。
ビジョンの流れそのものに、なること。
その流れが、身体を通してあらわれてくれる。
ことばなのか、動きなのか、音楽なのか、絵なのか、もっと別のアートなのか。
このことを夫と話していたら、山登りも、自然の中で遊ぶのも、ここに加えたいって。

この体感さえあったら、どっちへ行こうか迷うときは、
その流れが連れて行ってくれる。
そう信じることが、ものすごくカンタンになる、気がする。


そういえば、10年くらい前。
来日したトルコのレジェンド級ベリーダンサー、セマ・イルディス(当時でもう60代だった!)が、ワークショップで言っていたことを思い出す。

「わたしが踊っているのではないの。
 わたしのからだを通して、何かが流れ出てくる。それが踊りになるだけ。」

うろおぼえなのが残念すぎるけれど、しびれるようなステキなことば。そして、ほんとうにビビッドな踊りだった。セマのワークショップは、振り付けはほとんどなく(ロマの人たちの暮らしを模った動きだけはあった記憶)ただひたすらに身体を音楽に委ねて、すべてが溶け合っていくようで、それはそれはたのしい時間だった。


創造性を生きることは、職業クリエイターになることでも、職業アーティストになることでもなく、(なりたかったら、なったらいいけどね)ただわきあがる叡智の流れに気持ちよくつながって、オープンに進んでいくこと、なんじゃないかな。
これって実は、無駄な抵抗をいろいろとやめた、とっても省エネな生き方なんじゃないかと、ひそかに思っています。



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