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びっくりのインド ● 23 ● ムンバイの事件

インドでの生活が落ち着き始めたころ、ムンバイで同時多発テロ事件 が起こった。
バンガロールからムンバイまでは直線で約 970 km、だいたい東京から鹿児島までの距離だ。
かなり離れているとは言え、ムンバイの事件では外国人が狙われたため、当然のことながら外国人が多いバンガロールも危ないので、私を日本へ帰らせるかどうかを会社で論議していると聞いた。
その基準として、外務省の海外安全ホームページ の 『 国・地域別の危険情報 』 で 危険レベル が

レベル3:渡航は止めてください。(渡航中止勧告)

になったら私を帰国させるということだった。

028 海外渡航危険レベル

↑ 外務省 海外安全ホームページの 『 危険情報とは 』 から引用

この話しが出てから1〜2日考えて、私は 「いま帰らないほうが賢明だ」 と判断した。
私が住んでいたところで私以外の外国人を見たことは一度もない。
彼らは外国企業が集まっている地域から遠くない一帯に住んでいて、そこには色々な国のレストランや外国資本のホテルなどもあった。
狙われるとすれば、私が住んでいるところではなく、その地域だ。
私にとって、外国人が多い空港へ行き、飛行機を乗り継ぎながら移動するほうがずっと危険だった。

私は神戸で 阪神淡路大震災 を経験して、サンフランシスコにいたときに アメリカ同時多発テロ事件 があったので、緊急事態がどういうものかを多少は分かっているつもりだ。
緊急事態下で何らかの行動を 危険 だと判断する行政の人たちは、現場にいるわけではない。
収集した情報 や 過去の類似する事例 から判断して 一人でも多くの命を救う ことを優先するのであり、もちろん、それは間違いではない。
しかし、その 多くの命 の中に自分が入るとは限らない。
私は関西空港から飛行機に乗り、タイを経由してバンガロールに到着し、住宅地に住み、外国人が多く住む地域で買い物をして、色々な場面を見たから、危険な場所を肌で感じた。

日本とアメリカでは、緊急事態が起こった直後の対処がかなり違う。
9.11 の同時多発テロが起こったときに私が何よりも驚いたのは 判断の早さ だった。
そのとき私は大学生だったが、まず、受講しているクラスの教授から 「今日のクラスは中止」 というメールが届いた。
次に大学から 「登校しないように」 と知らせがあった。
そして最後に行政から外出禁止令が出された。
私は、これが正しい順序だと思っている。
これが日本なら、まず行政の判断を待つのではないだろうか。
なぜならば日本は 『 正しい手続きを踏んだかどうか 』 を重視する国だからだ。
教授が学校の判断より先に自分の意思で行動すると、後で処分されるのは想像がつく。
上の判断 を待たずして行動したことが吉と出ないと、その人を社会全体が責めて死に追いやることは珍しくない。
緊急事態は前例のないことが起こるから 緊急 なのであって、過去の事例に頼って手続きを踏んでいたら間に合わない。
一方アメリカは、判断の質や迅速さが問われる国だ。
これを 『アメリカと日本のどちらが正しいか』 で片付けてしまうと幼稚な議論になってしまうから、歴史的に何故そうなっていったのかをまずは考察すべきだと私は思っている。

その時わたしは、アメリカでも日本でもなく、インドにいた。
会社は上の判断に従い社員の命を守る責任があり、守れなかった場合は社会から非難されて信用を失い、最悪の場合は経営に影響する。
私は自分の命を守りたい。
もしバンガロールが危機的な状態になったら、日本に帰るのは正しいと思う。
でも 『 いつ 、どのタイミングで 』を判断するのは非常に難しい。
危険レベル 3 は、危険な地域へ渡航させないための指針 であり、すでにその地域にいる人たちへ帰国を促すメッセージではない。
会社から帰国の指示があっても、私にはそれが危険な行為に感じたら、背くしかない。
そうすれば、会社が私を救うために全力を尽くした形跡が残り、私は自分の判断で自分を危険に追いやったことになる。

帰国してから私がこの時の話しをすると 「それはちょっと考えすぎでは?」 とか 「そんなことを言っても自分の判断で助かるかどうか分からないし自分なら外務省の危険レベルを参考にする」 とか言われたことがある。
自分の命が明日ないかもしれない という危険を経験したことがなくピンと来ないなら ホテル・ムンバイ という映画を見れば様子がよくわかると思う。
映画は多少ドラマティックに描かれているにしても、この映画の場面のどこかに自分がいることを想像すると、海外で大きな事件に巻き込まれたときの怖さが少しは分かるはずだ。

日本を離れたら、当たり前だが私は外人である。
他人のことを構う余裕がない場合、人は理性に関係なく遺伝子の近いものを優先して守ることも理解している。
本当に危険な事態になったら同僚たちが何らかの手助けをしてくれると信じている。
でも、自分のために誰かを危険に晒すことはできない。
まだ考える時間があるなら、いくつかの対策を練っておくべきだ。

バンガロールが戦場のようになったら...
万が一インドを脱出することになったら...

こういうときに逃げ込めるとすれば、やはり大使館や領事館だ。
在インドの日本大使館を探してみたら、一番近いのはチェンナイの領事館、直線距離で 300 km。
( 2021年現在ではバンガロールにも領事館がある。)

鉄道は安全ではないし、運行しない可能性もある。
土地勘がないから歩くのも危ない。
となるとオートリキシャで移動するしかない。
私が週末によく行ったショッピングモールまでは 7 km 弱、オートリキシャで 30 分。
3 輪自動車は近くに行くならよいが、最長で 1 時間乗ったときのことを思い出すと、道路事情を考慮して 4 時間以上は難しい。
となると 1 日 50 km くらいの移動が妥当な距離だ。
当時のインド人の平均年収が 4 万円だったことから考えて、1日 5,000 円を払えば運転手が走ってくれそうな気がした。
7 日間オートリキシャを乗り継げばチェンナイに着く。
300 km という距離に最初は圧倒されたが、計算してみると何とかなりそうだ。

とは言えインドに住み始めて 1 か月、生活している街のこと以外は分からず、あまりにも情報が乏しくて、本当にそんなにうまくいくのかは分からない。
過去に海外で予想もしないことが起こり、それまでの経験だけではどうしようもなくて何度か途方に暮れたことがある。
こういうときの決断には、なんとも言えない孤独が伴う。

幸い、バンガロールの危険レベルが 3 になることはなく、帰国の指示はなかった。

いまこのときのことを振り返って、本当に危険な状態になっていたらオートリキシャで 300 km 移動しただろうかと想像してみると、チェンナイに行って助かるかどうかはともかく、やっていただろうと思う。
結果的に何もなかったから言えることかもしれない。
しかし少なくとも、自分の命を誰かに任せず、自分で考えて行動したことなら諦めがつくような気がするからだ。

●●●●● 追記 ●●●●●

この記事で紹介した

危険レベル3:渡航は止めてください。(渡航中止勧告)

の説明には以下のような 但し書き がある。

場合によっては,現地に滞在している日本人の方々に対して退避の可能性や準備を促すメッセージを含むことがあります。

これは全く意味がない、というか意味が分からない。

場合によっては
退避の 可能性
メッセージを 含むことがあります。

曖昧な言葉が多くて、この但し書きを入れてしまうと 勧告 ではなくなってしまう。
不測なことが起こり退避させるのであれば、このような表現は使うべきではない。

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