手を挙げて(あげられる)こそ民主主義
つまり、バイデンさんは "招待" ではなく、「手を挙げてください」と訴えかけるべきでした。
民主主義には "自己責任" がくっついてきます。その自己責任でありとあらゆる主張が可能なのです。
もし、強権主義主導の国の脅威があって、手を上げられない国があるとするなら、それは即時データとなって、世界の民主主義が縮みこんでいる現状を表すことができる。
そうして、ようやく「世界は民主主義を欲している」ことを自己認識(責任能力や実直さの様な人間の特性の根拠)ができるのです。
民主主義の危機は「漫然と日々を過ごす」ことにあります。他に注意がいかない。個を大切にできる空間であるので全体に意識がいかない。そこに危機が忍び寄る隙間があるのです。
民主主義陣営の皆様。周りに注目してください。そして、手を上げにくい国がどうしてそうなっているのか、できるだけ声をかけてみて、その内情を理解してください。できることを見つけられたら、できるだけのことをして、その国が手を挙げられるように見守ってください。
民主主義に "焦り" は禁物です。焦りは「性急な囲い込み」を促してしまう。囲い込めばそこから "逸脱しないように囲う" ことになる。それは強権への道をひたすら歩む第一段階となります。
確実に手を挙げられる世界にする。そうして、自己認識を育てながら自己責任を果たしていき、常に周りに気を配る人々の集まりとなって、囲いのない自由な空間で共に生きていく。それこそが、民主主義の魅力ではないかと思った次第。
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