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妄想:2~3年後には学術教師はAIになる

***** おそらくは、生成AIが教師を創る。その生成AIは国の教育指針というレールを敷かれていて、生徒・学生の質問に的確に応えていく。24時間働くのだから、生徒・学生には遠慮なく課題を与えることになる。

無論、生徒・学生の一人一人の特徴を加味したうえでの課題である。その学習ペースもきちんと把握したうえで、AI先生も生徒・学生の評価を受けつつ、教師も生徒・学生も成長していく。

卒業資格も、国の指針を盛り込み、且、学園の特性を生かした出題で、ユニークさを失わない卒業生を輩出する。卒業式は、ない。ただ、バーチャル学園の中で、喜びを共にする空間が自然と出来上がり、アバターAI先生とアバター生徒・学生が抱き合いながら、美しい仮想の涙を流しあう。

ただし、国の指針の中に「運動と社会性」の項目があり、これはAI先生の受け持ちではない。リアルの世界で学窓の仲間が集って、チームワークや種々の運動性能向上を目指して、ニンゲンの教師が教育するのだ。

複合現実を使い、疲労するニンゲン教師をアバターに変えて、永遠に続くかと思えるトレーニングを実践する。だが、生徒・学生の個々の体力をきちんと観察しデータ化して "無理・限界" を計ってトレーニングを行っているから、ケガはない。そして、精神的な成長をニンゲン教師がサポートしていく。

生徒・学生の中には、この「運動と社会性」が苦手な人たちがいる。学術AI先生たちは、それを理解したうえで、学術授業の中で「運動と社会性」の重要度を説いていく。ニンゲン教師との連携で、生徒・学生の向上心を保ちながら、卒業へ向けて一歩一歩進んでいく。

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昭和の時代、「運動と社会性」は、例えば、アニメーションとしてバレーボールやテニスや柔道やラグビーなどを題材に青春ドラマの中で展開していました。個々の特性をドラマで描きながら、高度成長という全体に合わせた "体力の使い方と社会への従順" を伝えていたと解釈しています。

やがて、"体力の使い方" からおろそかになって、"社会への従順" も枯れ落ちてしまった気がします。"体力の使い方" は、極端に数値を気にする内容になり「めざせ、超人!」的ドラマが増えて、これは仮想の世界と現実が乖離していったと思っています。ケガも増えたと思います。

"社会への従順" は、同調圧力に従順になるニンゲンが増えていき、見て観ぬふりが増えて、面倒なことには消極的なニンゲンが増えたのだろうと思います。

ほんとうは、"社会を構成する個々の意識" を高めたうえで、"個々が定めた最大公約数の社会ルールに従順" であるニンゲンにしていくこと、これが教育の核となって、"運動" で生きることをケアし個々が互いにサポートしていくこと、これをしっかり埋め込んでいくのが、ニンゲン教師の役割ではないかと思っています。

数値に踊らされずに社会性をもって個々の運動を支えて、互いに協力し合いながら新しい社会を培っていく。それが、人工知能時代の教育なのかもしれません。

#日経COMEMO #NIKKEI

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