中国の人々はそんなに弱くない
なぜ、当局は中国国民を締め上げる方向に突き進むのだろう。なぜ、おおらかに統治することを恐れるのだろう。
仮に、当局の考えに賛同する位置に立つとして、「中国人の感情を傷つけた」ことに注意を払うことは大切なことではある。ただ、ひどく感情を傷つけたというレベルから、もうすこし軽い感情の傷つき、そして、ほとんど問題にならない "傷つき" に、違法の網を掛けるようになれば、人民の感情表現が奪われかねない。
傷つけば当人が「傷ついた」と現し、意に反して傷つけた側は「傷つけるつもりはなかった」として真意を説明する。傷ついた側は「真意は理解したが、〇〇は傷つきに値するから、理解してほしい」といい、相手も理解して次からのコミュニケーションのリフォームを行う。
当局は「中国の人々の傷をいやした」という賞を設ける必要がある。コミュニケーションのリフォームが成功すれば、かならずこの賞が発表される仕組みだ。それにより、中国の人々が何に傷ついたのかを世界は理解することができる。当局の最大の狙いはそこにある、そう、妄想するのです。
追伸:当局側の立ち位置を良い意味で解釈して妄想したのですが、当然ながら、「外国勢を信用しない国民」をつくりあげる仕組みなのだろうと勘繰ってはいます。漢民族は傷つきやすいのか。そんなことはあるまい、そう思うのです。人類普遍の中にある、そう、思うのです。
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