選ばれし者:事前に過去を自ら赤裸々に語っておけば・・・

「赤裸々に語る」。それは、大変厳しい状況であると思うのです。選ばれる人に課せられた "義務" となるのでしょうか。もし、あらかじめ知らせておけば、選任者の都合の悪いことが事後に判明した時の "非難" の渦に巻き込まれることもなかったのかもしれません。

"非難" の渦。SNSでは、"不都合な揺るがない事実" であれば、巨大台風のように拡散し熱を帯び、当事者周辺もなぎ倒していきます。

社会性を持った人間。その中で、一人が背負う責任の大きさを "自己実現の極み" と捉えた人は「選ばれし誉」に誘引されるが故に、不都合な "選ばれない事実" を隠しておく習性があるように思います。

一方、SNSでは "ばれる" が発火点になりやすい。それを "いち早く知る" ことと "知らせる中心にいる" ことが "自己実現の極み" となるようです。

ともに "自己実現の極み" を目指した "選ばれたい人々" であるのでしょう。そして、あの習性はどちらにも強く働く。

不都合と判断されることを事前に知らしめる。そのうえで、「現在は、その経験をもとに、より多くの責任を果たすべき、精進の最中にいる」と宣言する。それを選別の判断材料とする。不都合を赤裸々に開示できるかが、責任者候補の実力の一つと判断するのです。

不都合をさらけ出すのは、自己に極めて厳しいこと。けれども、その厳しさを乗り越えようとすることが、選別者の心を動かす強力な力となるはず。

選ばれた後に "ばれる" のは、関係する人々へ多大な影響を与えてしまう。それが起これば、もう、あとには戻れない。精進していてもすべて吹き飛んでしまう。

「責任を果たせる人」の条件に「事実に正直」で「過去を省みて自身を糺す姿勢」であることが明確になっていなければ、これは "選別自体が失格" と言わざるを得ない。

「責任とは何か」。選ぶ・選ばれるの社会性について、反面教師として東京五輪が存在すると、後世で省みられるのかもしれません。

#日経COMEMO #NIKKEI

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