産地偽装 と 食料安全保障 と 一億総貧乏

産地偽装はありきたりのことか。偽装はなぜ起こるのか。

偽装:事実を偽り曲げて、もっともらしくしつらえ装うこと

とあります。「もっともらしくしつらえる」。そこに消費者は敏感に反応する。つまり、"もっともなこと" に消費者の手が届かないので、"らしいこと" に "無理に納得" して購入するのだろうと思います。

だまされたと消費者は言う。けれども、手に入れるためにあらかじめ "だまされること" は念頭にあったのではないか。"もっともな消費者" を演じていたのではないか。

偽装する業者はその消費者の心理をついてきます。業者は、"なんでもコモディティ化" のなかで薄利多売でしか生き残れない。独自性を出して価値を引き上げるにも手持ちの資金と人材が不足している。ならば、"らしさ" で消費者に訴えかけるしかない。生産も人件費の安い国の人々に頼ることになり、そこから薄い利益をひねり出す。生産と消費が回る産業は数少ない。そのなかでひしめき合って生き残らなければならない。

こうやって、自国の食糧は他国依存となっていき、消費者が手に取りやすい "らしい" 食料品が市場を席巻するのでしょう。生産も消費もその流れを変えられない。なにか(貿易低迷・政治衝突)が起こった時、ぴたりとその流れが止まってしまうことを予感しつつ。

消費者が求める「手に取りやすいもっともな産品」とはなにか。高めでも "もっとも" な証明があって次の供給につながるために購入するという "消費と生産が回転する機能" を国内市場で稼働させて生まれるものなのでしょう。

お客様の無理難題に「らしさで応える」産業が増えれば、薄利から生産従事者に報酬を払うことになり、生産に携わる国民の収入は低く抑えられ、国民の個人消費は高まらず、全体経済が低迷し、売れない産業が増えて国力も低迷していく。

一億総貧乏化の起点はどこか。消費者か生産者か、はたまた政策起案制定施行の政治か。堂々巡りの改革できない国、日本とならないように、2022年のうちに全員で解決を見出さねばなりますまい。

だが、これも "改革気どり" の一批評にすぎない。はずかしいかぎりかな。

一億総貧困化に歯止めを(日経新聞)

#日経COMEMO #NIKKEI

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