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夕虹は晴れ #3

#3   夕虹は晴れ


下田さんは快く俺と会うことを了承してくれた。

後藤と話してから一週間後、下田さんと大学近くのカフェで会うことになった。虹駆さんの死に関して、俺は部外者のようなものだ。正直断られると思った。そんな部外者と会ってくれるなんて正直驚いた。

外は大粒の雨が降り続けている。

下田さんは待ち合わせの時間より5分前に来てくれた。後藤とは大違いだ。
清楚なワンピースを着ており、軽音部らしからぬシンプルな服装だと思った。ただ、ショートヘアの間から覗かせる右耳には5つほどピアスの穴があり、ところどころにバンドマンらしさが窺えた。

「そらちゃんの死、あれは本人も望まない死だったと思います」
下田さんは力強く言った。

下田さんは虹駆さんと同期で、月一程度でご飯に行ったり、野外音楽フェスに一緒に行ったりするような仲だという。

「そらちゃんが亡くなったのが5月27日だったそうです。でも私、その2日後の29日に、そらちゃんとご飯に行く約束をしていたんです」
下田さんから告げられた事実に、俺は少しの興奮をおぼえた。ここにきて、虹駆さんの死因が自殺以外である可能性が出てきたからだ。俺はその興奮を表情に出さないように気を付けつつ、話の続きを聞く。

「死のうとしてる人の行動とは思えないんです。死のうとしているのなら、私とご飯に行く予定なんか立てないと思うんです」
「そうですね…。ちなみに、虹駆さんが思い悩んでいたり、苦しんでいたりする様子はありました?仲のいいあなたから見て」
下田さんは少し俯きながら答える。
「なかったと言えば嘘になってしまいます。皆さんもご存じの通り、誹謗中傷を受けていたのは事実ですし…」
「そうですか…」
「だけど、私は何度かそのことで相談に乗ったことがあります。結構いろんな人に誹謗中傷の悩みを打ち明けていたそうです。なので一人で抱え込んでることは…ないと思います」
「なるほど…人に話すことができていたのなら、誹謗中傷が原因という可能性は低いかもですね」
「はい。でもそこは本人にしか分からないのでなんとも」
「もちろんです」
「このこと――そらちゃんの死について、なかなかお話しする機会が無かったので、言えてよかったです。みんな気を使って、このことには触れませんし」
「そうだったんですね…ちなみに、虹駆さんは家庭環境等で悩んでるとか聞いたことあります?」
「えぇ、そのことも相談に乗ったことがあります」
「なんて言ってました?」
「たぶんご存じだとは思うんですけど、そらちゃんの父親、バンドのことよく思ってなかったみたいです。特にメディア露出が増えていくことに、強く反対していたそうです」
「そうなんですね」
「でも、そのことはそんなに深く考えていなかったと思います」
「そうなんですか?」
「はい。母親は理解してくれていたみたいですし、父ともよくケンカして、殴り合いになったとか」
あざをつくっていたというのは、おそらくこれが原因だろう。一方的に暴力を振るわれたというより、お互いに殴り合っていたのか。それはそれでよかったんだか悪いんだか。

ただ、後藤は「自転車で転んだ」と言われたと言っていた。そこまで関りが深くない人には、喧嘩のことも隠していたということだろうか。

「下田さんの話を聞いて、虹駆さんの死は本人の望まないものなのかなと思えてきました。ありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそ話を聞いていただきありがとうございます」
下田さんは軽く会釈した。頭を上げてから、さらに言葉を続ける。
「一つだけ聞いてもいいですか?」
「はい。なんでしょうか」
「ラインを頂いた時にも軽く教えていただいたんですが、一度会っただけのあなたが、どうして彼女について調べているんですか?」
「あ、そうですよね。失礼なのは承知の上です…」
「あの別に怒っているのではなくて、純粋な疑問です」
「あぁ、そうですか」
「ええ」
「…うちの父の事件があったから。それが大きいですね」
「事件?」
「はい。うちの父親、マスコミの仕事しているんです。最近はアメリカでスポーツ関係の取材をしています。ですが、父のいる取材チームが問題を起こしてしまったんです。先日野球選手の自宅に強引に取材したマスコミが問題になったのを覚えていますか?それがきっかけで父の取材チームは世間からバッシングを受けるようになったのですが…」
「それは大変でしたね…」
「それが、この話には続きがあって、強引に取材したのは父のチームとは別の取材チームだったんです。つまり父はなにもしていないのに、世間から厳しい声を浴びせられているんです」
そう、俺はこの事件がきっかけで、ネットやテレビで流れているニュース、情報に懐疑的になった。虹駆そらの死に関してSNSで流れる噂も疑問に思っていた。

下田さんに礼を告げ、カフェを後にした。雨は依然降り続けていた。



 さらに一か月が経ち、レインボーレクイエムは歌姫不在の中、活動を再開した。この事実はファンをはじめ、彼女らを知る人たちからすれば、あまりにも早すぎる復活であった。

活動再開は各ネットニュースが報じていたが、あっという間に情報の波に飲まれ、タイムラインから消えた。ボーカルの死というニュースは何日間もタイトルを変え、インターネット上を漂い続けていたというのに。復活に対する世間からの関心はこの程度なのだろうか。

さらにその一か月後、夏の野外音楽フェス『BariBari Rock』にて、復活のステージを果たした。野外フェスには初参加だった。

虹駆は生前、この野外音楽フェスへの参加を望むコメントをSNS上に呟いていた。というのも、虹駆が尊敬してやまないバンドの主催フェスであったからだ。

フェスのステージは複数あり、レインボーレクイエムはメインステージとは反対の場所にあるサブステージにて出番を迎えた。相対的な観客の数は多くなかったが、この日を待ちわびたファンたちによって、レインボーレクイエムのステージは今日一盛り上がっていたと、個人的には思う。

レインボーレクイエムの出番は昼の2時過ぎの一番暑い時間だったのだが、数分前から太陽を覆い始めた雲によって暑さは多少ましになった。

新体制となったレインボーレクイエムに新メンバーは加入せず、以前までギターとコーラスを務めていた宇多野が新ボーカルとなり、スリーピースバンドに生まれ変わった。

彼女らのステージでは、虹駆が生前ライブハウスでよく歌っていた、レインボーレクイエムお馴染みの曲が続いていた。宇多野の歌声は虹駆の力強い声とはまた違って、どこか優しい歌声だった。それに対して、観客の掛け声、手拍子、腕振りはいつもより力強く感じた。

俺はその一部始終をいつも通り端っこの方で見ていた。
「宇多野のやつ想像以上だな!やべーよこれまじ」
語彙力のなくなった後藤も一緒だ。多分後藤はもっと中心に行きたかったのだろうが、端で見ることに対して文句を言ってこなかった。彼なりに気を使っているのだろうか。

5曲目が終わり、そろそろ最後の曲だろうというところで、宇多野のMCが挟まった。

MCでは多くの人たちへの感謝の言葉が印象的だった。バンドを続ける決意をしたメンバー、支えてくれるファン。そして元メンバーに対する感謝の言葉も紡がれた。

最後の曲は、新体制のレインボーレクイエムの気持ちを歌った新曲だった。新たな覚悟の籠ったこの曲は観客の心を動かしたに違いない。少なくとも俺はその一人だった。

レインボーレクイエムのステージが終わり、俺と後藤は分担して飲み物と食料の確保へと向かった。俺は自動販売機へペットボトル飲料を買いに行った。後藤は食べ物を提供している屋台に向かった。何を買うかは後藤のセンスに任せたが、正直不安だ。もっと具体的に注文しておけばよかった。

そんなことを考えながら俺は会場内に設置されていた自動販売機に到着する。が、天然水やスポーツ飲料は軒並み売り切れだった。近くにペットボトル飲料を販売する屋台があったので、そこで買うことにした。列に並び5分ほど経ったところでようやくペットボトルを手にする。夏フェスは水分確保も一苦労だなと思う。賢い人はクーラーボックスを用意して、その中に予め飲み物を何本も入れて持ってくるのだろう。

屋台を後にしようとしたとき、俺の後ろに並んでいた人と屋台のスタッフの会話が耳に入ってしまった。

「すいません、今のお客様でお水売り切れちゃって。あとはポカリスエットとファンタしかないんですよ…」
「あらそうですか…どうしましょう…甘くないものってないですよね…」
すぐ後ろから聞こえてきた会話。悪いことなどひとつもしていないはずなのだが、最後の一本を買ってしまったことに対して、なんだか申し訳ない気持ちになった。

「あ、俺ポカリでいいっすよ。今買った水、よかったら」
俺は後ろにいた女性にそう言った。日焼け対策のために長袖の服で腕を覆っているその女性の顔を見るが、顔も半分帽子の鍔に隠れていた。微かに見える口元から、10歳くらい年上のように見えた。どこかで見たことのあるような顔だったが、ようやく見えた目元を見るに、人違いのようだ。

「いえ、悪いですよ」
「いやぁ、ほんと水でもポカリでもどっちでもよかったんで、大丈夫ですよ」
「あら…そしたらすいません。いただきます」

俺は天然水の入ったペットボトルを女性に渡し、代わりにポカリスエットを受け取った。女性が軽く微笑んだ。あまりにも美しい表情に、俺は吸い込まれそうだった。

後藤に連絡したが、まだ屋台の列に並んでいるという趣旨の返事が来た。俺は日陰になっているベンチに座り、待つことにした。

スマホを見ながら休んでいると、隣に誰かが座った。俺は顔を上げると、そこには先ほど俺が水を譲った女性がいた。

「あら、先程の…先ほどはすいません、ありがとうございました」
女性は軽く頭を下げる。なぜだろう、この美しい顔、どこかで見たことあるような気がする。
「あー、いえ、ほんとにどっちでもよかったんで。気にしないでください」
ここで会話を切り上げるのも変だったので、当たり障りのない会話をする。

最初はどこから来たのか、仕事は何をしているのかなど、本当に当たり障りのない話だったのだが、俺のした「今日はどのアーティストが目当てなんですか?」という質問から、話の流れが変わった。

「…娘が、バンドをやっているんです」
「そうなんですか」
「まあ正しくは『やっていた』ですかね」
「そうですか、やめちゃったんですね」
「ええ、まあ」
女性はその部分だけ、明らかに言葉を濁した。

「少しずつ有名になって、これからだというときに…」
「…」
「あの子は楽しそうでした。夫はあまりよく思っていなかったんですけど、私は応援していました」
「…そうなんですね」
もしやと思った。鼓動が速くなる。
「そんな娘が所属していたバンドが、このフェスに初参加ということでしたので、見に来てしまいました。娘はそこにいないんですけどね」
「そう…でしたか」
まさかこんな偶然があるなんて思わなかった。この女性の顔に見覚えがあったのは、彼女の顔に似ていたからだ。それは母親も美人に決まっている。

「なんだかすいません、変な話をしてしまって」
女性はどこか悲しげな表情を浮かべながらそう言った。
「いえ、実は俺の知り合いにも同じような人がいて、バンドやめちゃった人がいたんで、なんだかその…その話、他人事じゃない気がしました」
「あら、そうなんですね」
「俺はその人が、なんでバンドやめちゃったのか、ずっと疑問に思っていました。周りは勝手にやめた理由を推察して、そうだと決めつけ始めました。俺はやめた理由を調べましたが、結局分からず終いでした…」

「…本人にしか分からない、重圧があるのかもしれないですね」
「…え?」
「いくら他人が調べても、本人にしか分からない重圧があるんだと思います」
「もしかして、娘さん…ですか?」
「ええ。一度見てしまったんです」
「見た?」
「娘が自室に籠っていた時、ドアの隙間から見えたんです。泣きながらパソコンに向かっている姿を。その日だけじゃありません。何日間か、部屋から泣いている声が聞こえてきました」
「…」
「私はその時、娘のことを何も分かってあげられてないんだなと思いました。私たち家族には、全くと言っていいほど、追い詰められてる素振りを見せていませんでしたし…。それとなく悩みが無いか聞いても、明るい笑顔で否定されるだけでした」
「母親であるあなたにも、分からないことがあるんですね」
「もちろん、分からないことだらけです。分かってあげたかったのに」



自分にしか分からない重圧か。たぶん俺にも、俺にしか分からない重圧があるのだろう。でもそんな気はしないのは、自分でも分からない重圧がある。そういうことだろうか。

女性の言葉を聞いて、いくつかの説が浮かぶ。虹駆そらは、自分にしか分からない重圧によって殺されたという説だ。それが自殺なのか、体調面でやられたのか、それは分からない。

ただ分かったのは、虹駆そらは、家族すら知りえない重圧があったということだ。

フェス会場からの帰り道、俺は考え続けた。人それぞれに、本人にしか分からない重圧、あるいは本人も気付けない重圧があったとして、周りはどうすれば救いの手を差し伸べられるだろうか、と。

虹駆そらの周りの人間は、どうすればよかったのだろう。
人はこんなにも無力なのか。

「おい、おい聞いてんの!?」
後藤が半分不機嫌いなりながら呼びかけてきた。
「あ、ごめん」
「ちょっと別のこと考えてただろ!…女?まさか俺以外の…?」
「だまれバカ」

後藤にも、彼自身しかしらない重圧があるということなのか。全然そんな気がしないのだが。なんだかこいつと話していたら、考えるのが馬鹿馬鹿しくなってきた。

「なあ」
「ん?」
「悩み事とかあったら言えよ?」
後藤から意外な言葉が飛び出す。
「なんだよそれ、いきなりどうした?俺らそんな仲良かったっけ?」
「うわ冷たいな。ここ一カ月で親友になったじゃん」
「親友とか、恥ずかしいから」
「分かった、冷たいんじゃなくてツンデレだ」
「はいはい」

後藤から飛び出した意外な一言。それを聞いて思ったのだが、人を重圧から救ってあげる方法、それは案外シンプルなのかもしれない。


半年後、レインボーレクイエムは勢力的に活動を続けた結果、発売した新曲が大反響を呼んだ。キャッチ―なその曲はTik Tokでバズり、若者がその曲に合わせて踊るショート動画がネットに溢れた。その結果、全国ネットの音楽番組への出演も果たし、若者だけでなく、より広い層に認知されるようになった。元ボーカルの存在を知らないファンも増えてきて、虹駆は既に過去の存在となりつつある。俺個人としては少し寂しい。

俺はレインボーレクイエムの『開闢』という曲を聴きながら、寒空の中、部室に向かって歩いていた。この『開闢』という曲は、俺が虹駆そらを初めて生で見たあのライブハウスで聴いた、懐かしい一曲だ。
他の曲に比べるとマイナーな曲なのだが、俺はこの曲を気に入っている。

俺は文芸部の部室の前に到着する。
鍵は閉まっていた。今日は誰もいないらしい。
そうだ、部室に入る前に何か温かい飲み物でも買おう。

自動販売機の前に立ち、何を買おうかラインナップを眺めていると、無意識に一つの商品が目に入る。

ペットボトル――500mlのサイダー。

結局お返しもらえなかったな。そんなことを考えながら、温かいミルクティーのボタンを押す。ガランと音を立てて飲み物が落ちてきた。続けてピピピピという音がした。当たりが出たらもう一本もらえるタイプの自販機だった。デジタルの数字がピピピピという音に合わせて表示されていく。

――7、7、7 ……

この手の自販機で当たった覚えなど一度もない。なんでこんな機能をつけているのだろう。疑問に思う。

ピロピロンと自販機が音を立てた。

「え、当たった?」

『7777』と、デジタルの数字が表示している。

――え、もう一個押していいの?

別に二本も要らないのだが、せっかくなのでもう一本を選ぶ。

この季節に似合わない、サイダーを取り出す。

そうだ、せっかくだから今回の一件を文章にしてみようか。ネットに公開するつもりはない。自分自身が、将来今の気持ちを思い出せるようにしまっておこう。俺はそんなことを考えながら部室に入った。

空は嫌というほど晴れていた。







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