見出し画像

成長のためにシリーズ③:「挑戦」について

成長のためにシリーズとしてこれまで「選択する力」について、そしてその身につけ方について私なりの考えを皆さんに共有してきましたが、今回皆さんにお伝えしたい内容は成長する上で「選択する力」に次いで大切だと私が考えている「選択する内容」についてのお話であり、別な言い方をすると「挑戦」についてのお話になります。

シリーズの①と②の中で成長にとって一番大切な要素は「選択する力」とお伝えしましたが、今回はその「選択する」中身の話です。

「選択する力」の必要性とその中身「挑戦」

ここで再度「選択する力」がなぜ成長につながるのかを改めて振り返ってみましょう。

選択することにより何か行動を起こし、失敗・成功という結果が伴う中で自己の成長につながる何か新しい力が身につくとお話ししました。

では、この「何か行動を起こす」の中身が自分が当たり前にできること、成功することが分かっている場合と成功するかどうかわからないこととでは得られる力に差は生まれるだろうか?

つまり「何か行動を起こす」の中身として自分にとって新しいこと、経験したことがないことを伴うものかどうか?世の中ではそれを「挑戦」と呼ぶと思いますが、つまり「挑戦」を伴うものかどうかということです。

個人的には人は易きに流される生き物であり、たくさんの選択肢がある中でもやり易いものを選択しがちだと思います。また、人はそれを現実的な選択肢、大人の選択肢として正当化することも多いと思います。
しかし、実態をみてみるとその多くが「挑戦」を伴っておらず、自分ができることを「選択」したに過ぎず、結果として自己成長への寄与が半減することが少なくないと思います。

例えば、サッカーを本格的にやりたいというときのチーム選びを考えてみましょう。

仲の良い友達がいるけどあまり練習が厳しくなくレベルも自分と同じくらいのサッカーチームを選ぶか、友達はいないが練習が厳しく自分より遥かにレベルの高い子がたくさんいるチームを選ぶか。どちらがその子のサッカーの上達に寄与するだろうか。

こういうときに大半の子供はおそらく仲の良い子がいるチームを選ぶでしょうがサッカーが上手になりたいという目標を踏まえた場合の選択肢としてこれはベストなのでしょうか。

私はベストではないと思います。
何故ならゼロとは言いませんが「挑戦」する要素がもう片方の選択肢に比べて明らかに少ないからであり、挑戦から学ぶ要素が少なく結果的に成長に寄与する要素が少なくなるからです。

そして、どの人間も平等に一日24時間しか持っておらず、その中でサッカーの練習に割り当てられる時間が限られていることを踏まえると、この選択肢の違いよって生まれるサッカーの練習の密度の差が時間の経過と共に大きな差を生むと私は考えます。
別の言い方をすれば私個人としては人間の能力にそれほど差はなく、この密度の差の積み重ねが最も大きな差を生み出すのだと考えており、その分岐点が選択の中身であり、「挑戦」を伴うものかどうかということです。

「嫌な方を選べ」の意味

昔から選択をする場合には自分が嫌な方、難しいと感じる方を選びなさい、と言われますが、これはまさに人生の選択に関する真理を突いていると思います。

何か新しいことを始めようという時には選択肢が複数あることが常です。
先程のサッカーチームの選択もそうですが、進学先の学校選び、社会人になるときに会社選び、そもそも自分の進路選びなど選択肢は実は無限とまでも言いませんが見えないところも含めるとかなりの数があります。

また、上記のような人生における大きな選択だけではなく、日々の生活の中での時間の使い方、例えば、学校から帰ってきてダラダラとテレビを見たり、漫画を見たり、昨今でいえばYouTubeやゲームをしたりすることに時間を使うか。もしくは宿題をさっさと終わらせ、サッカーのトレーニングがてら近くの公園に仲間を集めてサッカーをしに行くか。
宿題は嫌なものです。でも、それを先に追える選択をするからきちんと勉強ができる子になる訳です。そして、宿題が終わった晴れやかな気持ちで友達と大好きなサッカーができるのです。
それだけではなく、このようにすべきことを先に終わらせるという行動は今後の人生にあらゆるシーンでも物事を先送りにしないという良い習慣になろうかと思います。

総じて考えると自分の成長に寄与する選択肢、自分の人生の幸せにつながる選択肢は実は自明であり、それほど多くなく、「挑戦」を伴う選択を繰り返し、その経験を通して多くを学ぶことによって人は成長するということになりますので「挑戦」を伴う「選択」をし、それを自分の人生の中で積み上げていくことが重要なんだと思います。

挑戦を伴う選択ができない理由

一方で「挑戦」を伴わない安易な選択肢はたくさんあるものです。
そして、得てして自分の成長に寄与する自明の選択を躊躇させるハードルがいくつかあるものですが安易な選択肢は楽、つまりハードルが少なく、低いためすぐにそちらに流される強い誘惑を持っているものです。

そのような環境下で「挑戦」の要素が多いものを選ぶことが自分の成長に最も寄与すると分かっていても何故人は安易な選択をするのでしょうか。

その理由としては上記のハードルの高さ、つまり「辛いことからの逃避」などもあろうかと思いますが根底には「失敗」への恐怖や知らないことへの「不安」があるのだとおもいます。

知らない人たちと話すことの不安、知らない人たちの中で失敗をしてしまうのではないかという不安、などなどそういった自分の中にある「不安」や「恐怖」が安易な選択をさせているのだと思います。

つまり「挑戦」を伴う「選択」ができない根底には、「不安」や「恐怖」の感情があるのだと思います。

「不安」「恐怖」のマネージ

この「不安」や「恐怖」の感情は誰しもが必ず持つものであり、その心理的な影響力は時に人を死に追いやるほどの力を持っていることは誰もが知っていることでしょう。また、この感情をコントロール、マネージすることは誰にとっても課題だと思いますし、一生かけても完全にコントロールすることはできないほど難しいことだと思います。
私個人としてこれまでの人生の中でこの「不安」や「恐怖」の感情をコントロールすることにたくさん挑戦してきました。そして、現時点のものではありますが私なりのコントロール・マネージ方法を体型的に持っていますが
本論から逸れるためその話は別の機会にさせていただき、ここでは子供達が「挑戦」を伴う「選択」をするためという観点で話したいと思います。

いろいろな成功体験・失敗体験をしている大人であれば過去の経験から挑戦した時の「不安」や「恐怖」を知っていると思いますが、子供達には幸いにもそれらの経験値がありません。つまり、まず最初のスタートポイントとして子供たちは外から植え付けられなければその挑戦に関する「不安」や「恐怖」の感情を持つわけがないのです。

つまりまず最初に変な「不安」「恐怖」の感情を大人などが植え付けないように注意する必要があると思います。
感受性の高い子供たちは大人たちの日々の言動からたくさんの影響を受けます。それは親からの直接的なものだけではなく、テレビの報道など触れる全てのものから影響を受けます。
特に現在のような情報化社会ではその範囲はとてつもなく広く、注意としても全てをコントロールすることができないのが実情ではないでしょうか。
さらに親がコントロールを試みたとしても社会に出ればそのような社会で一人で生きていかなければならないわけですからコントロールしようとする方が箱庭で子供を育てるようなものであり、あまり良いとは言えないと思います。

つまり、外部からのインプットにより子供達の中で生まれる「不安」や「恐怖」の感情を排除することは難しく、それよりも子供達の中で生まれてしまったその特定の「挑戦」に対する「不安」や「恐怖」の感情をどのように乗り越えさせるかが重要なのではないかと思います。

結論から言えば鍵は「結果」に固執せず「楽しむ」ということだと思います。「不安」や「恐怖」という感情の発生メカニズムをもう少し分解してみましょう。

「結果」に固執せず「楽しむ」

例えば以前のサッカースクールの例です。
自分よりはるかにレベルの高いサッカースクールに入りました。
友達が一人もいない中でサッカーの練習が始まります。周りは上手い子ばかりなんでその内練習についていけなくなります。さらにゲーム形式の練習では上手い子たちの中で自分は失敗ばかりしてしまいます。
この瞬間に子供の中で周りの上手い子たちからバカにされているのではないかという「不安」や「恐怖」が生まれます。
そして、その状態で練習が終わり、落ち込みと自己嫌悪で練習から帰ってきた子供の中には立派に「不安」や「恐怖」の感情が芽生えるわけです。

そして、次の練習日が訪れます。
子供の様子が朝からおかしい。お腹が痛い、熱っぽいと言って学校を休みたがる。親はそんな子供の様子を見かねて学校を休ませる。そして、その日はサッカーの練習日だが学校を休んでいるからサッカースクールも休ませる。
そして、初回で植え付けられたサッカースクールでの「不安」や「恐怖」の感情から逃げることに子供は成功するわけです。

そして、また次の練習日がきます。
「不安」や「恐怖」の感情は、時間の経過とともにどんどん大きくなるものです。前回休んでしまった練習日から時間が経っているためさらに「不安」や「恐怖」の感情は大きくなり、この頃には子供はそれから逃げるために必死になります。最終的にいろいろな理由をつけて練習を休んだ上にサッカーを辞めたり、別の楽なスクールに移ったりするかもしれません。

これは非常に極端な例ですが、このようなことは大なり小なり起きているのが現実だと思います。

では、同じケースで別なパターンを見てみましょう。
同じように自分よりはるかに高いレベルのサッカースクールに入り、最初の練習で同じように失敗しました。でも、この子は最初からサッカーを楽しむためにきており、完璧なサッカーをしようとは思っていませんので、その失敗に対して「ごめん!」と笑いとばし、次のプレイに入っていく。そして、チームメンバーが失敗をしても大きな声で「どんまい!」と声を掛ける。

そんな練習をしたこの子には「不安」や「恐怖」の感情はきっと生まれていません。

しかし、どうでしょう。
例えばその子が家に帰ってきて一緒にその練習を見ていた父親が「なんてプレイをしてるんだ!」と怒ったとしましょう。この瞬間に子供の心の中のサッカーを「楽しむ」という気持ちが「上手なサッカーをしなければならない」という気持ちに移行していきます。

そして、次の練習では前回の練習の時のように「楽しむ」気持ちではなく「上手なサッカー」をしなければならない気持ちで臨む事になります。「上手なサッカー」をしなければならないという気持ちが強ければ強いほど上手ではないプレイ、つまり自分の中での失敗プレイが気になり、プレイが消極的になり、さらに怒られる、失敗に対する「不安」や「恐怖」が大きくなっていく事になります。

ここまでの例を振り返ってみるといくつかの分岐点があるのがわかると思います。
一つ目は、最初のケースにおける子供の気持ちです。
サッカーが上手くなるため強いサッカーチームを選択した訳ですが上手い子とサッカーをすることが「楽しい」と思えるかどうか、上手い子とサッカーができることで自分が上達し、それが楽しいという前提で強いチームを選択できているかが一つの分岐点ではないかと思います。
逆によくある事ですが自分の強い動機がなく親に言われてそのチームを選択したなどの場合には失敗した時にそれ自体が「楽しい」と思える感情より失敗からくる「不安」や「恐怖」が勝ってしまう事になると思います。

二つ目は、「不安」や「恐怖」の気持ちを抱えたまま2回目の練習の日が来た時の子供と親の行動です。
何かしら「不安」や「恐怖」を心の中に抱えている時にそれが身体的な不調に顕著に出るのが子供の特徴だと思います。所謂心と体は繋がっているという事だと思います。
その時に親がその体の不調が心の中の「不安」や「恐怖」から来ていること、さらにはその「不安」や「恐怖」がどこから来ているかがわかっていたらどうでしょうか。
さらにはその「不安」や「恐怖」を避ける選択ではなく、向き合い、乗り越える選択をしていたらどうだったでしょうか。

三つ目は2つ目のケースで子供の練習を見た親の言動です。
子供が楽しい気持ちでいる中でより高いレベルを目指すべきだ、そんなレベルで満足してほしくないという気持ちから子供のプレイにダメ出しを始めます。しかし、ここで子供を信じて、親が子供が「楽しむ」姿を見守っていたらどうだったでしょうか。

つまり何が言いたいのかといえば「不安」や「恐怖」の感情は親などの外部からの刺激もありますが最終的には自分が作り出しており、それを発生させないようにするには、
・まずは自分が目的意識を持って選択する
・一つ一つの結果に一喜一憂せず「楽しむ」という意識を持つ
「不安」や「恐怖」の感情を持ってしまったら
・「不安」や「恐怖」の感情は時間が経つと増幅するため早めに乗り越える
という事だと思います。

また、親は子供の人生は子供に委ね、黙って見守ることが大切なのかもしれません。

まとめ

議論がかなり拡散してきたためここで一旦まとめると下記のようになるのではないかと思います。
・「選択する」内容として「挑戦」を伴うものが成長につながる
・「挑戦」を伴う「選択」を繰り返すことが自己成長を加速させ、幸せにつながる
・「挑戦」することは「難しいこと」「嫌なこと」をするのとほぼ同義
・そのため「挑戦」はめんどくささや「失敗」に対する「不安」や「恐怖」などのマイナスの感情を伴う
・しかし、その「不安」や「恐怖」の感情は自分自身が生み出しているものなので自分で発生させないように工夫ができる
・具体的には、
 ・「主体性」「目的意識」を持って選択すること
 ・一つ一つの結果に一喜一憂せず「楽しむ意識」を持つこと
 ・「不安」や「恐怖」は時間の経過とともに増幅するため早めに向き合い、乗り越えること(不安や恐怖の発生場所に戻る)
そして、親を中心とした周囲の大人は極力口を出さず、聞き役に回り見守ること

ここまで成長の起点は「選択する」ことであること、そのため「選択する力」が重要であること、「選択する力」は経験を通してしか得ることができず、人生において「選択する」経験をたくさん持った方が良いとお伝えしました。
そして、今回はその選択する内容として「挑戦」を伴うものであることが大切であること、さらには「挑戦」とは何か、「挑戦」の大切さ及び「挑戦」を阻む「不安」や「恐怖」について、そしてその基本的な克服の仕方についてまとめてみました。

キーワード並べると「選択」「挑戦」になると思いますが、成長のために次に大事だと思うことは「目標」であり「継続」になろうかと思いますが次は「目標」について触れたいと思います。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?