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四季のない町 【だいたい2000字小説】


テレビに映った地元のニュースは、まるでどこか遠くの観光地のような賑わいだった。
「キリンが減って、ざんねんだったー」
新型感染症が蔓延っていることを憂う大人のような表情をした少年が、先月死んだキリンを思いながらインタビューに応えている。

志乃ちゃんも、こうして子連れで出かけているのだろうかとよぎった。


志乃ちゃんは、私の姪の長女で、幼い頃うちによく泊まりに来ていた。
正確には、私が姉のところに寄ったついでに、半ば誘導しながらうちに連れ帰っていた。
志乃ちゃんのお父さんは今でこそ立派な医療従事者だけれど、当時はそれになるかならないかのあたりで、家計を支えるのはめっぽう志乃ちゃんの母親である私の姪だった。その姪もまた医療従事者だったもんだから、夜勤があって、志乃ちゃんは母親のシフトに合わせて祖父母の家に預けられていた。
志乃ちゃんの祖母である私の姉にとって、志乃ちゃんは6人目の孫だった。小学生に上がる成績優秀な他の孫たちを可愛がっていた姉は、志乃ちゃんに対しては生命維持に必要な必要最小限度の関わりで、公園に遊びに連れて行くなんてもってのほか「こっちも自営の仕事がてらみているのだから」と正当化しているように私には見えた。
志乃ちゃんは、主張したいことがあっても泣かないタイプで世話しやすかったけれど、いつもどこか大人の顔色を伺っているような子で、それが私にはとても不憫に思えた。

志乃ちゃんは、アメリカンドッグが好きだった。
大人の小指大ほどのポークウインナーを串刺しにして、サーターアンダギーミックスを絡めて揚げる。
それを「まだあったかーい」と言いながら、嬉しそうに頬張る。甘いのと塩っぱいのを一緒に口に入れるのが良いと大人は思いがちだけれど、志乃ちゃんは、アメリカンドッグの外周から攻めていって最後にウインナーを食べるのが定番だった。
「ただいま。あー! 志乃ちゃんじゃーん!」
聞こえるか聞こえないかくらいの“ただいま”でリビングに入ってきた高校生になる末娘が、志乃ちゃんを見つけるなりオクターブ上の声を上げた。
それだけで、私は、志乃ちゃんを連れ帰る価値があると思っていた。
自分の子育てといえば既に終わったも同然で、無邪気に声をかけてくる孫なども当時まだなかった。
志乃ちゃんの存在は、育児の失敗を貼りつけてくるような反抗期が醸し出す特有の湿った空気を和らげてくれる。
志乃ちゃんの為にと思ったはずの預かりは、私の為かもしれなかった。
「正美、これ、ワシミシンの前に持って行ってくれる?」
私は、テーブルにこぼれた麦茶を拭き取って質量を増した布巾を娘に差し出した。はいはーいと娘は素直に受け取って、リビングから出て行く。
「わしみしんって、なあに?」
志乃ちゃんが首を傾げる。
「ああ、washing machine。洗濯機のことよ。ちなみに、お水は、アイスワーラー」
基地内で働いていた頃の名残で、聞こえたままに発音してしまう癖がなかなか抜けない。
「わしみしん……あいすわーらー」
志乃ちゃんは小さく暗唱しながら、ウインナーを咀嚼した。

泊めた翌日の朝は、近くにある公営団地の小さな公園で遊んだ。
公園といっても、錆びれたブランコと、バネの動きで前後左右に揺れて遊ぶコアラやパンダの遊具が申し訳程度にある場所だった。
シワの増えてきた手にむちむちの小さな手を握りしめて公園に向かいながら、志乃ちゃんに遊具の遊び方をレクチャーしながら、いつか見る自分の孫を思い描いた。


志乃ちゃんは小学生に上がると頭角を現し始めた。
「やっぱり、父親が優秀だと遺伝するのよ」と、今までのことを棚に上げてほくほく自慢する姉の笑顔を思い出すと、背中の真ん中あたりがじとり冷たく感じる。
志乃ちゃんから三つ離れた妹が生まれてからは、姪は仕事を辞めて家庭に入った。
その後、妹が増えて三姉妹になってからは、志乃ちゃん一家は賑やかで幸せな理想の家族像そのものに見えた。


ただ、家庭の様子なんて、外から見えるのと内からの景色は得てして異なる。
末っ子が高校を卒業する年、志乃ちゃんの両親は離婚した。
しばらく信じられず、身内の自分たちにもっとできることはなかったのかと自問自答する夜もあったけれど、それも結局はエゴでしかないとアメリカンコーヒーを啜るしかなかった。

志乃ちゃんに子供ができたらしい、入籍するらしいとの話を耳にしたのは、その翌年のことだった。
みんなが寝耳に水の事態だったけれど、志乃ちゃんも二十代半ばでいい大人なんだから、誰ひとりとやかくいう人はいなかった。
志乃ちゃんの産院にお見舞いに行くという正美に御祝儀を預けると、生後3ヶ月の頃、赤ちゃんを連れた志乃ちゃんが姪と共にうちを訪ねてきた。
志乃ちゃんとよく似た色白の女の子で、何かイトヘンの漢字を使った名前をしていたけれど、齢80を前にしてそれももう思い出せない。


志乃ちゃんに会ったのは、それが最後だった。


昨今の感染症の流行により、親戚同士で集まる機会がなくなり、足腰が悪いために施設に入った姉とは面会をできずにいる。

テレビが、梅雨入りを告げた。平年より5日早いという。
庭では、灰色の雲間から漏れた淡い光を受けて、仏桑華が揺れている。

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